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2011/05/14

■節子への挽歌1350:夫婦での散歩のお薦め

節子
久しぶりにチビ太の散歩に行きました。
最近は歩くのもやっとで、あれほど喜んでいた散歩も、あまり喜びません。
それにあまり無理をさせないほうがいいとお医者さんにも言われています。
いつぞやは歩く向きを変え損なって、仰向きに転んでしまいました。
それ以来、ともかくチビ太の歩く速度に合わせてゆっくりと歩くようにしています。
たった200メートルくらいの往復に20分近くかかるのです。

今日、そうやって散歩しながら、節子と一緒の散歩のことを思い出しました。
節子も、「その年」の今頃はチビ太と同じようなテンポでした。
それでも節子は散歩を止めませんでした。
節子と一緒の散歩は、悲しい散歩も楽しい散歩もつらい散歩もありました。
手術直後のリハビリのための散歩は泣きながらだったことも少なくありません。
一緒に散歩していると、特に話などしなくても、お互いのことがよくわかります。
歩き方に、その人の性格や価値観が自ずと出てくるからです。

節子とは、散歩ではありませんが、一緒によく歩きました。
考えてみれば、私たちは奈良を1日、歩き続けることから始まったのです。
電車で偶然に会って、そのまま奈良に行き、奈良公園から、春日大社、東大寺をまわって、奈良駅に着いた時には、もう暗くなっていたのを覚えています。
それからもよくいろんなところを歩きました。
私たちが一緒に歩いた距離はどのくらいでしょうか。
かなり長いかもしれません。

しかし、自宅の周辺の散歩は、節子が胃の手術をしてからです。
日常生活における散歩は、もう少し歳をとってからという思いが、私にはあったのです。
もっと早くから一緒に散歩することが、生活に組み込まれていたら、私たちの人生は変わっていたかもしれません。
そんな気もします。

ご夫婦で散歩している姿を時々見かけます。
うらやましいという思いではなく、素直に祝福したい気がします。
私たちができなかった分も、たくさんしてほしいです。
夫婦にとっての散歩の効用はとても大きい。
それに気づかなかったのが、とても悔やまれます。
そして、その気になればできるのに、それをしない夫婦が多いのが残念でなりません。
まあ、私たちもそうだったわけですが。

もしお読みなっている方で、夫婦での散歩をされていない人がいれば、ぜひ伴侶の方に声をかけて、明日にでも一緒に散歩に出かけてみてください。
世界が変わるかもしれません。
私にはもうできませんが、できる人にはぜひお薦めしたいです。

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コメント

はじめてコメントさせていただきます。
昨年の6月27日、最愛の妻を癌で亡くしました。享年43歳でした。同棲していた頃を含めると20年間の共同生活でした。
この間、千葉県の浦安、練馬区の石神井公園、江東区の豊洲と移り住んできました。
どこに住んでいるときも、妻と僕は土日のたびに散歩ばかりしていました。
旅行にもよく行きましたが、旅先でも散歩ばかりしていました。
二人で散歩した距離はどれほどになるでしょう。ちょっと想像がつきません。

いつも挽歌を読ませていただいています。
時には涙を流しながら。

最愛の妻を喪って、僕は壊れてしまったようです。
毎晩、仕事から帰ると、泣きながら酒を飲みます。
妻が元気だった頃は散歩をして過ごした休日は、今では朝から夜まで酒を飲んで泣いています。

いったいいつまでこの地獄が続くのでしょう。
妻を喪うと同時に僕はすべてを失った気がします。夢も希望も、したいことも行きたい所もない。
今はただ、一日でも早く妻のもとに逝けることだけを望んでいます。

投稿: ぷーちゃん | 2011/05/16 12:04

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