■節子への挽歌1338:生命とは強くてもろいもの
節子
庭の藤が満開です。
クマンバチがたくさん寄ってきています。
節子がいなくなってから庭の手入れが行き届かず、かなりの花木を枯らせてしまいました。
私たちの思い出のある花木もだいぶ失われてしまいましたが、まあ生命あるものいつかは消えていくのですから、仕方がありません、などというと、節子がまた「相変わらず都合のいいように納得してしまうのね」と笑うでしょうが。
まあそこが私の良いとこなのです。
一昨年は「北斗七星」の形に咲いたナニワイバラは、今年はランダムにわっと咲いてしまいました。味も素っ気もありません。
自然は気ままでもあります。
昨年やっと復活してくれたサツキは芽を出してくれません。
油断していたら復活をやめてしまったようです。
節子が大事にしていた山野草もあんまり状況がよろしくありません。
自然と付き合うのは大変です。
生命とは強くてもろいものです。
植物と付き合っていると、それがよくわかります。
そして、節子もそうでした。
3月の東日本大震災で被災した人たちの報道を見ていても、そう思うことがよくあります。
いえ、それよりも、私自身がまさに「強くてもろい」存在であることを最近は痛感しています。
さて今日も、庭や室内の花に水をやりましょう。
水をやりすぎて枯らしたランや、水が不足して枯らしたパピルスなど、わが家の植物はだんだん少なくなってきていますが、今年は増えるようにもう少し誠意を持とうと思います。
節子は、たぶん信じてはいないでしょうが。
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