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2011/05/18

■節子への挽歌1354:悲しみ嘆き、後悔し、自らを責め、無為に時を過ごしましょう

コメントに投稿してくれたお2人の人が、こう書いています。

愛する人、すべてを分かち合ってきた人を失って、喜びや楽しみの感情は全くなく、罪悪感や後悔に苛まれ、ただ一日をやり過ごしている感じです。
この状態を地獄と表現しました。

妻を喪うと同時に僕はすべてを失った気がします。夢も希望も、したいことも行きたい所もない。

お2人に共通しているのは、世界が無表情になったということかもしれません。
私はそうでしたし、いまもなおそうだといってもいいかもしれません。
無表情の世界にどう関わっていいか、わからないのです。

自らが生きていることさえ意味を失っているのですが、同時に「生きないこと」もまた意味を失っているのです。
まあ簡単にいえば、みんな勝手にやってよ、という感じが、節子を失ってから少し経過しての状況です。
当時は、世界が崩壊しても、大隕石が地球に衝突しても、なにも動じなかったでしょう。
むしろ心のどこかに、そうしたことを望んでいたとさえいえます。
「したいことも行きたい所もなく」、「ただ一日をやり過ごしている」。
まさにそんな状況でした。

いまも、それが大きく変わったわけではありません。
できることなら、そういう世界に埋没していたいという気分もありますが、生きることは自分だけの営みではありません。
みんな関わり合いながら、生きている。
一人そこから逸脱するのは「正しいこと」(right)ではないでしょう。
意図的にそう考えているわけではなく、自分の意識を超えて、自然と心身がそうなっているのです。
そうした流れには抗いようがありません。
生命の不思議さを感じます。

まなさんは、こうした状態を「地獄」といいます。
「罪悪感や後悔に苛まれる」辛さはよくわかります。
私も時々、今でもですが、逃げたい気分に陥ることがあります。
不安に陥ってしまうこともある。

しかし、最近、私はこう考えるようになりました。
いなくなってなお、罪悪感や後悔に苛まれるほどに思いを込めた人と出会えたのだ、と。
それは、この辛さを補ってなお余り過ぎるほどの大きな幸せではないか。

それにしても、たった一人の、しかもどこにでもいるような人がいなくなっただけで、これほど世界は変わってしまうことがあることの不思議を思います。
節子という存在はいったい何だったのだろうか。
美人でも才媛でもなく、私と同じように、どこにでもいるただの人です。
生前、節子がよく言っていたように、「私より素敵な女性はたくさんいるでしょうに」、なぜこれほどまでの思いが続くのか。
いくら考えても不思議でなりません。

まなさん
ぷーちゃん
今の状況もまた、愛する人といっしょに創りだしたことなのです。
悲しみ嘆き、後悔し、自らを責め、無為に時を過ごしましょう。
きっとそこにこそ、意味があるのではないかと思います。
先輩面して、偉そうなことをいってすみません。
本当は皆さんとそう変わらないのですが。

今日は初夏のような日になりました。

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妻への挽歌07」カテゴリの記事

コメント

こんばんは。
私たちのコメントに、誠実に、優しく、真剣にお返事いただきましてありがとうございます。
こんなやり場のない、自分で処理しなければならない気持ちに、向き合っていただけて、それだけで癒されるような気持ちです。

お返事、最初読んだときは泣きました。
また時間をおいて、読みました。

亡くなってなお、こんなにも求めてしまうような夫だったこと。そういう夫と、それは楽しく幸せな日々を過ごしたこと。
それは、確かに大きな幸せだっと思います。
ただ、今はつらすぎて、このつらさがいつまで続くのかと絶望的な気持ちからなかなか抜け出せません。

少し前は、「この苦しみを引き受けて生きる」と前向きになれていた時期もあったのですが、
今はまた苦しい辛い、後を追いたい・・・という気持ちになっています。
そういういろんな時期を経て、少しずつ心が落ち着いてくるのでしょうか?

俳優の児玉清さん逝去のニュース。9年前に亡くなった娘さんと同じ胃がんだったということで、私はお気の毒というより「よかったですね」と思ってみていました。
きっと児玉さんはどこか嬉しい気持ちも持ちながら亡くなったのではないかと思えてなりません。

本当にお返事ありがとうございました。
佐藤さんのお気持ちが大変嬉しかったです。
このブログを拝見しているのも、節子さんを失っても誠実に生きようとしてらっしゃる佐藤さんの歩みに習おうと思う気持ちがあるのだと思います。ここに来て、節子さんへの挽歌を読んでいると、いっとき心がしんとしてきます。
また節子さんへの挽歌を読ませていただきながら、無為に過ごしていきたいと思います。

投稿: まな | 2011/05/18 23:47

まなさん
ありがとうございます。

「私たちのコメント」は同時に、私自身の問題でもありました。
児玉さんの件、全く同感です。
同じように考える人がいることを知りました。

私は、自分の気持ちを挽歌の形で吐き出すことで、心を安定させている気がします。
この「妻への挽歌」は、実は私自身の鎮魂歌なのです。
まなさんも、心身に抱え込みすぎませんように。

ありがとうございました。

投稿: 佐藤修 | 2011/05/19 08:58

佐藤様

大切なブログを僕の悲嘆のはけ口にしてしまったこと、大変申し訳なく思っております。
それにもかかわらず、温かいお返事をいただきまして、本当にありがたく思います。

妻と僕は近所でも評判になるくらい仲の良い夫婦でした。
子供がいなかったこともあり、お互いの存在が自分にとっての全てでした。

まなさんも仰る通り、亡くなったにも関わらず、こんなにも愛し続けられる人と巡り会えたことはとても幸せなことなのでしょう。

僕の知人には「子供のことは愛しているけれど、妻のことは愛していない」、「夫のことは愛していない、弁護士と結婚したかっただけ」と公言する人もいます。
そういう人たちと比べれば、はるかに幸せな20年間だったんだとは思います。

ただ、今はその幸せを感じることのできないほどの大きな喪失感に見舞われています。

児玉清さんが娘さんに先立たれたことは、まなさんのコメントで初めて知りました。
僕も「娘さんのところに逝けて良かったですね」という気持ちです。

飯田史彦氏の「生きがいの創造」をご存知ですか。
内容については半信半疑です。
ですが、僕がいつかこの世を去るとき、また妻に会える、決して永遠の別れではない、そう自分に言い聞かせて地獄のような日々を何とか乗り切っています。

投稿: ぷーちゃん | 2011/05/19 12:42

ぷーちゃん
私は娘が2人いますが、妻はやはり特別な存在でした。
比較はできませんが。

私たちもかなり仲良しでした。
夫婦喧嘩は多かったですが。

飯田さんは古くからの友人で、
彼の結婚式にも行きました。
彼との関係では不思議な縁もあるのです。
いつかまた。

投稿: 佐藤修 | 2011/05/19 22:25

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