■節子への挽歌1339:またお風呂で寝てしまいました
節子
また湯ぶねで寝てしまいました。
最近こういうことが多く、そのうち、浴槽で溺死してしまうかもしれません。
今日は久しぶりに湯島に出ていましたが、来客続きで昼食を食べ損ないました。
その後も来客やら用事でばたばたしてしまい、帰宅したら死にそうなほど疲れてしまいました。
お風呂もやめて寝たかったのですが、娘が攻めて湯ぶねにつかるだけでもと言うので、入ったのですが、気がついたら寝ていました。
困ったものです。
私は一人で何かをするのが嫌いです。
話す相手がいないとだめなのです。
ですから、一人でレストランに入ることはまずありません。
お風呂も一人が好きではなく、節子がいた頃はいつも一緒でした。
だから一人でお風呂に入っても退屈で仕方がありません。
話し相手がいないことがどれほど退屈なことなのか。
沈黙が苦手なのです。
今日、午前中にお会いした人も私と同じで、沈黙が苦手な人です。
彼は、2人で話している場合、間が耐えられないので、ついつい余計なことを話してしまうといっていましたが、よくわかります。
余計なことを言うと、いろいろと問題を起こしかねません。
それもまたよくわかります。
節子との会話でも、余計なことを話して夫婦喧嘩になったことはよくありますが、喧嘩は要するに話し合いですから、私は好きでした。
しかし節子は好きではないようで、喧嘩すると口をきいてくれなくなるのです。
沈黙には弱い私は、そこでやむを得ずにすぐ謝ってしまっていました。
話がそれました。
お風呂の話でした。
昔、私が好奇心に任せてさまざまなプロジェクトに取り組んでいて、節子と話す時間があまり取れない時期がありました。
その頃の私たち夫婦の会話はお風呂でした。
お風呂では身体を洗うよりも会話だったのです。
そういう生活が長かったので、会話のない入浴は退屈で仕方がないのです。
会話できないお風呂の時間は退屈で、ついつい寝てしまうのです。
それだけではなく、お風呂で寝てしまうほどに疲れているのかもしれません。
生活のリズムが崩れると大したこともしていないのに疲れを感じます。
いや、大したことをしていないから疲れるのかもしれません。
明日はちょっと「大したこと」に挑戦してみましょう。
地震以来放置していた掃除に取りかかることにします。
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