■節子への挽歌1337:イザナキかオルフェか
愛する人を冥界まで探しに行った話で有名なのが、日本のイザナキとギリシア神話のオルフェウスです。
これについては、この挽歌でも何回か書きました。
この両者はよく似ているといわれますが、実は全く違います。
最近、ようやくこの挽歌でも「死」と言う言葉を使えるようになったので、書くことにします。
イザナキもオルフェウスはルールを破ったために愛する人を現世に連れてこられませんでした。
そこまでは一緒ですが、そこからが違います。
オルフェウスは、その後も愛する妻を思い続けます。
しかしイザナキは、冥界の妻の姿を見てしまってからは、妻から逃げようとするのです。
そこからの話は「死霊との闘い」です。
そしてそこに端を発したせいか、いまも日本では死者を送った後は自らを塩で清めます。
このあたりのことは、工藤隆さんの「古事記の起源」(中公新書)にわかりやすく書かれています。
私は節子を見送るまで、死者への恐れがとても強く、墓地にもあまり行くことができませんでした。
墓地から伝わってくる冥界のエネルギーを素直に受け容れられなかったのです。
ところが、節子を送った後、そういう恐れがなくなりました。
節子を送った直後は、異常なまでになくなりました。
父母の時とはまったく違いました。
薄暗い、だれもいないがらんとした真夜中の葬儀室に、遺体と2人だけでいるなどということは、それまでの私にはとてもできなかったでしょう。
愛する人の死を体験すると、人は冥界に関する捉え方が変わってしまうような気がします。
工藤隆さんの本によれば、古代人はそもそも死を恐れるものだったようです。
だからこそ篤く弔い、埋葬するわけです。
そうしないと祟られるかもしれません。
墓石は冥界との入り口をふさぐものかもしれません。
オルフェウスのように、冥界を恐れないのは知性が生み出した物語だと工藤さんは言います。
納得できるような気もしますが、違和感がないわけでもありません。
ネアンデルタール人が、死者に花束を供えていたことは有名ですが、そこに感ずるのは冥界との往来の思想です。
むしろ知性が冥界との通路を閉ざすために、死霊や地獄の思想を生み出したようにも思われます。
彼岸や天国の思想は、それへの反論です。
イザナキかオルフェかと問われれば、私はオルフェ的な生き方をしています。
今もなお、おろおろしながら、生きているわけです。
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