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2011/05/08

■節子への挽歌1344:カーネーションのない母の日

今日は母の日です。
残念ながらわが家には何事も起こりませんでした。

節子がいた頃は、みんなで母の日を祝って食卓を囲み、娘たちは節子に何かをプレゼントしていました。
父の日とはだいぶ違いました。
そういえば、母の日は私が子どもの頃からありましたが、父の日は途中で誰かがつくったものですので、私にはほとんど興味がないというのも一因でした。
私がまだ小学生の頃は、母の日にはみんな赤いカーネーションを付けました。
母親のいない子どもは、白いカーネーションでした。
今から思うと何という思いやりのないルールだったかと信じられない気がします。
大人のルールに懐疑的だった子ども時代の私は、当時から反発していました。
私はカーネーションが好きではありません。

今日は節子の位牌壇にもカーネーションは飾られていません。
なぜ飾らないのと娘に訊いたら、節子もカーネーションが嫌いだったのだそうです。
今日はじめて知りました。
それでわが家の庭にはカーネーションがないのです。
それで節子に供えるのは撫子なのだそうです。
そういえば、一昨日のお墓参りの花にも撫子が入っていました。
考えていないようで、娘たちはいろいろと考えてくれているようです。
私とはだいぶ違います。

節子への母の日プレゼントは私が代理で受け取るよと娘たちにいったのですが、相手にされませんでした。
どうも母親と父親は違うようです。
いや私が親としてあまり認知されていないのかもしれません。

節子は節句とかメモリアルデイとかイベントデイは、それなりに好きでした。
私は古来の節句などはともかく、誰かが勝手につくった商業主義的な「○○○の日」というのは好きではありません。
私が嫌いなせいか、節子がいなくなってから、そうした祝膳が少なくなったような気もします。
しかし、娘たちが適度に節子的な食事を用意してくれます。
その日が、わが家の祝日なのです。
まあわが家の祝いの膳と言っても、手巻き寿司や筍ご飯や、まあそんな程度なのですが。

明日はみんなで夕食は韓国料理に行くそうです。
明日は何の日なのでしょうか。

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