■節子への挽歌1366:古希だそうです
今日は私の古希の誕生日です。
実は私には、誕生日を祝う文化はありません。
子どもの頃は誕生会があり、結婚してからも家族が祝ってくれました。
しかし、私にはほとんど興味がないのです。
なぜ誕生日を祝うのか、理由があまりぴんとこないからです。
1年間、無事過ごせてきたことを祝うという意味なのでしょうが、とりわけ問題がある状況ではないので、祝う意味がないのです。
粗雑に生きてはいますが、私には毎日毎日が同じように大切なのです。
闘病していた節子の場合、状況は全く違いました。
60歳の誕生日を迎えられるだろうか、それが節子の、そして家族の気持ちでした。
60歳を迎えて、次は61歳。そして62歳。
63歳の誕生日は迎えられませんでした。
当時、節子にとっても私にとっても、誕生日は格別の意味があったのです。
しかし、いまの私には全くありません。
いささか天邪鬼の私は、誕生日を祝う気はありませんでした。
ところがです。
最近はじめたフェイスブックを開いたら、たくさんの誕生日おめでとうのメッセージが届いていたのです。
そしてそこにさまざまなエールが書き込まれていました。
それを読むと、私もけっこう人の役にたってきたような気になります。
自慢ぽく、節子に読ませたいものもあります。
「お祝いではほめるのが当たり前よ」と節子はきっと笑うでしょうが。
お祝いされるとなにやらうれしくなってしまうのは、歳のせいでしょうか。
ほめられると奇妙に反発してしまうのが、私だったはずなのですが。
節子がいなくなってから気弱になったようです。
ふだんほめてくれる人がいなくなったからかもしれません。
節子は、私がどんなことをしても、認めてくれましたから。
韓国の佐々木さんが、韓国では「生日」の尊敬語が「生辰」で、同じ発音で「生新」生き生きして新しいことという言葉がある、と教えてくれました。
そして、古希の記念に入院するそうだが、疲れた心身を療養によって癒され、生新の気分で戻ってくるように、とエールを送ってきてくれました。
古希の記念に入院するのだと気づきました。
天は、すべての人の生き方をしっかりと見ていてくれるのです。
誕生日は素直に喜ばないといけません。
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