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2011年6月

2011/06/30

■節子への挽歌1397:暑い夏の夜は嫌いです

節子
暑さのせいか、わが家のチビ太がかなりおかしくなっています。
夜になると怯えたように動き出すのです。
熱帯夜のせいかと思い、扇風機やクーラーも試みましたが、効果はありません。
ともかくうろうろと歩き回り、東を向いて吠え続けるのです。
夜ですから近所の迷惑になっていることは間違いありません。
吠えないように、かなりの努力をしていますが、うまくいきません。
昨夜も明け方の5時15分まで、チビ太のいる近くのソファで寝るでもなく、寝ないでもなくの夜を過ごしました。
いまは頭がボーっとしています。

吠え続けるチビ太に声をかけながら、なぜ彼が吠え続けるのだろうかと考えるのですが、理由が思いつきません。
怯えたようなチビ太を見ていると、なにか霊気かあるいは放射線に怯えているのかとさえ思えます。
人間でいえば、おそらく90歳を超えたであろうチビ太には、少なくとも私には見えないものが見えるのかもしれません。

4年前の夏。
節子にとって、そして私たち家族にとって、一番辛かった夏でした。
昼も夜も、節子と一緒に過ごしましたが、あの当時、私は果たして節子のことをどのくらい知っていたのだろうかと思うと、いつも心が痛みます。
本当に、私は節子と共にいたのだろうか。と。
特に夜になると、そう思います。
だから、私には暑い夏の夜はとても辛いのです。
節子に懺悔した気分になります。

節子も、チビ太と同じように、私には見えないものを見ていたのでしょう。
それを私に伝えたかったのかもしれません。
話すのも辛そうな節子に、また元気になったら、と私は話を拒んでいたのではないかとも思います。
節子のことはすべてわかっていたということは私の傲慢な誤解かもしれません。
いや、間違いなくそうでしょう。
チビ太のことがわからないように、節子のことも何一つわかっていなかった。
そう思うと悔しくてしかたありません。
だからそう思わないようにしているのです。

辛い夜も、朝になるとどこかホッとして、気分が変わります。
夜の世界と昼の世界は、ハデスとゼウスの性格のように、まったく別の世界なのかもしれません。
昼間に思い出す節子との最後の夏の思い出と、夜に思い出す節子との最後の夏の思い出とは、明らかに違います。
もしかしたら、本当は私もチビ太のように、吠え続けたい衝動がどこかにあるのかもしれません。

問題のチビ太は、いまは夜よりも暑いはずなのに、熟睡しています。
蹴飛ばしたくなるほど、よく寝ています。
今夜も不安ですね。
Cibita

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■原発をめぐる駆け引きとその本質

原発を巡って電力会社の株主総会は賑やかだったようですが、基本的には原発推進の動きが強まるような気がします。
菅政権のうちに、原発路線を一歩でも進めておこうと言うように思います。
菅首相は自然エネルギーへの関心を語っていますが、おそらく陽動作戦としか思えません。
彼はもちろん、現民主党政権は原発推進派だろうと思いますが、なぜかそう思っていない人が多いのには驚きます。

九州電力の玄海原発の運転再開の動きは予想以上の早さです。
また巨額なお金が動いたとしか思えません。
これでさらに勢いがつくでしょう。
しかし、日本国民の多くは原発依存を変えていませんから、仕方がないことかもしれません。
マスコミの姿勢が変わらない限り、この事態は変わらないでしょう。

福島原発では、相変わらず、水漏れなどのお粗末なトラブルが続いています。
昨日、テレビの報道ステーションで「原発専門家」が、原発はキットとしては安全だというような話をしていました。
あまりにも馬鹿げた発言だったので、記憶が間違っているかもしれませんが。
こういう専門バカに私たちの生活は依存しているのかと思うといやになります。

「原発立地の安全性に関する科学者たちの議論を垣間見ると、往々に みして、安全性の問題が原子炉リスク管理という技術的な問題に収束される傾向がある」
こう書いているのは、国際基督教大学助手の中野佳裕さんです(「脱成長の道」)。

先日、湯島のオープンサロンで、ハイテクではなくローテクこそが大切だというような話が話題になりました。
どんな精度の高いシステム(キット)をつくっても、実際にそれは自然の中に設置され、人間が操作するのです。
実験室でおもちゃを作るのとは違うのですが、そのことがあまりにも軽視されています。

もっとも中野さんが言いたいのは、たぶんそのことではなく、生活の視点、人権の視点からの問題提起です。
彼はこう書いています。

原発のメカニズムの矛盾の科学的な検証は、もちろん重要である。しかし、より構造的かつ歴史的な観点から言えば、問題とされるのは、原発それ自体の技術的性能以上に、近代民主主義成立の根拠となる人権概念と照合した際の妥当性である。
前に何回か書いていますが、私の反原発の契機は、原発が人権を無視していることを知ってからです。
人間を基本にしない発想は改めなければいけません。
私は東レに勤めていた時に、会社の経営理念を見直させてもらいました。
新たに作成した理念のなかに、「人間を基本とする経営」という要素を入れました。
全社での議論を踏まえて、役員会でも議論してもらい、最後は経営会議で決定しました。
しかしある役員から、これまでの経営は人間を基本としていなかったのかと揶揄されました。
そして、私が会社を辞めてすぐに、新しい社長は経営理念を変えてしまいました。
これはほんの小さな事例ですが、時代の流れを象徴しています。

1980年代と同じく、企業はまた、大きな岐路にあるように思います。
今日は、ビジネススクールで話をさせてもらいますが、サブシシテンスから考える経済や経営の話を少しだけしてこようと思います。
伝わるといいのですが、もしかしたら状況は1980年代よりも悪いかもしれません。 

原発論議は、人間の生活を起点において考えなければいけません。
そうすれば、議論の余地のないほど答は明確なような気がします。

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2011/06/29

■節子への挽歌1396:融けるような暑さ

節子
融けるような暑い日です。
朝はとてもさわやかで、陽光と鳥のさえずりで目を覚ませました。
いつものように、少しだけ節子のことを思いながら、今日は生まれて初めて節子に「恋文」を書こうかと言う気になっていたのですが、起きて動き出したら、恋文のことを忘れてしまいました。
ずっと天気が悪かったり不在だったりしていたので、放っておいた「家事」をしていたのです。
節子がいたら、私には必要のない家事です。

玄関の水瓶を復活させました。
節子だったらそろそろ水草を浮かべだすだろうなと思ったのです。
庭の金魚は全滅のようですが、幸いに黒めだかは元気です。
節子ならなにがしらの遊び心を込めたでしょうか、その元気も今日はありません。
Suisou

それにしても暑いです。
明日はあるところで講演させてもらう予定ですが、その準備をしようかとパソコンに向かったのですが、身体が融けてくるような暑さです。
わが家にはクーラーは来客のスペースにしかなく、各人の部屋にはありません。
夏は暑いところに価値がある、などと言っていた頃が懐かしいです。

身体が融ける前に、頭の中の脳が融けてきているようで、思考力も生まれません。
そんなわけで、また節子を讃える恋文挽歌は今回も実現しませんでした。
実は時々、私がいかに節子を愛していたかという挽歌を書こうと思うこと事があるのです。
しかし、いざ書こうと思うと、そういう恋の言葉はどこか遠くに言ってしまい、カジュアルでどうでもいい思い出が浮かんでくるわけです。
やはり「恋のうた」は秘め事の世界のことなのかもしれません。

夕方になって、少しだけ涼しい気配が出てきましたが、まだ暑いです。
身体に汗がジトーっと出てきます。

私が暑い夏が嫌いになったのは、節子との最後の夏が暑かったからです。
この暑さの中を闘病している人に、エールを送りたいです。
決して暑さに意志を融かされませんように。
奇跡は、信じなければいけません。

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2011/06/28

■節子への挽歌1395:フェイスブック

節子
今日の暑さは異常でした。
その暑さの中を湯島のオフィスに出かけました。
特に用事はなかったのですが、日曜日に持っていったランタナの鉢に水をやるのを忘れていたことを思い出したのです。
ランタナを選ぶか、自分の熱中症予防をするか、二者択一でしたが、ランタナを選びました。

節子もよく知っているように、私はランタナが好きなのです。
書斎にもオフィスにもランタナをよく持ち込むのですが、手入れ不行き届きでダメにばかりしているのです。
ちなみに、私が好きな花は手のかかる花が多いので、よく枯らすのです。
ランタナは、手のかからないほうですが、それでもよく枯らしました。
それで今回はランタナへの水やりを選んだのです。
よりによってこの暑さのなかをとも思いましたが、暑いのは私だけではありません。
ランタナも暑さに疲れていることでしょう。

そのことをフェイスブックに書いたら、最近、フェイスブックで知り合ったSさんが、ランタナという花はどんなに価値があるのかと思ったのか、ネットで調べたのだそうです。
そしたら、毎朝散歩している際道際に咲いている花だということがわかったそうです。
Sさんはこう書いてきました。

ランタナってどんな植物だろうと検索しましたら、散歩道に咲いている花でした。
長年、名前が分からなくて、喉に小骨が刺さっている感じでしたが、これですっきりしました。
フェイスブックが面白いのは、こういう交流があるからです。
ちなみにSさんとはまったく面識はありません。
つい先日、「友達リクエスト」が届いたのです。
リクエストの理由をSさんはこう書いてきました。
私より年長の方は極めて希でしたので、「友達になる」をクリックいたしました。
たしかに言われてみるとそう多くはないかもしれません。
しかし、高齢者こそフェイスブックをやる意味があるような気がします。
こんな暑い日も、自宅にいながらにして世界と触れ合えるからです。

節子はインターネットが好きではありませんでしたが、フェイスブックはきっと気にいったと思います。
残念ながらまだインターネットは彼岸とはつながっていないようですが、はやく彼岸ともつながってほしいです。
彼岸にいる友人たちともぜひとも交流したいと思います。
此岸にも友人は多いですが、最近は彼岸に転居した友人も少なくありませんので。

それにしても、今夜も暑くて、茹りそうです。

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2011/06/27

■節子への挽歌1394:情念のエントロピー

私が会社に入ったのは昭和39年です。
その年に節子に会ったわけですが、節子以外にも私の人生を方向づけた出会いがありました。
同期で入社したかなり年上の岡田さんというドクターから教わった「エントロピー」と言う概念です。
今でこそ知っている人も多いですが、当時はまだあまり知っている人もなく、私には実に新鮮な話でした。
岡田さんがなぜその話を私にしたのか、わかりませんが、当時はまだエントロピーという話に興味を持つ人は少なかったようで、岡田さんは私にていねいに説明してくれたのです。
最初に話を聞いたのは電車の中でした。
節子と最初に、親しく話したのも電車の中でしたが。

岡田さんとはなぜか気が合い、三島での新入社員教育の時にも2人でこっそりと抜け出し、近くの三保の海岸に泳ぎに行ったりしました。
見つかればさぞ怒られたでしょうが、同期入社した親友社員は200人以上でしたから見つかりませんでした。

企業経営にもエントロピー発想は大切だと思い、少しは勉強もしました。
雑誌に経営論を連載した時にエントロピーの話も書いたのですが、友人の大学教授が関心を持ってくれて、自分の著作に取り上げてくれましたが、他には反応はありませんでした。
その後、大学で経済学を教えてくれた玉野井芳郎さんが、エントロピーとエコノミーをつなげて考察している本を読んで感激しました。
玉野井さんの授業は実に退屈だったので名前をしっかりと覚えていたのですが、私が卒業後の授業内容は全く違っていたようです。

なぜこんなことを急に思い出したかと言うと、ある本を読んでいて、エントロピーと玉野井さんの名前が出てきたからです。
そして、当然ながらその関係で、シュレディンガーのことも出てきました。
生きるとは、体内で発生する余剰エントロピーを体外に捨てることによって自らを維持することである、と言ったのはシュレディンガーです。
有名な定義ですが、その言葉に久しぶりに出会って、すぐ思いついたのが、この挽歌です。
私の心身で発生する過剰な情念を吐き出す役割を、この挽歌が果たしていることに気づいたのです。
エントロピーと情念は違いますが、つながることも多いような気がします。
もしかしたら、「エントロピー心理学」あるいは「エントロピーセラピー」なるものがあるのではないかと思い、ネット検索してみました。
あってもよさそうですが、言葉としてはまだないようです。
「情念のエントロピー」という捉え方もおもしろいと思いましたが、これもありません。
なければ創るのがいいですが、まあ今のところ、そこまでは乗っていません。

