■東電社長の土下座
東電社長が被災地を回って謝罪している姿を見て、気持ちがまた暗くなりました。
土下座まで強要されているのを見たときは、とても悲しい気持ちになりました。
東北被災地を応援しようという気持ちは萎えました。
もちろんそうしたことは例外的なことなのでしょう。
被災地にボランティアに行った友人からは、東北人の高潔さに感動したというメールももらっていますし、私も基本的にはそう感じています。
被災地復興のために、私たち全員が応分の経済的負担をするのは当然のことだと思います。
そもそもこれまで私たちは「安価すぎる電力」の恩恵を受けてきたのです。
原発コストは社会的費用やライフサイクルコストを考慮しないで算出されたものです。
1970年代に、そうした議論は盛んにあり、原発コストは決して安くないという主張もありました。
しかしそれを無視して日本経済は、安くて安定した原発を選んだのです。
日本の経済発展は、したがって原発の恩恵を受けてきたといえるでしょう。
国民も当然その恩恵を受けてきたのです。
関西電力などが他人事と考えているようなのが不思議です。
明日はわが身なのではないかと思うのですが。
原発は安全だと言っていたではないかと清水社長に詰め寄る人もいます。
しかし原子力が安全などと思う人の気がしれません。
原子力爆弾のことを知らないわけはないでしょう。
同じ原子力、同じ放射線、それが無縁だと思うほうが、私には間違っていると思います。
そういう人たちは、きちんと子どもたちに原爆の体験を教えてきたのでしょうか。
テレビで、原発は安全だとPRするタレントやアナウンサーに、違和感を持ったことはないのでしょうか。
もしそうなら、そのことをこそ反省すべきです。
それがなければ、これからもまたそういう言葉を「利用」して生きていくでしょう。
それでは社会は変わりません。
いま大切なことは、誰が悪いかではなく、この事態をどう乗り越えていくかです。
言い争っている時ではないでしょう。
テレビの映像を見て、元気が出ることも多いですが、暗い気持ちになることも多いです。
テレビの報道のあり方に問題があるのかもしれませんが。
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