■節子への挽歌1365:亡くなって初めて見えてくるもの
節子
最近知り合った人からメールが来ました。
昨年、両親を共に亡くしましたが、亡くなって初めて見えてくるものが沢山あります。「亡くなって初めて見えてくるもの」
人が亡くなる、それまで有ったものやコト、周囲の環境の突然の変化などなど変わって、また無くなって判ることがある・・・ということを学びました。
想像力は人並みにあると自負していましたが、気づいてみると、「ああ、自分もこの程度か」と思ってしまいました。
月並みですが、一日は一生という言葉を日記に連日、書いています。
よくわかります。
私にもたくさんあります。
節子の悪いところ、良いところ、日時を経るにつれていろいろ気づくのです。
なぜもっと早く気づかなかったのか、悔やんだことも少なくありませんでした。
節子のことはすべてわかっていたというのは、大いなる誤解でした。
しかし、悪いことも良いことも、今となってはすべて節子の「良さ」であることは言うまでもありません。
ニーバーも言っています。
直せないものはすべて良いものだ、と。
いえ、これは私の勝手な解釈なのですが。
「一日は一生」
これは病気になってからの節子の生き方でした。
粗雑な生き方をしていた私には、教えられることが多かったです。
しかし、これはたぶん教えられて身につく生き方ではないのかもしれません。
できる事はできる時にやっておくという節子だったからこそできたことかもしれません。
私も一時期、努力しましたが、節子がいなくなってからはまた以前の粗雑な生き方に戻ってしまいました。
むしろ粗雑さは高まりました。
生きることへの未練は、ほとんどなくなりましたから。
昨夜、節子の夢を見ました。
とてもあったかな気持ちになる夢でした。
久しぶりに涙が出ました。
しかし、心が安らいだ気がします。
最近、かなり疲れていましたが、節子はそれを知ってやってきたのかもしれません。
もしかたら、節子も(自分が)亡くなって見えてきたことがあるかもしれません。
私のどういうところに気づいてくれたでしょうか。
たぶんますます私を好きになってくれているはずです。
私と同じように。
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