それで論理的ではないのですが、例によって飛躍的な結論です。
私にとって、生きるとは挽歌を書き続けることなのです。
書き続けないと情念が過剰化し、思いの構造が破壊し、心が変調をきたすわけです。
人は、それぞれの過剰な情念を処理する仕組みを持たないといけません。
その方法が見つかれば、世界から戦争やテロはなくなるかもしれません。

またひとつテーマが見つかりました。
あんまり取り組む気はないのですが、おもしろそうだと思いませんか。

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■ふたつの豊かさ

山口県の二井知事が、中国電力の上関原発建設予定地の埋め立て免許の延長を現状では認めない方針を表明しました。
上関原発の建設予定地は、最近、話題になっている映画「祝の島」や「ミツバチの羽音と地球の回転」の舞台でもある祝島のすぐ目の前です。
自然に恵まれて、豊かな暮らしをつづけてきた祝島の人たちにとっては、とんでもない話だと思いますが、二井知事はこれまで国の方針に従って原発建設を推進してきました。
今回、埋め立てをストップさせたのは、福島原発事故以来の流れの中で、知事にとっては「やむを得ずの決定」だったのだろうと思います。
しかし、もし仮に福島の事故が起きなかったらどうだったでしょうか。

祝島には豊かな文化があるといわれています。
しかしそれは、私たちが目指してきた「お金で構築された豊かさ」ではありません。
自然や歴史、あるいは人のつながりの中で育まれてきた豊かさです。
上関町はどうだったのでしょうか。
おそらく自治体としての財政的な理由で、原発の誘致を認めたのでしょう。
それによって、福島がそうであったように、巨額の原発マネーが入ってくるばかりか、これまでとは違った「働きの場」も生まれ、経済は成長したかもしれません。
しかし、それによってもたらされる「豊かさ」と地域が長年培ってきた「豊かさ」とは。まったく別のものと言っていいでしょう。
そのどちらの「豊かさ」を選ぶかは、そこに住んでいる人が決める問題です。
それをとやかく言うべきではないと思いますが、今回の原発事故が明らかにしてくれたことは、「そこで住んでいる人たち」とはいったい誰なのかということです。
技術の巨大化は、影響を与える地域を想像以上に広げているのです。
広がりは空間的だけではなく、時間的にもいえるでしょう。
福島の住民たちが被害者であると共に、加害者であるという事実は、決して忘れてはいけません。
地域を預かるということは、そういうことなのだろうと思います。
もちろん安い電気の恩恵を受けてきた私も、福島県民と同じように、加害者でもあります。

被害者として考えるか、加害者として考えるか。
それによって行動は変わってきます。
そして、そのことは、ふたつの豊かさのいずれを目指すかにもつながります。

最近盛んに言われる節電発想に、私は大きな違和感をもっています。
一時期盛んに放映されたACのCMのメッセージも、どうしてもなじめません。
何をいまさらと思いますし、そういう流行で動いている人たちはどうせまた元に戻ると思っています。
大切なのは、自らの生き方です。

東北復興の先に何があるのか。
復興すべきは、東北ではなく。私の生き方だろうと思います。

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2011/06/26

■節子への挽歌1393:極楽浄土

節子
平泉の中尊寺が世界遺産になりました。
今日は、朝から何回も中尊寺の映像を見ました。
今日放映された「世界遺産」も中尊寺でした。
節子と一緒に歩いた道も出てきました。

中尊寺に節子と行ったのは、節子が病気になってからです。
節子がちょっと元気になった2年間、私たちはさまざまなところに行きましたが、行き場所を選んだのはいつも節子でした。
実は、そうして節子と一緒に行った旅の記憶は、今の私の記憶にはあまり残ってはいないのです。
節子は、いつも旅が終わると、また一つ一緒の思い出ができたねと笑っていましたが、なぜか私にはあまり残っていないのです。
今となっては、本当に節子と一緒に行ったのだろうかと思うことさえあります。
金色堂さえも一緒に入った記憶がありません。
なぜでしょうか。
もちろん行ったことは間違いなく、写真も多分残っているでしょう。

平泉は藤原三代が創りあげた東北の極楽浄土です。
私が最初に行ったのは、中学校の修学旅行でした。
その時の金色堂の印象がとても強く、それが私がお寺に興味を持った始まりでした。
高校の修学旅行は関西でしたが、初日に行ったのが宇治の平等院でした。
ここも浄土を思わせるところでした。
私にとっての3番目の極楽浄土は京都大原の三千院です。
最初に行った当時は阿弥陀堂にも自由に入れました。
舟形の天井の堂内に入った時に、瞬間的にこれはタイムマシンだと思いました。
阿弥陀の両脇の観音と勢至の中腰の姿勢は、まさにマシンが動いているのを感じさせました。
三千院は浄土ではなく、その入り口だったのだと思いました。
私のお気に入りの場所になり、その後、節子とも何回か行きました。
しかし、行くたびに建物は整備され、タイムマシン的要素はなくなり、退屈な空間になりました。
観音も勢至もやる気を感じられなくなりました。
最後に節子と行ったのは、節子が病気になってからのことですが、ただの寺院にしか感じられませんでした。

節子が突然、平泉に行きたいと言い出しました。
安いツアーがあるというのです。
節子と一緒に行った、最後の浄土です。
中学時代以来の平泉でしたが、私にはやはり退屈な感じがしました。
日本の寺院は年とともに退屈な空間になり、仏たちもなんだか寂しげになってきているような気がします。

奥州藤原氏も藤原道真も極楽浄土に憧れたようですが、私も、そしてたぶん節子も、極楽浄土への憧れはまったくありませんでした。
その理由は、節子がいなくなってからわかりました。
そして、私たちの浄土は終わったのです。
中尊寺への憧れもなくなりました。
もう二度と行くことはないでしょう。

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2011/06/25

■節子への挽歌1392:「人生を人為的につくり替えるという常軌を逸した傲慢さ」

節子
今日は涼しい1日でした。
太平洋側の高気圧と大陸の低気圧が競り合っているなかに、台風がやってきたので、暑さと涼しさが入れ替わってしまいました。
自然の力の大きさにはいつも驚かされます。
「世界を人工的につくり替えるという常軌を逸した傲慢さは、経済成長優先社会におけるわれわれの人間の条件の否定を現出させている」とフランスの経済学者セルジュ・ラトゥーシュは「脱成長の道」の中で書いていますが、全く同感です。
そろそろ経済成長神話から、私たちは抜け出なければいけません。
しかし一度つくりあげられた「常識」からは、なかなか抜け出られないのも人間です。
その「常識」の中にいることが、「生きやすさ」を生み出してくれるからです。

と、ここまでは、実は今日の時評編(「世界を人工的につくり替えるという常軌を逸した傲慢さ」)の文章と同じです。
今日は同じ書き出しで時評と挽歌がどう変わるかを遊んでみました。

自然の力の前には、人は成す術もなく、ただそれに合わせるしかありません。
自然を支配し、管理することができると思うのは、ラトゥーシュが言うように、傲慢さ以外のなにものでもありません。
しかし、人が抗えないものはほかにもあります。
それは、自らのなかにある「思い」です。
「愛」と言ってもいいかもしれません。

節子への思いや愛は、いまも熱く私の心身に宿っています。
いかに思っても、いかに愛したくても、もうその対象はこの世には存在しない。
対象の存在しない思いや愛は、存在するのか。
そんな気もしますが、しかし、その思い、その愛は、断ちがたく、私を呪縛しつづけます。
存在しないものを愛しつづけることの辛さと哀しさは、当事者だけのものです。
それを捨ててもだれの迷惑にもなりません。
もし捨てられれば、どれほど楽になることか。
そして新しい世界が見えてくるかもしれません。
そう考えることもできるでしょう。
しかし、その思いや愛を捨てることは、これまでの自分のすべてを捨てることであり、生き直すことにほかなりません。
それには、どれほどのエネルギーを必要とすることか。
生き直すエネルギーは、少なくとも今の私にはありません。
しかし、実は、そう思うことは、経済成長神話に従って生きるのと同じことではないのか。
ラトゥーシェの言葉に出会った時に、ふとそう思ったのです。
生き方を変えることができるのであれば、生き直すこともできるのではないか、と。

しかし、ラトゥーシュの言葉を何回も何回も読み直しているうちに、言葉の真意が見えてきました。
ラトゥーシュは、こう言っているのです。
「人生を人為的につくり替えるという常軌を逸した傲慢さ」を捨てよ、と。

私たちの、あるいは私の人生は、こう定まっていたのです。
それに素直に従えばいい。
断ちがたい思いや愛は捨てることもなく、無理に生き直すこともない。
ラインホールド・ニーバーが祈ったように、
変えることのできるものと変えることのできないものとを見分ける知恵が大切なのです。

何だか小難しい挽歌になってしまいましたが、節子との毎日の会話(挽歌)は、私の生き方を問い直す時間でもあるのです。
節子は今もなお、私の生きる指針です。

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■「世界を人工的につくり替えるという常軌を逸した傲慢さ」

今日は涼しい1日でした。
太平洋側の高気圧と大陸の低気圧が競り合っているなかに、台風がやってきたので、暑さと涼しさが入れ替わってしまいました。
自然の力の大きさはいつも驚かされます。
「世界を人工的につくり替えるという常軌を逸した傲慢さは、経済成長優先社会におけるわれわれの人間の条件の否定を現出させている」とフランスの経済学者セルジュ・ラトゥーシェは「脱成長の道」の中で書いていますが、全く同感です。
そろそろ経済成長神話から、私たちは抜け出なければいけません。
しかし一度つくりあげられた「常識」からは、なかなか抜け出られないのも人間です。
その「常識」の中にいることが、「生きやすさ」を生み出してくれるからです。
そうしてみんな、自分で考えることをできるだけ縮減し、大きな流れに身を任せていくわけです。
それだけではありません。
社会全体を、個人が考えることを最小化するようなシステムに仕上げていきます。
そうした社会で生きるためには、今度は逆に、自分の考えが邪魔になっていくという、転倒現象が起きてきます。
ファシズムやポピュリズムは、そうした現象の一つですが、後から振り返るととてもおかしな社会であろうと、そこで生きていた人にとっては、もしかしたら快適だったのかもしれません。

東北の大震災は、「世界を人工的につくり替えるという常軌を逸した傲慢さ」のゆえに、被害を大きくしたといえるかもしれません。
自然とともに生きる文化を、おそらく日本ではもっとも強く残していた東北でさえ、あれほどの被害が発生したのですから、もし他の地域だったら、おそらくもっと大きな被害を引き起こしたのではないかと思います。
しかし、気になるのは、その復興です。
「世界を人工的につくり替えるという常軌を逸した傲慢さ」の延長で、復興が考えられているとしたら、それは3次災害とさえ言えるかもしれません。

節電がブームですが、節電しなければいけないような、あるいは節電が可能なような生き方をこそ、見直すべきかもしれません。
自然がちょっと動いただけで、これほど気温が変わることを、やはり謙虚に受け止めたいと思います。

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2011/06/24

■節子への挽歌1391:ドラえもんの冷蔵庫はもうありません

節子
今年は暑いです。
この3日間、真夏日が続いています。

今日はめずらしく湯島でのんびりしました。
午前中病院で、そのまま湯島に来ました。
5時まで来客の予定がなかったので、出かけようと思ったのですが、暑いのでやめました。
お腹が減ってきたので気づいたのですが、お昼を食べるのを忘れていました。
いまさら出かけるのも面倒なので、冷蔵庫などを探しましたが、お菓子類以外は何もありません。
困ったものです。
仕方がないので、珈琲を入れて非常食用のリッツを食べることにしました。
珈琲は今日はもう5杯目なので、趣向を変えて、インドネシアの、たぶんエスプレッソ用の粉で淹れることにしました。
名古屋の水野さんにもらった珈琲ですが、実に苦味の利いた珈琲です。

私は一人で食事をするのがとても苦手です。
ですからよく昼食を抜いてしまったものです。
それで節子がある時から、私が一人でオフィスに行くときにはお弁当を作ってくれました。
お弁当も一人で食べるので、あまり好きではありませんが、節子は食事嫌いの私でも気楽に食べられるようにと、小さなおにぎりにしてくれ、おかずもとても小さな容器に見事に詰めてくれていました。

また節子がオフィスに来ていたころは、いざという時のために、冷蔵庫に何かが入っていました。
だからお腹がすくとどこかを探すと何かが出てきたのです。
ドラえもんの冷蔵庫のようでした。
節子がいなくなった後、一時期、福山さんが冷蔵庫に何かを入れてくれていましたが、最近は彼女も忙しいので、湯島にはあまり来ません。
ですから、今では、私が入れないと何も出てきません。

