■節子への挽歌1364:連名での手紙
埋田さんから昨日、コメントが寄せられました。
質問でした。
読んだ人もいるかも知れませんが、こういう内容でした。
先日、亡くなった母が、生前元気だった頃、私に言い残していた言葉があります。それは母の親友には、病気のことも亡くなったことも、すぐには知らせないで欲しいということです。「悲しませたくない。生きていると思えば、今まで通り、これからもずっと大事な友達として存在し続けることができるんだから・・・。お母さんが死んで、落ち着いた頃に、あなたからお母さんの意思を伝えて欲しい」そうお母さんから頼まれたのだそうです。
そして、「佐藤さん。私はどうしたらいいでしょう、とても悩んでいます」という内容でした。
私なら、母と自分と連名で手紙を出します。と答えました。
明るく楽しい手紙ですが。
今朝、またコメントに投稿がありました。
連名で手紙を書くとこにします。節子を見送った最初の新年、私も節子と連名で年始の挨拶の手紙を書きました。
母が心から愛した大切な親友を、悲しませたくありません。
明るい手紙を書こうと思います。
読み直してみました。
連名で書いたと記憶していたのですが、正式な表記は、
「佐藤修(佐藤節子)」
となっていました。
代筆といった感じでしょうか。
いまなら「佐藤節子・佐藤修」と並べて書くでしょう。
こういうところにも、その時々の気持ちが現れるものです。
埋田さんの文章の一つが心に残りました。
「生きていると思えば、今まで通り」
そう、生きていると思えばいいのです。
人はたくさんの家族や友人、知人との死別を体験します。
それに耐えていけるのは、もしかしたら、どこかで「生きている」という無意識の意識が作動しているからかもしれません。
今も時々、そういえば彼はどうしているかなと思って、そうだ、彼はもう亡くなったのだ、と思うようなことがあります。
生きていようが生きていまいが、友は友です。
しかし、伴侶の場合はそれがなかなか難しい。
あまりに深く生を交わしすぎてしまったからでしょうか。
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コメント
佐藤さんが書かれた連名のお手紙、読ませて頂きました。
今の父の思いとも重なってきました。
一人暮らしになってしまった父。大事にします。
投稿: 埋田 | 2011/05/30 07:39
佐藤さん。亡くなった母の親友、由紀子さんへ手紙の報告です。
母は、自分が亡くなって落ち着いた頃でいいから、私からその事実を知らせて欲しいと言っていたので
私は、母の四十九日が過ぎたらと思い、心の準備をしていました。
佐藤さんにお知恵を頂いたように、母と私の連名で手紙を書くつもりでした。
四十九日は来週です。
ところが、その四十九日を待たずして、由紀子さんから母の元に梅雨見舞いのハガキが届きました。
梅雨見舞いのハガキを頂くのは、私が知る限り初めてのことです。
更に、そのハガキの文末には、
「またゆっくり会ってお話したいですね。命あるうちに(笑い)」と書かれていました。
私は徹夜で連名の手紙を書き上げ、速達で手紙を送りました。
手紙を出し終え、ひと眠りして目覚めると、母の匂いがしました。
気のせいと思い、もう一度深呼吸すると、確かに母の甘い匂いでした。
母が、手紙の内容に満足してくれているのだと感じました。
さて。
今も沈みがちな父ですが、母が親友に「何か」を知らせた証のような
梅雨見舞いのハガキを位牌の前にお供えし、母の存在をたぐり寄せようとしています。
二人の友情が、父に力を与えています。
それ程までに母は、父が気がかりなのだと思いました。
私には、父の傍から片時も離れない母の姿が目に浮かびます。
投稿: 埋田 | 2011/06/24 21:15