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2011/05/07

■節子への挽歌1342:自殺未遂サバイバーの友人

節子
昨年知り合った吉田さんという人がいます。
私よりも歳上の男性です。
彼は、自殺未遂したことをカミングアウトし、昨今の自殺対策関係者にもっと自殺未遂者の声を聴いて欲しいと働きかけ続けてきました。
しかし、なかなか聞いてもらえないばかりか、吉田さんの思いの強さに逆に敬遠されるような状況に陥っていました。
私は、その噂を少しだけ聞いていましたが、昨年11月に私たちが主催したフォーラムに吉田さんが参加してくれました。
直接話してみると、しっかりした人で、噂とは違います。
噂で人を判断してはいけないことを改めて実感しました。

以来、吉田さんはよく湯島に来ます。
そして彼のこれまでの人生をしっかりと聞かせてもらいました。
そしてこれからの生き方や活動計画をじっくり聞きました。
私よりも年長なのに、その計画への吉田さんの思い入れはすごいものがあります。

吉田さんはかつて会社を経営していました。
ところが注文が多くなりすぎて、対応できなくなり、そこから人生が狂い出しました。
精神的にダウンし、狂言自殺を経て、本当の自殺を図りました。
幸いに生命は助かりましたが、それもあって家族は崩壊しました。
吉田さんを再度の自殺から救ったのは、実の妹さんだったようです。
その方は、現在はフランスにお住いのようです。

最近はすっかり元気ですが、吉田さんが時に涙ぐむことがあります。
家族の話をする時です。
周囲の人ともさまざまな確執がありましたが、この半年、吉田さんといろいろと話しているうちに気持ちが和らいできたのが伝わってきます。
しかし、思いを変えられないのが、やはり家族への思いのようです。

家族との絆という言葉がありますが、そこには愛憎がひしめきあっています。
もちろん吉田さんは、いまも家族を心から愛しています。
それはよくわかります。
だから時に涙ぐみ、時に怒りを見せます。

吉田さんと話していて、いつも感じます。
社会に向けての行動に、吉田さんをせきたてているのは、きっと元奥さんの存在なのだと。
離婚後、吉田さんと奥さんがどういう関係にあるかはともかく、間違いなくいまの吉田さんの意識の後ろには、別れた奥さんが存在しています。

こんなことを書いたのは、私がなぜこの頃、動けないのだろうと考えていたからです。
生きる拠り所だった節子が、彼岸に行ってしまったことと無縁ではないでしょう。

彼岸はやはり遠い。
この頃、そう思えて仕方がありません。
もし愛する人がまだ此岸にいるのであれば、それを大切にしなければいけません。
私からすれば、そのことに気づかない人が多すぎます。

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