それにしてもリッツは美味しいですね。
珈琲は苦すぎますが、空腹はなんとかなりました。
空腹が何とかなったら、別のことに気づきました。
今日はオープンサロンです。
6時過ぎから誰かが来ます。
お菓子は用意してきましたが、軽食は買うのを忘れました。
まあ今日は飲み物で我慢してもらいましょう。
節子がいる時のサロンは、いろんなものが用意されましたが、いまは私があんまり何も用意しないので、参加者も空腹をこらえているのかもしれません。

まあ、これからは「つましく生きる」ことが大切ですので、それを率先垂範していると思いましょう。
さて、そろそろお客さんが来るころです。
久しぶりにゆったりした時間を過ごしました。
デスクの上のめだかの容器を掃除し、トイレもかなり粗雑ですが掃除し、ゆっくりと金子由香利のシャンソンを聴き、難解な「民主主義の逆説」を読み直しました。
実はソファでうたた寝までしました。
ああ、植木の手入れがまだでした。

なんだか節子のような1日、いや半日です。

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■死刑制度と「赦し」

4月29日に、私のオフィスに1冊の本が投函されていました。
ブログの読者からの投函でした。
CWSコモンズの記事(「読者から届いた1冊の本」)を読んでもらえればと思いますが、私のブログの光市母子殺害事件に関する安田弁護士への私の批判には同意できないというというのが、本に挟まっていたメッセージでした。
手紙に書かれていたメールアドレスに連絡しましたが、アドレスが違って書かれていたようで、いろいろとトライしましたが、届きませんでした。
この話はブログにも書きました

本は読ませてもらいました。
内容は基本的に共感できるものでした。
私も検事を目指した時期もあるほどですから、冤罪への怒りは大きいです。
きっかけは、中学のころ観た映画「八海事件」でした。
それ以来、権力への不信感が始まり、私の人生は大きく方向づけられたような気がします。

死刑制度には私も反対ですし、昨今の裁判制度にも違和感どころか拒否感があります。
ですから死刑制度反対に取り組む安田弁護士たちの活動には共感できます。
しかしだからこそ、光市母子殺害事件に関連しての安田弁護士の発言には大きな違和感があります。
それは今も変わっていません。

今日、時間があったので、思い出して、安田弁護士の講演録をネットで探して読ませてもらいました。
元プロボクサー袴田巌さんを救う会「キラキラ星通信」第61号に掲載されている記事です。
「日本の裁判はどこまで信用できるか」と題して、安田弁護士が講演しています。
とてもわかりやすく、とても共感できます。
講演時期は2006年の11月です。
私が安田批判をした前年です。
もしこの時に、この記事を読んでいたら、たぶん私の批判のトーンは変わっていたでしょう。

私が安田さんのメッセージに心引かれたのは、講演の最後の「赦しについての話」です。
ある事件で殺害された若者の父親は、加害者の謝罪の言葉に絶対に耳を貸しませんでした。
ところが9年目にして、加害者を赦すのです。
そして、父親は加害者に「頑張れよ」という手紙を出すのです。
その話を紹介した後に、安田弁護士はこう話しています。

彼を死刑にした場合に、この十年後の赦しはあっただろうか。お父さんは、もし彼の謝罪がなかったら、今のような気持ちになれただろうか。憎しみが残ってたかもしれない。僕は死刑は絶対なくさなければならないと思ってるんです。それは人道に反するだけじゃなくて、死刑によっては絶対にものを生まない。人間の信頼は回復しない。僕はそれを見て、人間はこんなにすごいものなのか、人間はこれほど信頼できるものなのか。
中途半端な引用なので、ぜひ本文を読んでください
長いですから、最後の「赦しについて」のところだけでもいいです。
安田さんへのイメージが変わりました。
もちろんブログに書いたことを撤回するつもりはありませんが、いささか短絡的だったかもしれないと、そんな気持ちになっています。

本を届けてくれた人に会いたくなりました。
もしこの記事を読んでくださったら、メールをいただけないでしょうか。
湯島に来てもらってもいいです。


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2011/06/23

■節子への挽歌1390:生きるもよし、終わるもよし

節子
今朝は涼しかったのに、午後から急に暑くなりました。
お墓参りをして戻ってきたら、視野が少しおかしいのです。
軽い熱中症でしょうか。
実は昨夜も、チビタが眠らずに、私も5時までリビングのソファーで寝ていました。
チビタが眠らないのは、もしかしたら暑さのせいかもしれません。
昨年の夏には、暑さにやられて緊急入院しましたが、かなりの高齢なので、見かけの元気さに惑わされずに注意しなければいけません。
そう思っていたら、なんと私自身も同じことのようです。
自分では気づかないのですが、かなり心身はボロボロになっているのかもしれません。
幸いに、少し休んだら元に戻りました。

生きつづけることには、あまりこだわりはありません。
生きるもよし、終わるもよし、といった心境ですが、それにしては、いかにも「とり散らかった」状況にいます。
身辺をもう少し整理しておくようにと、娘たちは思っているでしょうが、整理せずに終わるのも私らしくていいかなとも思います。
ほんとうは、そうした途中の終焉を節子が面倒を見てもらうはずだったのです。
節子がいない今となっては、人生の終わり方を考える楽しみもありません。

佐藤さんにはまだ元気で活動してほしいと思っている人がたくさんいるのですから、と言われることもあります。
本当かなあと思う一方で、もしかしたらそうかもしれないと思う顔も浮かんできます。
まあ、それも多分私の勘違いで、私などいなくても、誰も困りはしないでしょう。
人間とはそういうものですから。

節子がいなくなったら生きてはいけないと思っていたことを思い出します。
にもかかわらず、もう3年半たつのに、私は元気に生きています。
節子に嘘をついた結果になってしまっていますが、当時は本当にそう思っていたのです。
しかし、ある意味では、私の生は別のものになっているかもしれません。
節子が隣にいた時には、「生きるもよし、終わるもよし」などとは思ったこともないからです。

「生きるもよし、終わるもよし」の人生を、どう過ごせばいいのか。
熱中症には気をつけるとして、これはそれなりに難問かもしれません。

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■報道は政府の愛玩犬になってしまった

ダニエル・エルズバーグさんが、今朝の朝日新聞に「堕落した報道、政府の愛玩犬」と語っています。
エルズバーグさんは、いうまでもなく、米国防総省のベトナム戦争秘密文書(ペンタゴン白書)を内部告発した人です。
エルズバーグの「ベトナム戦争報告」(1973年)を読んだ時はショックでした。
国家への不信感が確信に変わったのも、この頃からです。

久しぶりにエルズバーグの名前に出会い、そのメッセージを読みました。
彼はこう語っています。

今の米メディアは、政権批判をためらい、まるで政府の言いなりの「ラップドツグ」(愛玩犬)だ。70年代に見せた勇敢さはなく、「赤狩り」があった冷戦期の50年代に逆戻りしてしまったかのようだ。主な要因は9・11の米同時多発テロだ。米メディアは9・11以降、非国民や裏切り者と呼ばれることを恐れるようになった。その結果、イラク戦争で大量破壊兵器が存在するとウソをついた政府に操られた。
最近の日本のマスコミもまた、「ラップドツグ」(愛玩犬)になっています。
飼いならされるとは、こういうことなのでしょう。
わが家のチビタは、時に私にも牙を見せて怒りますので、性格の悪い犬だと思っていましたが、性格が悪いのは怒らせる私のほうが悪いのでしょう。
飼い主まで咬んでくるチビタをほめてやらねばいけません。

それはともかく、私が気になっているのは、3.11以降の日本のメディアの動きです。
どこか「気持ちが悪い」のです。
それに加担しているのが、市民活動やNPOのような気もしてなりません。
具体的に何がとはいえないのですが、心身が拒否反応を時々示します。

自然エネルギーへの転換というウソにだまされなければいいのですが。
同じ紙面で、米国のジャーナリストが、政府は「うそ」をつくものだと語っています。
どれほどの嘘を体験すれば、みんなそれに気づくのでしょうか。

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■復興に名を借りた市場化への不安

日本の政治はなかなか変わりません。
日本人は、見事に組織人になっていますから、仕方がないのかもしれません。
組織には、「変化に対する抵抗力」と「責任の回避システム」が存在します。
したがって、変化への対応力はもともと組織にはありません。
それを超えて、組織を動かすのは組織のトップだけです。
だからこそ、こうした時期には「トップ」の資質が問われます。
いまの日本は、誰がトップでもいい時代ではないのです。

国会延長に関して、自民党の河野議員は党の方針を批判しました。
その話の内容は、だれも反対できません。
この話に象徴されるのですが、テレビの報道はいつも各論での議論の報道です。
全体を長期的に見通すことは簡単ではありませんから、どうしてもそうなります。
そして私たち国民も、各論で考える文化にすっかり慣れてしまいました。
しかも発想は従来の延長のままです。
首相はころころ変わるべきではないというのは、「変化に対する抵抗力」の最たるもののひとつです。
今は誰を首相にすべきかではなく、どう復興を成し遂げるかだという議論は、まさに「責任の回避システム」の罠に陥っています。
今の政治に必要なのは、しっかりしたリーダーを選ぶことです。
それがなければ、いかなる各論最適解も効果は発揮しないでしょう。
国会を開いていればいいという話ではないはずです。
なぜ国会を開いていなければ、法律をつくらなければ、いけないのか。
私には、とてもばかげた話です。
国会を開いていないで、現地に行くべきですし、法律をつくる前にしっかりしたビジョンをつくるべきです。
政治は、いまや「官僚のアリバイ工作の具」になっています。

東北の復興は大切です。
原発事故の終息も大切です。
しかし、どう終息させるかが問題なのです。

たとえば東北の漁業の復興に関して、企業の導入を認めるかどうかでの議論が報道されています。
宮城県の村井知事も含めて、復興会議も、企業化に積極的のようですが、現地の漁民たちには不安も多いようです。
漁業に限らず、農業もそうですが、東北はまさに世界的な「市場化」の対象にされています。
復興が市場化であってはならないと私は思いますが、郵政民営化を望んだ国ですから、今の状況ではそういう方向に行きかねません。
最後に残っていた、豊かな東北文化が市場化され、孫さんのような人たちを通して、金融資本に取り込まれていくかと思うと、何が復興だと思いたくもなります。
他動詞の復興か自動詞の復興かについて前にも書きましたが、復興された東北が、これまでの東北とは違ったものになってしまうことに、大きな危惧を感じます。

東北の復興には、おそらく巨額な利権が群がっているのでしょう。
お金は社会をだめにすると改めて最近また思っています。
こんなことをいうと、被災者の人たちに怒られそうですが。

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2011/06/22

■節子への挽歌1389:「生きることは喜びに満ちている」

佐久間さんが「手塚治虫のブッダ 赤い砂漠よ!美しく」のチケットを送ってきてくれました。
観に行ってきました。
今回は3部作のうちの最初の作品だそうです。
ブッダが出家したところまでの、いわばブッダ序論です。
予想以上に原作に忠実なため、ちょっと物足りなさを感じましたが、これからの展開に期待したいと思います。

この作品のテーマは、「いのち」あるいは「生きる」です。
そこには2つの生がクロスして描かれています。
奴隷から王を目指したチャプラと王から人を目指したシッダルタです。
映画では、彼らは戦場で出会います。
そのシーンの映像処理は私には印象的でした。
シッダルタの発しているあたたかなオーラが、チャプラのいのちを目覚めさせるシーンです。
私も一瞬、あったかなオーラを感じました。

しかし、この映画のナレーションで気になる言葉がありました。
「生きることは苦しみに満ちている」
これはこの作品のメッセージのようでもあります。
これまでは、こういう言葉を聞いてもすんなりと受け容れられたように思います。
ところが今回は、この言葉が奇妙にひっかかったのです。
「生きることが苦しいはずはない」
自分のどこかで、そう叫んでいる気がしたのです。

最近、生きることの捉え方が、自分なりに少し変わってきているような気がします。
たしかに、生きることには悲しみも寂しさも辛さも、そして苦しみも満ちている。
でもそれらはすべて、喜びのためにあるのではないか。
「生きることは苦しみに満ちている」という言葉の呪縛にはまってはいけない。
もし言葉にするのであれば、「生きることは喜びに満ちている」と言うべきです。
最近、そういう思いが強くなってきています。
そのせいか、映画の中で語られるこの言葉に、大きな違和感を持ってしまったのです。

言葉は現実を創りだします。
そして時間の方向性を決めていきます。
「苦しみを超えるために生きる」のか、「喜びのなかに生きる」のか、その違いは大きいです。
それは、生の意味合いを変え、社会の構造を変えていくはずです。

前向きに生きなければ、とみんな言います。
前向きとは何でしょうか。
私は、いまを思い切り素直に生きることではないかと思います。
素直になれば、哀しさや寂しさ、辛さや苦しさの中に、見えてくるものがあるのです。
とてもあったかな光のような、喜びと言ってもいいかもしれないものが。

