■節子への挽歌1363:節子のいないサロンの準備
節子
久しぶりに新潟の金田さんが湯島に立ち寄ってくれました。
大震災以後、初めてでしょうか。
地震の後、自宅に電話をかけてきて、米がないようだが、水は大丈夫か、と心配してくれた人です。
私よりも、我孫子の被災状況をよく知っていました。
金田さんの奥様も数年前に体調を崩されました。
その時に、金田さんから「佐藤さんの思いがよくわかった」と電話をいただきました。
それ以前から、金田さんは私たちのことをいつも気遣ってくれていましたが、それ以来、その気遣いぶりはますます高まった気がします。
以前も書いたような気がしますが、「気遣うように生まれた人」と「気遣われるように生まれた人」とが、いるように思います。
私は後者です。
周りの人への気遣いがあるようでないのです。
自分でもそれがよくわかっていますので、あまり無理はしません。
それでも時々、気になる人がいます。
昨日もちょっと連絡が途絶えていた人に連絡を取ったら、今日から入院ということでした。
入院の直前まで、私は気付かないのです。
そして逆にその人から気遣われてしまいました。
節子はどちらだったでしょうか。
どちらかといえば、節子もまた気遣うよりも気遣われる人だったかもしれません。
今にして思えば、私たちはわがままに身勝手に生きていたような気がします。
そうした私たちを、たくさんの人が支えてくれていました。
毎月、最後に金曜日に開いていた、誰でも歓迎のオープンサロンに集まる人たちが、私たちを支えてくれていたのです。
今日は、そのオープンサロンです。
いまちょうどサロンが始まる1時間前。
御徒町の吉池や松坂屋で軽食素材を買い込んだ節子がやってくる時間です。
サロンが始まるまでの1時間、準備をしながら、今日は誰がきてくれるだろうと節子と話していたことを思い出します。
節子がいなくなってから、サロンもさびしくなりました。
買い物嫌いな私はお菓子を買うのが精一杯です。
食べ物もさびしくなりましたが、最近は参加者も少なくなりました。
サロンの常連だった黒岩さんもいなくなりました。
節子がいなくなったので、私の口の悪さを止める人もいなくなり、常連だった武田さんももう行かないと来なくなりました。
さて今日は誰が来るでしょうか。
節子はこの部屋のどこかにいるのでしょうか。
夕方のこの時間が、私は一番嫌いです。
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