■節子への挽歌1351:終わらぬ日々がつづく
昨夜、NHKBSテレビで「死刑 被害者遺族・葛藤の日々」を見ました。
時評編で書きましたが、先日、ブログの読者から「死刑弁護人」の本が事務所に届いていたこともあって、しっかりと見せてもらいました。
この番組は、今年の3月、最高裁で死刑が確定した連続リンチ殺人事件(1994年)で息子を殺された夫婦と弟を殺された人の17年間の心の動きを追ったドキュメントです。
主軸にあるのは、被告との関係を通しての、それぞれの心の葛藤です。
息子を失った夫婦は最後まで被告と会うことを拒否し、死刑を求めてきました。
一時期、被告から繰り返し届く謝罪の手紙に心が揺らぎますが、弁護士からの電話で弁護士の意図を感じて、再び心を閉ざします。
そして死刑が確定した時には涙ながらに喜び息子に報告するのですが、3か月後の取材では、気持ちがやはり整理できないと語ります。
目的が達成されてはじめて、死刑の持つ重さに気づいたのかもしれません。
弟を失った人は、途中で死刑反対に心が変わりますが、それでも時々、死刑反対を唱える弁護士たちに利用されているのではないかという迷いが生まれると語ります。
被告には会い続けますが、裁判の途中で脳梗塞で倒れてしまいます。
しかし、リハビリに励み、また刑務所に被告に会いに行きだすのです。
彼は死刑判決を聞いて「残念」と不自由な口で一言つぶやきます。
被害者遺族にとっての死刑とは何か、そのことを通して、生きるとは何かを考えさせてくれる番組でした。
こうした重い番組は、最近どうも苦手です。
一人で見るには、いささか辛いです。
かといって誰か第三者と見るのは、さらに辛いような気がします。
そういう番組を見ていると、自分でも気づいていなかった生の自分が露出するからです。
節子であれば、その露出がむしろ自分のパワーになりますが、節子以外の人だったら、それがたとえ娘であっても、心安らかではないように思います。
番組の話を長々と書きましたが、最後のナレーションでドキッとしました。
「被害者遺族にとっては、終わらぬ日々がつづく」
そんなナレーションだったと思います。
今思い出して、文字にしてしまうと何の感慨もないのですが、昨夜、番組を見ての最後にその言葉を聴いた時には、まるで自分のことを言われたような気がしたのです。
始まったことは終わらない。
愛する人の死は、それが病死であろうと殺害であろうと、人生を変えてしまいます。
変わった人生は、もう再び変わることはないのです。
この挽歌の読者の方がコメントにこう書き込んでくれました。
私はまだ40代なので、あと何年、夫無しで生きていかなければならないかと思うと、ぞっとします。新しい人生が、生き地獄であってはいけません。
生き地獄です。
そう思いますが、私には、そしてたぶんご本人以外には、成す術がないのです。
生きるとは一体何なのか、この歳になって、そんなことを考えようとは思ってもいませんでした。
今頃は、縁側でのんびりと節子と意味のない無駄話を語りあっていたはずなのですが。
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