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■人間が創りだしたシステムに人間が使われている

いささか暑すぎますが、さわやかな日です。
窓から入ってくる風に、心地よさを感じます。
しかし、その風も、残念ながら昨年までの風とは違います。
北風だと、大丈夫だろうかという不安が浮かばないわけではありません。
見えない放射線は、おそらくかなりの広がりで地球環境を汚染しているはずです。
子どもを持った母親たちは、戦々恐々として自衛策を取り出していますが、無策の政治に対してはどう行動していいかわからないためか、動きは鈍いです。
解決を先延ばしにしているとしか思えない管首相は原発推進の姿勢を崩してはいませんし、問題解決に取り組んでいるとは思えませんが、国民の多くはなぜか菅首相が好きのようです。
小沢さんを選べば、事態は大きく変わるでしょうが、そういう取り組みの動きはテレビでは報道されません。

大震災の前に出版された「誰が小沢一郎を殺すのか」という、知日派のウォルフレンの本にこんな文章があります。

日本の人々は激しく怒るには、あまりに分別がありすぎる。
きわめて知的な日本人たちは、自分たちがたとえ体制に批判的であっても、それで世の中が変わるはずはないとわかっているのだ。
大震災の被災地でさえ、秩序が維持されていたことが、海外から高く評価されました。
私もそれに感激しました。
しかし、それはほんとうに、誇るべきことなのかどうか。
最近少し迷いだしています。

私たち日本人には「分別」がありすぎるのかもしれません。
「家畜としての分別」が、です。
みんな「お金」という餌に釣られて、生命を売ってしまったのかもしれない、そんな思いが最近強くあります。

それにしてもなぜ政局は変わらないのか。
実に不思議です。
やはり個人はシステムには勝てないのかもしれません。
人間が創りだしたシステムに、人間が使われている。
私には何ともやりきれない時代の到来です。

やはり私たちの支配者はシステムなのでしょうか。
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2008/09/post-0e17.html

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2011/06/21

■節子への挽歌1388:身体健康御守

節子
今日は湯島に井口夫妻がやってきました。
ついに節子は会う機会がありませんでしたが(文通だけでしたね)、井口さんの奥様はいつも会うと節子の話をしてくれます。
節子が元気になったら、4人で食事をしたいと思っていましたが、実現できませんでした。
たぶん節子とは話が合っただろうと思います。

井口さんの奥様も、最近、あまり体調がよくありませんでした。
気分転換に、湯島でも我孫子でもどちらでもいいから一度お2人で来ませんかと誘っていたのです。
近くに来る機会があって、寄ってくれました。
とても元気そうでした。
元気な人を見ることほどうれしいことはありません。

一緒に食事をした後、お2人は湯島天神にお参りしたいというので、私だけ先にオフィスに戻りました。
珈琲を淹れていると2人が遅れて戻ってきました。
そして、湯島天神で、私のために「身体健康御守」をもらってきてくれました。
私が、最近入院したことを知っているのです。
相変わらずの憎まれ口で、「もうそろそろいいかと思っているんです」と言ってしまいました。
そろそろ人生を止めてもいいという意味です。
井口夫妻は、口をそろえて、まだだめだと言いました。
なかなか此岸を離れることはできません。困ったものです。

人の人生は、自分でも決められません。
井口さんの奥様も、体調がひどい時には生きるのが辛かったようです。
節子もそうでした。
しかし、自分の生命は決して自分だけのものではありません。
辛くても生きなくてはいけません。
辛くても生きつづけられない時が、あるように。

私は自分の健康を大事にするという感覚が乏しいのですが、それは健康も生命も天から与えられたものであり、それを素直に生きればいいと思っているからです。
しかし、自分の生命はそう思うくせに、節子の生命に関しては、そう思えませんでした。
いまから思えば、自分の我欲のために、節子に無理に頑張らせてしまったのかもしれません。
節子の生命は、私のものだと思いすぎていたのかもしれません。

私の健康は、だれのためのものでしょうか。
娘たちのためのものかもしれませんし、私に会いに来てくれるたくさんの友人知人のためかもしれません。
井口夫妻からもらった「身体健康御守」を大事にしようかと、ちょっと思いました。

実は、私は「御守」はちょっと苦手なのです。
理由は、節子を守ってくれなかったからです。
しかし、少し見方を変えれば、御守が節子を守ってくれていたのかもしれません。
過剰な我欲は捨てなければいけません。

でも、健康に気をつけるって、どうすればいいのでしょうか。

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2011/06/20

■節子への挽歌1387:枇杷

節子
我が家の下の塚原さんの庭の枇杷がすずなりになっています。
庭に出ていたら、よかったら採りにこないかと下から声がかかりました。
私は、今日はめずらしく庭の手入れをしていて(ただ茂りすぎた木や花を切っていただけですが)行きませんでしたが、ユカが収穫に行ってきました。
節子に供えるようにと、枝ごともらってきましたので、早速活けてもらいました。

塚原さんの枇杷は、節子と深くつながっています。
節子もさまざまな治療に取り組みました。
そのひとつが、枇杷の葉の温湿布です。
枇杷の葉を熱して、それを患部に貼るのです。
官足法のマッサージと枇杷の温湿布が、私の仕事でした。
毎日、かなりの量の枇杷の葉を使うので、近所で枇杷を植えているお宅に頼んで、葉っぱをとらせてもらいましたが、一番たくさんもらったのは、塚原さんのお宅の枇杷の葉でした。
ユカと一緒に、葉をとりに時々寄せてもらっていました。
わが家の庭にも枇杷を植えて自給しようと思って苗を植えましたが、育つ前に、残念ながら枇杷の葉はもういらなくなってしまいました。

枇杷の葉療法に限らず、私たちはいろいろな療法を試みました。
民間療法への医師の反応は一般に冷ややかですが、当事者になると、藁をもつかむ思いで、さまざまなものに挑戦します。
残念ながら、そうした民間治療の知識は体系化されていません。
その効用は客観的なものとはいえず、昨今のエビデンス・ベースド・メディシン(科学的根拠に基づく医)の流れの中では、だれも体系化などしようとはしないのでしょう。
しかし、実際に身近で誰かががんになってしまうと、多くの人が民間療法への関心を高めるはずです。
実際に近代医療から見放されてしまえば、それに頼るしかないのです。
それに、かりにエビデンスがないとしても、効用がないとは断定できなません。
もう少し体系化していければ、使い方ももしかしたら見えてくるかもしれません。
節子がもし元気になったら、私はそれをライフワークにしてもいいと思っていました。
しかし、その思いは、節子と一緒に消えてなくなりました。
今はもう、関心はなくなってしまっています。

ちなみに、わが家では、節子が元気な頃から枇杷は1年に1回しか食べません。
節子は、初物は基本的に旬の時期に1度は買ってきました。
しかし、枇杷は食べるところがないねと言って、2回目はありませんでした。
わが家にとって、枇杷は食べるものではなく、季節を知るものでした。
そして、最近は、節子のことを思い出させるものになってしまっているのです。

塚原さんの枇杷はまだちょっと早すぎて、甘味が不足しています。
節子ならきっとジャムにしたでしょう。

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■ミツバチが消えたのはネオニコチノイドのためではないのではないか

2009年1月に書いた「ミツバチが消えたのはネオニコチノイドのためか」へのアクセスはいまも続いています。
ほぼ毎日3~5件のアクセスがあるのです。
なぜかよくわからないのですが。

しかし、ミツバチが消えたのはネオニコチノイドだけではないかもしれません。
最近、話題になっている「働かないアリにも意義がある」という本を読みました。
そこにこんなことが書かれていました。

少し前までは野菜のハウス栽培で、花を受粉させて結実させるのにミツバチが使われていました。ところが、そうやってハウスに放たれたミツバチはなぜかすぐに数が減り、コロニーが壊滅してしまうのです。ハウスではいつも狭い範囲にたくさんの花があるため、ミツバチたちは広い野外であちこちに散らばる花から散発的に蜜を集めるときよりも多くの時間働かなければならず、厳しい労働環境に置かれているようです。この過剰労働がワーカーの寿命を縮めるらしく、幼虫の成長によるワーカーの補充が間に合わなくなって、コロニーが壊滅するようです。実験的に検証された結果ではありませんが、ハチやアリにも「過労死」と呼べる現象があり、これはその一例なのではないかと思われます。
とても示唆に富んだ話です。
ミツバチが人口的な働きの場に取り組まれて、その生産効率を高めるための仕組みが整備されてくると、それまでにはたぶん存在しなかった「過労死現象」が発生するというわけです。

この本のタイトルは、「働かないアリにも意義がある」ですが、その「意義」とは何かというと、今様にいえば持続可能性の保全と言っていいかもしれません。
働かないように見えるアリも、決して働いていないのではなく、環境への反応感受性の違いから、「ある状況」では働かないだけの話だというのです。

著者の長谷川さんは、仕事があれば全員がいっせいに働いてしまうシステムのほうが生産性は高いが、実際のアリやハチの社会のように反応閾値(反応感受性)がさまざまな人がいるシステムのほうが、システムとしては長期間存続すると書いています。
詳しくは、あるいは正確には、同書を読んでもらうのがいいですが、さまざまな存在がいる組織のほうが、結局は生き残っていくわけです。

さて、ミツバチがなぜ激減したのか。
それはもしかしたら、ミツバチの世界が人間の効率主義発想で変質させられたからかもしれません。
もしそうならば、人間の世界でも起こりうる話です。
働きすぎるほど働く人が主流になっている社会は、もろい社会なのかもしれません。

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2011/06/19

■節子への挽歌1386:メランポジウム

節子
むすめたちが、庭の花の苗を買いに行くというので付き合いました。
節子の時もそうでしたが、一応はついていくのですが、私はすぐに飽きてしまいます。
しかし、花木の中にいると、元気をもらえます。
どちらかと言うと、私は花より緑の葉が好きです。

花の好みは、家族といえども違います。
私はシンプルで、しかも葉っぱが若い緑の花が好きなのです。
都会的な花よりも、田舎の片隅に咲いているような、地味で飾り気のない花が好みです。
しかし、必ずしもそうしたものが選ばれるとはかぎりません。
花選びには、私は基本的に口を出しません。
手入れをするのが私ではないからです。
私が手入れをすると、枯らすことが少なくないのです。

選んでいるうちに、娘が、この花は節子が好きだったねといいました。
メランポジウムです。
キク科ですが、小さなひまわりのような花で、暑さに強く、広がって咲くととてもきれいです。
節子は好きでしたが、わが家の庭ではメインにはならなかった花です。
あまりに平凡なので、決して主役になることのない花と言ってもいいでしょう。
それにとても素朴ですし、きれいではありますが美しいとはいえません。
しかし、花も葉も、よく見るととても素直です。
いささか身びいきかもしれませんが、どこか節子に似ています。
むすめたちの選択の対象にはなっていませんでしたが、2鉢買ってもらいました。
本当は10鉢ほど買ってじゅうたんのように広げるときれいなのでしょうが、わが家の庭にはそんな広さはありません。
どこに植えてもらえるかはわかりませんが、この花は秋まで咲き続けるはずですから、枯らさないかぎりは、しばらくはつきあえそうです。

庭に関しては、私の担当は小さな池の部分だけです。
しかもそこは、できるだけ自然な感じにしたいので、水草も含めて草が茂っています。
先日書いたように、長年いた金魚も見つかりません。
小さな池なので、ちょっと探せばわかるのですが、探したくもありません。
荒れ果てた池というイメージが好きなのです。
それに、いつぞやは池の中に大きな蝦蟇がいたこともあります。
まあこう書くと、意図的に池の辺りを自然状態に保っているように思えてしまいますが、本当のところは単に手入れ不足なだけなのです。
かなり荒れています。

メランポジウムを契機に、少し私も庭の手入れをしようかと思い出しました。
節子と一緒に行った山野で、購入してきた山野草も、いささか危機状態にあります。
もうどれがどこのものかさえわからなくなってしまいましたが、このままだと絶滅しそうです。
庭の花木に、節子の思いがこもっているとしたら、
もう少しきちんと関わっていかないと節子に怒られそうです。
しかし、花木への心をこめた手入れは大変です。
私には、不得手です。
もしかしたら、私の、節子への愛も、まあこの程度だったのかもしれませんね。
もしそうなら、節子は間違いなく、それに気づいていたでしょうね。
いやはや、本性は隠せないものです。

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■自然エネルギーに関する「総理・国民オープン対話」への違和感

自然エネルギーに関する「総理・国民オープン対話」のフォローを、いま菅首相も出演して、ユーストリームで生放送しています。
今まで見ていましたが、あまりのばかばかしさにやめてしまいました。
前回の放送も見ましたが、なぜいま、この時期にこんなところに首相が時間を割いているのか理解に苦しみます。
前回、出演したソフトバンクの孫さんと菅さんは気があったようで、その後、孫さんが菅首相に10年首相を続けてくださいといっている映像が何回もテレビで流れていますが、孫さんと言う人も救いがたい商売人だと改めて思いました。
やはりIpadを買ったのは失敗でした。
Ipadの使い勝手の悪さが最近よくわかりました。

自然エネルギーは、政策次第にコストはいかように変わります。
それは原発のコストと同じです。
最大に決めては、原発をどう考えるかと深くつながっています。
その原則を曖昧なままにして、無責任な自然エネルギーの夢を語ることにはどうも違和感があります。
それに菅首相の話していることは、ネットでもわかるような「知識」でしかありません。

いま必要なのは、原発をどうするのか、いまの福島問題をどう解決するかです。
菅首相に、そうした意識が感じられないことに怒りを感じます。
それを応援している、「市民活動家」たちにも失望しました。

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2011/06/18

■節子への挽歌1385:不思議な縁

節子
熊谷は今日も雨でした。
せっかく熊谷に来たので、久しぶりに時田さんに会いたくなりました。
電話したら幸いに時間が取れそうだということで、わざわざヘリテージまで車で迎えに来てくれました。
時田さんは建築関係の会社の社長ですが、豊かな文化人です。
俳人の金子兜太さんからも「多才多感の士」と評されるほどの俳人でもあります。
時折、句集を送ってきてくれますが、私はあまり得手ではなく、感想もなかなかいえません。

時田さんと出会ったのは会社を辞めた直後です。
たしか「日本を美しくする会」というのを友人が立ち上げたのですが、その設立の時にお会いして以来の付き合いです。
熊谷にお住まいのこともあって、なかなかお会いする機会はなかったのですが、ある時、東京の街でぱったり会ったりしたこともあります。
人の縁は、不思議なもので、これだけたくさんの人がいる東京でも、ぱったりと出会うことはあるものなのです。
私は、そうした経験がかつてはかなりありました。

時田さんは、このホテル・ヘリテージのオーナーとも懇意な関係だそうで、ホテルに着くなり、社長室で話そうということになりました。
そんなわけで、社長の杉田さんも交えて、話をさせてもらいました、
話題は、東日本大震災の被災者支援の取り組みの話になりました。
その話は、また時評編で紹介します。
感動的な、ちょっとうらやましい話です。

昨日、岡山さんのことを書きました。
杉田さんはもちろん岡山さんのことをよくご存知でした。
少しだけ岡山さんのことを話させてもらいました。
まさか時田さんを通して、杉田さん、岡山さんとつながっていくとは思いもしませんでした。

急に時田さんを思い出して連絡し、こうして旧交をあたためると共に、新しい出会いをもらい、それが何と節子にまでつながったのです。
時田さんと、なにか一緒に仕事をしたこともなければ、さほど会う機会もなく、普通なら疎遠になってもおかしくない間柄なのですが、お互いにどこか気になるところがあるようです。
人の縁とは、ほんとうに不思議なものです。

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2011/06/17

■節子への挽歌1384:ヘリテージホテル

節子
今日は熊谷のヘリテージホテルで合宿です。
東日本大震災の影響で、スケジュールがいろいろと変わったおかげで、2週連続での合宿です。
このホテルに節子と一緒に来たことはないのですが、このホテルで仕事をされていた岡山さんに節子はお世話になったことがあります。
岡山さんは歩きづらくなった節子に、官足法という足のマッサージを施してくれて、小さな奇跡を起こしてくれたのです。
その経緯はホームページに書いていますが、私たちに大きな喜びを与えてくれたのです。
ですから私にとっては、岡山さんは忘れがたい人なのですが、その岡山さんもいまはこのホテルではお仕事はされていないようです。

岡山さんから教えてもらった、官足法のマッサージを私は毎日2回、節子に施していました。
今から思えば、その朝晩30分のマッサージタイムは、私たちの心を通わせあう時間でもありました。
私が節子にきちんとしてやれたのは、これくらいでしょうか。
岡山さんは、佐藤さんほどきちんと続けている人はめずらしいといってくれましたが、
私にとっては実に幸せな、楽しい時間だったのです。
もちろん、哀しい時間でもあったのですが。

その小さな奇跡が、大きな奇跡へとつながったら、節子と2人で、この温泉に来たはずです。
節子は、なにしろ温泉が好きでしたから。

ちなみに、岡山さんを紹介してくれたのは、大分の友人です。
岡山さんと話していたら、私が時々合宿で泊まらせてもらっている、このホテルにかかわっている人だったのです。
こうした「不思議な縁」は、たくさんあります。
縁とは不思議なものです。
そしてそれ以上に、どこに行っても、節子との縁があるのです。
どこに行っても、節子から解放されないわけです。

中年一緒に暮らしていると、まあこうなるのでしょうね。
外はホテルらしからぬ、カエルの合唱です。
そういえば、白馬で節子と泊まったホテルも、カエルがうるさかったですね。

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■愛が欠けている社会

昨日、企業の管理者の人たちにお話させてもらう機会がありました。
「経営道」を学ぶプログラムの中での一つのセッションです。
毎年、話をさせてもらっていますが、企業の世界とはかなり違った話をするので、聴いているほうには戸惑いもあるようです。
共感もあれば反発もある、事務局の人からはそう聞いています。
かなり手ひどく、昨今の経済や経営の在り方を批判しているから無理もありません。

昨日はちょっとトーンダウンして話させてもらいました。
話の入り口は、3.11です。
これだけの体験をしたのだから、意識の上でも大きな変化が起きるはずだと、私は思っています。
そこで、まず会社や仕事への影響から入り、それぞれが考え方や行動に変化がありましたかと問いかけました。
突然の問いかけなので、戸惑ったかもしれません。
しかしあまりはっきりした変化の発言がなかったのが意外でした。

私の話からの学びなど高が知れています。
しかし、これだけの大事件からの学びは大きいはずです。
それが言語化、あるいは意識化されていないのです。
そこに、正直、私はショックを受けました。
組織の中にいるとなかなか社会は見えてこないのかもしれません。
まさに主権国家の虚構が見事に構築されているわけです。

もう少し時間をかければ、さまざまな意見や気づきの発言があったと思います。
それに、そうした「生の声」を一人称で語ることに、企業の人は全く慣れていないのです。
付き合っていて、いつもそれを強く感じます。

今の社会に欠けているのはなんだろうという問いかけもさせてもらいました。
いろいろと出てきましたが、お一人が「愛情」だといってくれました。
「愛が欠けている社会」
まったくその通りだと思います。

そこから「愛」について議論を深めればよかったのですが、私の完全なミスで話題が違う方向に行ってしまいました。
発言者には悪いことをしましたが、後で少しフォローする機会がありましたので、よかったです。
まあ不十分でしたが。

その人が言ったように、まさにいま「愛」が欠けている。
私自身、その視点を最近忘れていたことに気づきました。
いま取り戻すべきは「愛」ですね。
愛を取り戻さなければいけません。
みなさんは、世界を愛していますか。

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2011/06/16

■節子への挽歌1383:なんとまあ「贅沢なこと」

節子
たぶん節子は合ったことがないと思いますが、Aさんがやってきました。
家を出ようと思います、と言うのです。
前からお話は聞いていましたが、彼はもう50代です。
8年ほど前に、ある人の紹介で、私を訪ねてきてくれ、それ以来のお付き合いです。
彼が言うのは、たぶん私と佐藤さんの考えが似ているので、その人が私を紹介したというのです。
似ているでしょうか。
似ているところはもちろんあるでしょう。
しかし似ているんだったら、夫婦別居などするはずがありません。

なぜみんなもっと伴侶との関係を大切にしないのか。
そう思うことがよくあります。
あまりに身近すぎて、そのありがたさ、一緒にいることの幸せが見えないのでしょうか。

夫婦の形はさまざまです。
ですから、私の考えは間違っているかもしれません。
夫婦別居が一番にお互いを支え合ったり、慈しみ合ったりできるのかもしれませんし、長い夫婦生活の一つの過程として、そういうスタイルもあるのかもしれません。
夫婦喧嘩は犬も食わないというように、夫婦の事は他者が詮索すべきことではないのかもしれません。
しかし、伴侶がいなくなってしまった立場から言えば、なんとまあ「贅沢なこと」かと思うのです。

お互いに心を開き合っていない夫婦もいます。
お互いに相手を思うあまり、そうなっていることもあるように思います。
しかし、心遣いが過ぎることは、私の体験では必ずしも良いことではありません。

私たちは、お互いにストレートでした。
だから喧嘩も絶えませんでしたが、隠し事や遠慮はまったくありませんでした。
お互いに隠せるほど賢くも器用でもなかったからかもしれませんが、私たちは何事も2人で相談しながら共同生活をスタートさせたおかげだろうと思います。
6畳一間に近い生活からのスタートでした。
節電どころか、暖房器具さえ買えずに、テレビもなく家具もなく、私が理想としていた神田川のスタイルだったのです。
節子がそれに満足していたかどうかはわかりませんが、今から思うと、そうした生活(数か月で終わってしまいましたが)の時が、私たちがもっとも幸せな時期だったように思います。
当時の節子は、まぶしいほどに輝いていましたから。
そうした時期があればこそ、私たちは心を完全に開き合えたのかもしれません。

湯島には、いろんな人が来ます。
お話を聴いていて、いろいろと感ずることが多いのです。
節子を思い出すことも、少なくありません。

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2011/06/15

■「原発の暴利をむさぼってきた人達」

見えない放射線の恐怖が日増しに高まっています。
数日前に、挽歌編で、シャデラックスの「PPMのうた」の歌詞の一部を紹介しました。
再掲します。

PPMってなんのこと どこにかくれているのだろう
PPMってだれのこと どこからやってくるのだろう
(中略)
牛乳ビンにもかくれている
べんきょうしてても気になるの
ごはんのときも気になるの

夢のなかまで追いかける
にげてもにげても にげられない

このPPMを「放射能」と言い換えると、まさに今の状況です。

反原発の動きも、ようやくマスコミに取り上げられるほどに認知されてきました。
もっとも、イタリアの国民投票の結果に関しては「ヒステリー現象」という見方もあるようですから、日本の場合は、まだまだ脱原発には程遠いでしょう。
いま日本で国民投票をしても、脱原発にはならないように思います。
なぜでしょうか。
それはまだまだ多くの人が原発に依存している生活を捨てたくないからです。

反原発の人たちの発言をネットで見ていると、かなり過激です。
彼らの怒りは、「原発の暴利をむさぼってきた人達」に向けられています。
しかし、私には、そう言う人たちもまた、「原発の暴利をむさぼってきた人達」だと思えてなりません。
こんなことをいうと顰蹙をかうでしょうが、暴利はともかく、「原発の利益」であれば、この日本に住む人はほぼ例外なく、原発の利益に乗っかってきたのです。
もちろん私もその一人です。
その自覚のない、反原発論者にはどうも違和感があります。

それでは反対運動に勢いがつかないのですが、私自身がどうも大手を振って、反原発と言えない弱みを感じています。

12日に行われた、藤沢久美さんの司会の自然エネルギーに関する「総理・有識者オープン懇談会」をユーチューブで観ました。
ご覧になった方も多いでしょうが、なにか緊張感のない退屈な議論ばかりでした。
彼らには、3.11は何の変化も与えていないのだろうか、という感じさえ持ちました。
まあ言いすぎかもしれませんが、これが原発のおかげで豊かさを味わっている日本の現実なのでしょう。
福島県及びその周辺の人たちは別にして、多くの日本人は、まだまだ原発の安全性への不安が増しただけで、自らの生活を変えようなどとは思ってもいないでしょう。
放射線汚染は広がり、実際の危険度は高まっていると思いますが、多くの人たちの意識は、落ち着きだしています。
ですから、自分たちで放射線量を測定しようと言う母親たちや、子どもを疎開させようとしている福島の母親たちへの、世間の目は決してあたたかくはありません。
ほとんどの人の頭は、いまだに「原発漬け」になっているのです。

そこから抜け出たいと思います。
しかし、これまで恩恵を受けてきた原発への借りを、どう返したらよいのか、私にはわかりません。
また、原発からの利益をどう辞退できるのかもわかりません。
節電しろといわれますが、私はそんなことは昔からやっています。

脱原発と言いながらも、相変わらず原発の恩恵の中で暮らし続けることの気持ち悪さが、やりきれません。
私もまた、「原発の暴利をむさぼってきた一人」なのだという意識が数日前から、頭に入り込んで以来、どうも元気が出てきません。

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■節子への挽歌1382:「心配ばかりかけて」と思える幸せ

節子
3日前から全身に発疹です。
どうやら薬疹のようです。
手術後の薬は一切やめました。
フェイスブックで、発疹の処置法を知りたいと書いたら、10人以上の人からアドバイスをもらいました。
実にいろんなアドバイスがありました。
おかげで、私は薬疹のプロになった気分です。

翌日はたまたま退院後初めての通院日で、手術してくれた武田医師と久保医師に会いました。
武田さんが、抗生物質フロモックスの薬疹だと思うが、きちんと診てもらうようにというので、クリニックの遠藤さんのところで薬をもらってきました。
そのおかげで、落ち着きだしましたが、いまも上半身は見事な湿疹です。

術後に無茶をしたからだと多くの人に言われましたが、たしかにそうかもしれません。
ビールも飲んだし、合宿では暴飲はしませんでしたが、暴食してしまいました。
80歳の腕白おばあさんの高林さんからは、腕白坊主と言われてしまいました。
いやはや本性は隠せません。
しかし、おかげで、手術後は無理をしてはいけないということを知りました。

薬疹といえば、節子を思い出さないわけにはいきません。
節子は抗生物質アレルギーがあり、薬疹で2週間ほど入院したことがあります。
あの時、私は節子が燃えてしまうのではないかと思ったほどです。
湿疹だらけの自分の身体を見ながら、それを思い出しました。
すごい薬疹でした。
ですから薬疹の恐ろしさは、一応は知っているのです。

節子は、私に心配ばかりかけていました。
薬疹、気管支炎、そして…
心配ばかりかける節子がいないのが、とてもさびしいです。
どんなに心配をかけようと、やはりいてほしい。
家族も友人も、心配をかけることに、意味があるのかもしれません。
「心配ばかりかけて」と思えるのは、この上ない贅沢な幸せなのかもしれません。

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2011/06/14

■節子への挽歌1381:久しぶりの不忍池

節子
電車を乗り間違えてしまい、湯島に行く予定が上野に着いてしまいました。
そこで、久しぶりに上野公園の不忍池を通ってオフィスに行くことにしました。
歩いて20分ほどです。

このルートは、節子とはよく歩きました。
上野もどんどんきれいになっていますが、このあたりにはまだなんとなく時代に乗り遅れたような哀しい雰囲気があるのです。
節子も私も、感覚的にはそういうところが好きでした。
少なくとも私には、再開発されたきれいすぎる都心部はなじめません。

最近は野宿者も少なくなりましたが、どこかまだその雰囲気は残っています。
いわくありそうな中高年の人たちが、道端に座っています。
なにかを待っているのでしょうか。
それぞれに、きっとさまざまな物語があるのでしょう。
大きなかばんを持っている人もいます。
そのかばんにはきっと彼のすべての思い出がつまっているのでしょう。
なぜかビニールを広げて、そこに座っている中年の女性もいます。
パンを食べている老人もいますし、花の咲いていない蓮を見つめている若い男性もいます。
言葉はいずれもまったくありませんが、時折、どこかから歌か叫びかわからないような声が聞えることもあります。
そうした風景の中を、私たちはゆっくりと歩くのが好きでした。

時に、ここで骨董市が開かれていました。
最初の頃は私たちもよく足を止めましたが、いかにもといった感じが多く、そのうちさすがの節子も素通りするようになりました。
むしろ不忍池沿いではなく、少し街中に入ったところに、面白い陶器屋があります。
そこも節子はお気に入りでした。
陶器店にはよくつき合わされました。

上野はとても猥雑な町です。
すぐ近くには、アメ横もあります。
節子はアメ横は好きではありませんでした。
私も好きではありませんでした。
アメ横は、とても人間臭いところなのですが、なぜか2人とも、微妙になじめないところがあったのです。

人の好みは、実に微妙です。
その微妙な違いも、長年一緒に暮らしていると重なってきます。
不忍池の哀しい風景がなぜ好きなのか、アメ横の威勢のいい風景がなぜきらいなのか、説明はできませんが、私たち2人にはとても納得できるのです。

不忍池を通り過ぎて、思い切って入り込めずにいた湯島天神の境内を通ることにしました。
にぎわっていました。
本殿にはまだお参りできず、お賽銭をあげて一礼だけして通り過ぎました。
ここも、思い切り節子との思い出がつまっているのです。

今日の通勤は、とても疲れました。
背中に節子が乗っていたのかもしれません。

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2011/06/13

■節子への挽歌1380:存在しない命日

これは「たまたま」だったのか。
そう思うことが時々ありますが、節子も、最後にそう思わせてくれました。

節子が息を引き取ったのは、9月3日の0時0分です。
そう告げてくれた医師が、時計を見て確認してくれました。
それがちょうど0時0分でした。
日が入れ替わる、まさにその瞬間に、節子は逝ったのです。
正確に言えば、節子の命日は実は2日でもなく3日でもないのです。
0時0分のイメージが、いつも頭から離れません。

私は、母を病院で見送りました。
節子と一緒に付き添っていたのですが、朝になって容態が変化し、関係者にすぐ来るように連絡しました。
私の娘が、自動車の渋滞でちょっと遅れました。
ところが、その娘が病室に着いて、母に声をかけた途端に、母の心拍が止まりました。
母は、孫がそろうのを待っていたのです。

先日書いた「無意識の意識」につながるのですが、節子もまた、そうした「意識」を越えた意識に支えられていたように思います。
そして、0時0分を待って、現世での生に区切りをつけたような気がしてなりません。
「たまたま」だったのかもしれませんが、私にはそう思えるのです。

もしかしたら、命日をつくらないために、節子は0時0分を選んだのかもしれません。
その最後を、9月2日の24時と捉えることもできます。
9月2日の24時と9月3日の0時0分は、同じ時刻なのかもしれません。
どちらと捉えるかによって、節子の命日は変わってしまうのです。
私たちは、9月3日を選びました。
最後を見届けてくれた岡田医師も、まったくなんの躊躇もなく、9月3日の0時0分と宣言しました。

しかし、最近思うのです。
節子は、命日をつくりたくなかったのではないかと。
時間の流れの中にある亜時空間に入り込み、私を誘っているのではないか、とついつい想像をふくらましたくなるのです。
亜時空間は、遍在しています。
時間の流れ、空間の制約から自由なのです。
1日おきに出現する0時0分は、彼岸に向けられた此岸の通路かもしれません。

節子
0時0分は「たまたま」だったのでしょうか。
それとも「メッセージ」なのでしょうか。

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2011/06/12

■「東北を復興させる」のか、「東北が復興する」のか

私がいつも気にしていることがあります。
何事かが語られている時に、それが自動詞か他動詞かということです。
そういう視点で、ずっと気になっているのが、東日本大震災の復興ビジョンを描く「復興構想会議」の位置づけです。
会議そのものを否定するつもりはありませんが、私にはほとんど無意味な会議だと思えてなりません。
その理由は2つあります。
いささか主観的過ぎるかもしれませんが、メンバーがほぼ全員「終わった人」あるいは「これまでの社会を推進してきた人」だというのが、第1の理由です。
政府が設置する諮問会議は、ほぼすべてがそうですから、今回に限って意味がないと思っているわけではありませんが、大きな「パラダイム転換」が求められている状況におけるメンバーとしては、あまりに保守的です。
復興は、パラダイム転換ではなく、過去に戻ること、という認識が政府にはあるのかもしれません。
この点は、ふたつ目の理由につながります。
そして私にとっては、そのことの故に、復興構想会議には何の期待も持てません。
それは、「復興」が自動詞か他動詞かに関わっています。
つまり、「東北を復興させる」のか、「東北が復興する」のか、です。
復興構想会議の視点、あるいは理念は、前者です。
政府のやることですから、それは当然です。
国家統治のための視点で、復興のビジョンと手段が構想されるわけです。
そうした視点からは、財源確保のための増税発想が出てきてもおかしくありません。

私は、今回の大震災で、時代の流れが変わり、社会の構造原理が見直されるだろうということを地震直後に書きました。
その後、復興が進むなかで、そうした予兆も感じました。
いま必要なのは、東北の人たちによる新しい社会の創造という視点です。
古い知識や体験に呪縛されている、いわゆる「有識者」は、そうした動きの中では、邪魔こそすれ、なんら創造的な構想など描けないでしょう。
新しい事態への対応にとって、「有識」であることは必ずしもいいわけではないのです。
少なくとも、素直に現実を見て、現実にある人たちと共に、構想していく姿勢が基本になければいけません。

おそらく東北の現場では、新しい知がどんどんと生まれてきているのではないかと思います。
これまでの社会が産んでしまった「被害の増幅」を謙虚に直視し、社会そのもののあり方、生活のあり方を問い直すという姿勢が求められているような気がします。
そして、そのことは、なにも直接的な被災者だけではなく、私たちにとっても必要な認識と課題ではないかと思います。

だれのための復興か、その認識を間違えないようにしたいと思っています。

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■合意と排除

政治の行き詰まりの中で、大連立が話題になってきています。
この国難に、党を超えて取り組まなければいけない、ということが大義になってきています。
ころころ首相を変えてはいけないという、私にはとんでもない大義と同じように響きます。
こうやって、社会は奈落へと向かいだすのでしょう。

民主主義政治で重視される「合意」には、必ず排除がつきまといます。
合意は、異質なものの排除があって成立します。
熟議民主主義では、合意よりも異質のぶつけ合いが重視されますが、現実の世界の合意は必ず排除を伴うはずです。
大連立すれば、事が迅速に進むという人がいますが、それはまた別の話です。
迅速に進むかどうかが手続きの問題であるのは、平時においてであって、異常時のことではありません。
異常時の実行体制と平常時の実行体制は、まったく原理をことにします。
その原理の組み換えと取り組みの意識の転換に、今の内閣は取り組んでいないだけの話です。
そこには、まさに「近代のジレンマ」があります。
問題を発生させることが経済を活性化させ企業が発展するというテーゼです。
政治もまた、問題があればこそ、首相は延命できるわけです。
矛盾しているようですが、平時における問題解決の先送りは必ずしも延命につながりませんが、緊急時にはなぜかみんな保守的になってしまいます。
たぶん発想に余裕がなくなるからでしょうが、それが問題をさらに深刻化させ、カタストロフィーへとつながります。
そうしたことが、ミクロでもマクロでも、重層的に、フラクタルに現出しています。
そうして、誰もが突出できなくなります。
極めて馬鹿げた話なのですが、それがいま起こっている政治状況のように思います。

大切なのは、排除した合意形成ではなく、あらゆる異質を包摂した多様な発想を踏まえた、展望を持った実践です。
合意のためにリーダーシップなどは不要です。
大切なのは、実践のためのリーダーシップであり、信頼感です。
それは、大連立などしなくても、いくらでもできる話でしょう。

合意に含意される排除の側面を軽く見てはいけないように思います。

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■原子力発電の捉え方

「ほとんど起こりえない」と専門家が保証していたこと以上のことが、すでに現実に起きてしまったのだから、私たちは、「いつでも起こりえる」という前提に立って、あらためて私たちの生活を考え直す方がよさそうである。」
私よりも2歳年下の室田武さんの言葉です。 おそらくこの言葉に反対する人はいないでしょう。 こういう発言をする人も少なくないでしょう。

しかし、室田さんが書いたのは、1979年。今から30年以上前です。
その年に出版された「エネルギーとエントロピーの経済学」という本の序章に出てくる本です、
ここで、「ほとんど起こりえない」と言われているのは、スリーマイル島の事故のことです。
今回の福島原発事故のことではありません。

その本の副題は「石油文明からの飛躍」です。
室田さんが脱石油文明の先に見ていたのは、原子力ではありません。
最近流行でみんなが語りだした自然エネルギーです。
2年後の1981年に、室田さんは「原子力の経済学」を出版しています。
その本がもう少しきちんと読まれていたら、時代の流れは変わっていたでしょうか。
残念ながら、変わっていなかったでしょう。
時代が変わるためには、そこに生きる人一人ひとりの生き方が変わらなければいけません。
産業界も政治家も、そしてなによりもマスコミが、室田さんのメッセージを真面目に受け止めませんでした。
もちろん私たち生活者も、です。

その言葉に出会った時から、私は少しずつ生き方を変えてきました。
室田さんの「原子力の経済学」には、原発がいかに経済的にも高くつくのかがわかりやすく書かれています。
自分の目で確かめたくて、東海村の原発も見せてもらいました。
ちょっと時間はかかりましたが、10年後には会社も辞めました。
その間、取り組んだのは、自分の勤めていた会社の企業文化変革でした。
それには見事に失敗しました。
私にできるのは、まずは自らの生き方を変えることだと気づいたのです。

東京電力や電気事業連合会を責めるのは簡単です。
反原発デモも大切です。
しかし、私たちの生き方も変えないと、結局はまた、元の木阿弥になるでしょう。
最近の流れを見ていると、何も変わらないのではないかという気がしてなりません。
この人はと思っていた人までもが、本気で原発に対峙していないことに失望することも少なくありません。
しかし、失望していても、何も始まりません。
私自身の生き方を、もう一歩進めようと思います。
先があまりないのが。少し残念ではありますが。

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■節子への挽歌1379:失ったものを取り戻すことなどできない

昨日書いた、荒木一郎の「ある若者の歌」には、「笑ってごらん」という曲もあります。

もしもあなたが泣きたいなら
笑い顔して泣いてごらん
笑顔が あなたに消えてしまった幸せを
そっと返してくれるだろう
当時は、この言葉に違和感はなかったのですが、いまは大いにあります。
泣きたいときは、思い切り泣くのがいい。
笑顔など不要です。

それに、消えてしまった幸せは、二度と戻ってはこないのです。
未練がましく、それを戻してほしいなどとは思いません。
幸せに限らず、失ったものを取り戻すことなどできないことはよくわかっています。
そして、そうした失った幸せの思い出に浸ることも、私には無縁のことです。
後悔することも、私には無縁のはずでした。
しかし、残念ながら、節子のことに関しては、何度も後悔を味わいます。
そこから今もって抜け出られない。
自分でもいやになるほど、未練がましいのです。

得たものは必ず失う。
それはよくわかっている。
失うことは、得ることでもあるということも一応わかっているのです。
しかし、節子を失ったことは、そうした私の考えさえも混乱sだせてしまっています。

失ってからわかる悲しみや幸せもあります。
失ってから得る悲しみも幸せもある。

この局に最初に出会ったのは、節子と一緒に暮らしだしたころです。
それから45年。
生きることの意味が、ようやくわかってきたような気がします。

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2011/06/11

■節子への挽歌1378:シャデラックスと荒木一郎

節子
久しぶりに湯河原に寄りました。
ここは、私たち夫婦の終の棲家になるはずでした。
人生計画はうまくいかないこともあるのです。

3月の地震でどうなっているのかと思い、箱根に来たついでに立ち寄りました。
書斎の書棚から本が飛び散っていました。
ここで仕事をすることも、もうないでしょう。
書籍は処分したほうがいいかもしれませんが、何かを変える気には、まだなれません。

ここには私のお気に入りのLPがあります。
シャデラックスの「緑の地球よ どこへ行く」と荒木一郎の「ある若者の歌」です。
いずれも私の大のお気に入りなので、節子も何回も聴いたはずです。
久しぶりに聴きました。

シャデラックスはあまりメジャーではありませんでしたが、私が一番好きだったグループです。
特にこのLPは、大きなメッセージのこもった歌ばかりです。
しかもこのレコードの収益の一部は、水俣病センター設立委員会に寄贈されました。
CD化もされていないようですし、ユーチューブでもほとんど見つかりませんが、すばらしい歌ばかりです。
たとえば「PPMのうた」というのがあります。
歌詞の一部を紹介します。

PPMってなんのこと どこにかくれているのだろう
PPMってだれのこと どこからやってくるのだろう
(中略)
牛乳ビンにもかくれている
べんきょうしてても気になるの
ごはんのときも気になるの

夢のなかまで追いかける
にげてもにげても にげられない

まさにいまの放射能汚染を思わせます。
このLPに入った曲のメッセージが、残念ながらどんどん現実になってきています。
いまこそ多くの人に聴いてほしい曲ばかりです。

もう1枚の荒木一郎は、私たちが一緒に暮らし始めたころ流行っていた曲です。
私が大好きなのは「君は知らない」という歌でした。
荒木一郎のCDは何枚か出ていますが、この曲が入っているものは残念ながら私は見つけられずにいます。

青い海原 海をみつめていた
黙ってただ たたずんでいる
あの人は何をしているのだろう
きっと戦に行った人を 待っているのさ

遠い異国の 空をみつめていた
黙ってただひとりで 横顔を夕陽が赤く染めると
やがてひとつぶの涙が その人の頬に流れた

久しぶりに聴いたら、急に歌いたくなりました。
歌を歌うのは5年ぶりでしょうか。
歌いだした途端に、不覚にも涙が出てきて、とまりません。
昔は、節子と一緒によく歌いました。

歌いながら、この人は私ではないかという気がしてきました。

今日はここに泊まるつもりでしたが、やはり帰ることにしました。
寄らなければよかった、まだ立ち迎えそうにもありません。

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2011/06/10

■節子への挽歌1377:箱根と芦原

節子
箱根に来ています。
20年近く続けている経営道フォーラムの合宿です。
箱根に来るのはかなり辛い時期もありましたが、最近は周りの風景を見る余裕も少しずつ出てきました。
そろそろ芦ノ湖にも行けるかもしれません。
しかしこの周辺にはあまりにも思い出が多すぎます。

ポスト入院症候群?もかなり回復し、食欲が戻ってきました。
肉料理もこなしてしまい、ビールもわずかですが、飲んでしまいました。
今も毎食後、抗生物質などを飲んでいますが、そのせいか、今度は胃が少しおかしくなってきました。
胃の調子が悪くなったら薬はやめてもいい、と退院時に薬剤師から聞いたような気もしますが、きちんと聞いていなかったので、あまり確実ではありません。
困ったものです。
血圧が高くなったら、だったかもしれません。
そういえば、降圧剤を飲むのを忘れていました。
忘れるのは、平常に戻ったということです。

まあそんなわけで、今はまだ薬漬けですが、手術の後は何の痛みもなく、気になりません。
身体的感覚の低下のせいかもしれません。
まあ、こうして人間の心身は次第に衰えていくのでしょう。
自然の摂理は素直に受け入れなければいけません。

病院で同室だったNさんは手術が終わったでしょうか。
私と同じ手術をしたSさんはもう退院したでしょうか。
数日前まで一緒だった人たちとは全く違う世界にいる人たちと今日は1日、ずっと付き合っていましたが、なかに私と同じ体験をされた方もいました。
同じ体験をしていると、なんだか心が通ずるような気になります。
たった数日でも一緒に時間を過ごすとついつい思い出すのですから、40年以上も一緒に暮らした節子が頭を離れないのは当然ですね。

久しぶりにゆっくりと温泉に入りましたが、やはり温泉だけはいささか辛いものがありました。
節子は、温泉がとても好きでした。
最後に一緒に行った芦原温泉での節子はとても明るく、みんなを鼓舞してくれました。
私には一番辛い思い出の一つです。

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2011/06/09

■節子への挽歌1376:無意識の意識

節子
人には複数の意識が相乗りしているのかもしれません。

2日に手術のために全身麻酔を受けました。
肩に注射をうった途端に、私の意識はなくなりました。
節子もよく知っているように、私の身体はとても素直なのです。
目覚めた時には、それまでの記憶はまったくありませんでした。
その間、約3時間半でした。

全身麻酔と聞いたときには、もしかしたら新しい体験ができるかもしれないと思いました。
たとえば、幽体離脱や彼岸への旅です。
残念ながら、記憶に残る体験は何もありませんでした。
彼岸に飛んで、節子に会うことも出来ませんでした。

ところが、麻酔が覚めた後、付き添っていた娘や担当の医師から話を聞いたら、麻酔注射のあとも、しばらく私は話をし、身体的な反応もあったそうです。
また目覚める少し前から反応があったそうです。
これはどういうことでしょうか。

意識されていない意識、いわゆるユングの集団的無意識や井筒俊彦さんのアラヤ識のように、そうしたものの存在は広く認められつつあります。
しかし、私が意外だったのは、意識がまったくないのに、外部に反応し、言葉まで発していたということです。
その時には「意識」があったが、その後、その記憶が失われたという捉え方もできますが、微塵も記憶がないというようなことが起こるとしたら、やはりそこには「非連続」の溝があるといってもいいでしょう。

催眠状況で、思ってもいなかったことを話し出すという現象も報告されています。
その時の言葉は、どの意識から生まれているのでしょうか。
考えるととても不思議な気がします。
麻酔がかかっている間に、反応していた「私の意識」とはなんのか。

意識と魂は別だという人もいますが、意識であろうと魂であろうと、それは私なのか、というのが私の関心事です。
私の知らない私がいるわけです。
その私は、私の知っている私とどうつながっているのか。
そして、思うのです。

2007年9月3日の0時0分。
節子は、私の問いかけに応えなくなりました。
しかし、それまでの6時間ほどもまた、節子はいつもとは違った反応でした。
意識があるとは思えないままに、しかし私たち家族に誠実に反応していたのです。
あの時の、節子の反応を支えていた意識は、いったい誰だったのか。

この2つが、どこかでつながっているような気がして、この1週間ずっと考えているのですが、つながりを見つけられません。
私の知らない「私」は、何か知っているのかもしれませんが、確認の方法もありません。

「私」って、いったい何なのでしょうか。

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2011/06/08

■節子への挽歌1375:わが家が一番

節子
8日間の入院生活を終えて、今日、帰宅しました。
入院のことは時評編に書きましたが、とても退屈で、面白い体験でした。

しかし、やはりわが家は落ち着きます。
節子もそうだったように、私もわが家が一番好きです。
どんなホテルや旅館よりも、どんなレストランよりも、どんなホールよりも。
ましてや、どんな病院よりも、です。
そこに節子がいれば最高ですが、いないとしても、やはりわが家は心和み、落ち着きます。
この空間には、私たちが積み上げてきた、見えない文化が根づいているからです。

入院から戻って来たとき。節子もきっとこうした気分を味わったのでしょう。
しかも、節子の場合は、そこに私がいました。
節子のほうがずっと幸せだったかもしれません。
ちょっとうらやましい気分がしないでもありません。
私には、待っていてくれる節子がいないのですから。

しかし、節子がいなくても、わが家はやはり落ち着きます。
もしかしたら、わが家の「そこここ」に、節子が宿っているからかもしれません。
それが、私の心の平安を生み出してくれるのかもしれません。

やはりわが家は、私たちの生きつづける場だと、改めて思いました。
このわが家から、旅立たなければいけなかった節子は、どれほど心残りだったことでしょう。
その思いが、まだわが家に留まっているとしたら、ずっと留まっていてほしいです。
いつか私と一緒に、旅立てばいいのですから。
そんな気がする、久しぶりのわが家です。

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■報告:8日間の入院生活を終わりました

ブログにも書いてきましたが、6月1日に入院し、本日、退院しました。
はじめての入院生活でしたが、実に退屈で、実に面白く、実に窮屈で、つかれました。
良いことも少なくありませんでした。
同じく入院していた若者世代のやさしさを知りましたし、病院というものを実感的に知ることもできました。

病気は、含歯性のう胞と親知らず歯の除去でした。
自覚症状は全くなかったのですが、歯はばかにしてはいけないと歯医者さんに言われ、1年前から早く行くようにと松戸の日大歯学部付属病院を紹介してもらっていたのです。
妻の入院という、かなり辛い体験をしていたので、なかなか病院には足が向きませんでしたが、やっと行ってきたわけです。
私がなかなか行かないので、早く行ったほうがいいと、いろいろな人が電話をかけてきてくれたおかげです。
友人はありがたいものです(まあ、ちょっと迷惑なこともありますが)。

手術は全身麻酔でした。
肩に注射を打ってもらった以降は、全く記憶がありません。
その間、付き添ってくれた娘や医師の話によると、私は「会話」していたそうです。
しかし、全く意識がないのです。
手術はかなり大変だったようで、手術開始後、出てくるまで2時間以上かかったようです。

術後も順調で、手術の翌日に、医師から元気ですね、といわれました。
元気だったら退院させてくれればいいと思うのですが、退院は予定よりわずかに2日早まっただけでした。
残念ながら年齢のせいでしょう。
しかし、手術も術後の処置も完璧でした。
痛みもなければ、手術の記憶さえない。

入院中の不満はただ一つ、毎日かなり薄いおかゆだったことです。
さすがに最後は受け付けなくなり、もう金輪際、おかゆは食べまいと決めました。
病院食に関しては、いろんな気づきがありました。
一言でいえば、ケアリングの発想がまだ欠落しています。
食事の意味がたぶん理解されていないのです。
どこかの病院で食事改善のプロジェクトがあれば、参加したい気がします。

医師たちから、退院しても無茶しないようにといわれたので、無茶はしないつもりですが、どこからが無茶なのかを確認するために、帰宅後、病院で止められたことを試みてみました。
まずはたっぷり砂糖を入れた珈琲を2杯と紅茶を2杯飲みました。
当分はとるなと言われていたのですが、思い切り甘いものを食べました。
シュークリーム、ケーキ、アイスクリーム、キャラメルコーン、・・・
さすがに胸がむかついてきました。
昼食は娘がやわらかいものを用意してくれていたのですが、わがままを言って、かためのご飯を炊き直してもらい、思い切り辛い塩鮭にしてもらいました。
入院中は塩分もずっと禁じられていたのです。
私が高血圧のせいか塩分のない食事でした。
私には納得できず、変更を申し込みましたが、だめだったのです。
おせんべいはやめろと医師にも言われていましたので、挑戦してみました。
ついでにピーナツまで食べてみました。
大体においてOKでした。
まあ、ちょっと治療したところから血が滲み出してきましたが、これは健康の証拠です。

さてだいたい試してみたので、どこまでが「無茶」かがかなりわかりました。
医師との約束を守って、無茶をやめるつもりです。

入院中、フェイスブックとメールで、いろんな人との交流はいつもよりも密でした。
点滴が止まった時には友人知人がアドバイスしてきてくれました。
改めてネットの威力を感じました。
病室では、パソコンとIPADが常時つながっていました。

退院時に、偶然、麻酔をしてくれた濱野医師に出会いました。
15000人に一人の危機を乗り越えてよかったですね、とエレベーターまでわざわざ見送ってくれました。
最後に、彼が「無茶はしないように」といったので、私は素直に無茶をしないことに決めたのです。

当分、毎週、通院です。
時々、さぼってもいいですかと確認したら、それはダメだといわれましたが、まあこれも一度、やってみなければわかりません。
世の中にある規範は、自分の心身で確認していかなければいけない。
改めて、そうした私の生き方を思い出させてくれた8日間でした。

娘が予定していた献立をほぼすべて否定したので、夕食は何にしようかと悩んでします。
そういえば、退院の時に、食事指導を娘は受けていたようです。
私も同席していましたが、全く興味がありません。
何を食べれば言いかを一番知っているのは私の心身だからです。
しかし、正直に言えば、長いおかゆ生活で、あまり食欲はありません。
味覚にも変化があったような気もします。

帰宅後、最初にかかってきた電話が任侠の世界の人からでした。
きっと、私のフェイスブックやブログを読んで、退院を知ってくれたのでしょう。
さすがに仁義に篤いと思ったら、食べ物は専門家の言う通りにせいや、というのです。
余計なお世話だ、食べ物の専門家は自分だよ、と切り替えしましたが、実は彼もそんなことはわかっている人です。
彼自身そういう生き方をしてきている人ですので、私は好きなのです。

専門家と言う人の専門知識も、問い直すべき時期だろうと思います。
改めてそう思ったのも、今回の入院のおかげです。
原発事故への対応の不幸は、中途半端な知識しかない原発の専門家にみんな依存していることだろうと思います。

長くなりましたが、この8日間の報告です。
ネットなどで応援してくださっていたみなさんに感謝します。

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2011/06/07

■人と人をつなぐマナー

今回入院してちょっと驚いたことがあります。
6人部屋の空き室に、私と若い人が同日に入院しました。
その若い人に声をかけて、よろしくと伝え、お互いに少し話しました。
声のものすごくきれいな若者です。

さて問題は昨日起こりました。
新たに4人の人が入院してきました。
当然のこととして、みんな声をかけてくるかと思っていました。
ところが,声をかけてくる人がいないのです。
入院で緊張しているからでしょうか。
そうかもしれません。
みんなとても良さそうな人たちばかりなのですが、どうも落ち着きません。
真向かいの人が、ちょっと会釈をしてくれました。
大きな救いになりました。

声をかけないことを批判しているのではありません。
みんな本当は声をかけたいのではないかと想います。
それが証拠に、少しずつみんな挨拶やら話を始めたからです。

昔は、入院時には同室の人に挨拶だけでなく、何かを配ったようなことさえあった気がします。
しかし、そうした文化はもうないでしょう。
つまり、昔は「人と人をつなぐ、あるいは声をかけあう文化」が、ルールとして、また仕組みとしてあったのです。
それが最近なくなってしまいました。
そのために、みんな他者への声かけがしにくくなってきているのではないかと思います。

最近、みんな口をそろえて、「つながり」や「支え合い」が大切だといいます。
私は、そうしたものは「大切」なのではなく、生きやすくなるための知恵だと思っています。
私は、大切だから誰かとつながりたいわけでも、支え合いをしたいわけではありません。
ただ、そうすると生きやすいからだけの話です。
しかし、そうしたマナーやルールや仕組みが、社会から抜け落ちていっているような気がしてなりません。

入院して、改めて社会のマナーやルールの変化に気づかせてもらっています。

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■節子への挽歌1374:明日は退院です

節子
一昨日までは糖分不足でした。
昨日からはかなりの塩分不足です。
食事にもう少し塩分を加えてもらえないかと話しましたが、だめでした。
栄養管理の思想は、「科学的データ」に信頼を持たない私にはなじめない思想です。
個人の心身が求めるところから発想するのが、私の生き方の基本です。
ですからこれまでもどうも、規範的な世間常識と食い違うことがあり、ある年齢までは生きずらい社会でした。
それを支えてくれたのが、節子でした。
節子もまた、どちらかといえば、規範的なものよりも心身的なものを大事にしていたように思います。

術後の異常はまったくなく、健康そのものなのですが、なかなか退院させてもらえないのは、私の年齢のせいかもしれません。
手術日の夕方に退院してもいいくらいでした。
ただ何かトラブルがあると大変なのでしょう。人生にはトラブルはつきものですから、患者の選択に任せればいいと思うのですが、そうもいかないのでしょう。
しかし、もう少し長く入院しているとたぶん異常が発生しそうです。
困ったものです。
年齢によって入院期間を決めるのも規範型です。

病院でゆっくり静養してきたらいいとみなさんはいいますが、病院で静養などできません。
とりわけ私の場合は、かなりの寝不足です。
早く眠る分、夜中に目がさめ、さらに朝早く目が覚めます。
昼間は眠れないタイプですので、平均して5~6時間の睡眠です。
それに「何かをして疲れる」よりも、「何もしないで疲れる」ほうが、疲れは深いのです。
そんなわけで、今はかなりの疲労困憊です。

しかし、心が安らぐこともあるのです。
意外なのですが、節子をふと感ずることがあるのです。
ちょっとした時に、突然に節子のイメージが浮かび上がってきます。
節子の入院のときの様子を、です。
心に起こるのは、哀しさや悔いというよりも、むしろ懐かしさなのですが、この病院のどこかに節子がいるような気さえすることがあります。

こうして私の最初の入院は、明日で終わりです。
今日は個室に移り、パソコンをやったり本を読んだりしています。
明日は9時半に娘が迎えに来てくれる予定です。

しかしなんで今夜も病院で泊まるのか、よくわかりません。
シャワーを浴び、普段着でくつろいでいるのですが。
今日、退院するように頼めばよかったです。
いつも私は気づくのが遅いのです。
困ったものです。
節子がいたら、きっともう少し早く退院させてくれたでしょう。


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2011/06/06

■節子への挽歌1373:関係性としてのケアリング

節子
病室が満員になりました。
昨日までは2人だけだったのですが。
雰囲気ががらっと変わりました。

10日間の入院だというので、本を5冊持ってきました。
病院で読むのだからとケアリングや医療関係の本を持ってきました。
本は、どこで読むかで変わってきます。
今日、「ケアリングの現在」というちょっと古い本を読みました。
5年ほど前の書籍です。

病室には30分おきに、さまざまな人が来ます。
医師、ナース、薬剤師、掃除の人、栄養士、掃除の人も来ますし、検査の人も来ます。
普通に見れば、私は患者で、ケアされているわけです。
しかし、実際にはそうした医療関係者と私の間にもケアリングの関係が成立しています。

そうした実際の関係性のなかで、ケアやケアリングのことを今日は少し考えました。
もちろん節子とのケアリングに関してもです。

ケアもケアリングも、私は関係性の概念だと考えています。
ケアしようとすればするほど、ケアはできません。
それが私の、節子との経験です。
必ずしも成功したとは思いません。
節子はきっと不満だったでしょう。
いつもそう思います。

来世での別れは、お互いにもっとうまくやれるでしょう。
自分の体験を踏まえて、今日は改めてケアリングの意味に気づきました。

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■居場所によって世界は変わる

入院6日目です。
手術も終わり、術後も順調なので、身体的不自由はあまりありませんし、テレビも新聞もネットもできるので、情報環境はさほど変わったようには思えません。
むしろ時間がある分だけ、その気になればマスコミやネットへのアクセスは増えるはずです。
しかし、どうも何かが違うのです。
一言で言えば、テレビも見る気があまりしないし、新聞もあまり読む気がなく、ネット検索もほとんどしなくなっています。
なぜでしょうか。

なにか自分が閉じ込められている気分が強く、世間と分断されているようで、そのせいか外部世界への関心が変質しているような気がします。
テレビで報道される原発事故の話や政局の動きも、どこか遠い世界の話のように感じます。

どうもこれは、居場所への拘束性に関係しているようです。
もう一つの理由は、定刻に食事が与えられ、ベッドで食べていることかもしれません。
つまり居場所を指定された家畜そのものなのです。
食べ物も飲み物も規制されていて、自由にはなりません。
それが、もしかしたら意識を変えているのかもしれません。
視野狭窄と意識の自閉化がかなりあるように思います。
実際には、自宅で生活しているのと、さほど変わらないのですが、どこかで制約されていると意識があって、心身が解放されていないのかもしれません。
一番意外だったのは、現実への関心が非常に薄れている気がすることです。

たった6日だけのことなのに、これだけの意識の変化が起きます。
ましてや、被災地で避難所暮らしをしている人たちはどうでしょうか。
たぶん自分の家で暮らしていた時とは全く違う世界になっているのかもしれません。
それが長く続くとどうなるのか、たったまだ6日の暮らしなのに、こんなになってしまった自分に気づいて、驚いています。

私はあと2日で退院です。
先がわかっているかどうかも、たぶん大きな違いでしょうね。

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■東北文化の復権

東日本大震災は、社会の流れを変えるかもしれないほどのさまざまな動きを生み出しています。
それは、東北の被災地だけの話ではないかもしれませんが、現地での体験談などを聞かせてもらうと、これまでとは発想を変えた動きの萌芽を感じます。

いま、悪性の親知ら歯の抜歯で、入院7日目です。
その病院のラウンジに、佐治芳彦さんの「謎の東日流外三郡誌」の本がありました。
私が読んだのは、もう30年ほど前の本ですが、懐かしくて読み直してみました。
読んでいるうちに、これは偶然ではなく、大震災後の希望を私に教えてくれたのではないかという気がしてきました。

「東日流外三郡誌(つるがそとさんぐんし)」は、東北で保存されていた古史古伝の一書です。
そこには、古事記や日本書紀とは違う日本の歴史が書かれていますが、日本には日向族と荒吐族の2つの社会があったというのです。
日向族は大陸からの征服民族、荒吐族は日本列島に土着していた民族です。
そして、荒吐族は東北に民主的な古代社会連邦を打ち立てていたというのです。
佐治さんの本には、その社会がこう紹介されています。

「一族の長を荒吐5王と称し、火司土司金司水司木司の5役を称して5役とす。
5王たる者は一族を護るための導者にして、倭国の天皇たるごとき君主に非ず。
5王は自ら導者として労し智覚を学び、常に一族の異変ありし時は自ら赴き是を鎮ましむ大責任の主なり。
5王は一族の長老が談義して定む。
亦長老は一族の中より一族諸居住地より選抜され、智の優れたる者を長老とし、その条は老若男女を問わず過去現在未来を智覚し一族隣栄のため諸義し相謀り決否して5王への司政をたすく者を長老とし、その数若干なり」 (荒吐神之瑞章第二)
その社会では、相互扶助の仕組みがしっかりと構築されていたばかりか、その精神が「民」だけではなく、指導者にも徹底していた、といいます。
そのため荒吐族には日向族のような甚だしい貧富の差は生じなかった、と佐治さんは書いています。
また凶作の年には、「荒吐5王は互いに救ひ合うて凶地の民を安住の地に移らしむ」という方法を講じたりできるように、5王間には災害時の相互扶助協定もできていたそうです。

そのうえ「一食一汁たりとも吾が己有の物なく5王の民共有の物なり」。毎日の食糧も自分のもの=私有ではなく,5王の民の共同財産だという徹底した考えだったといいます。
ローマとは違ったゲルマンの総有制を思い出します。
猛々しい日本武尊が後半、愛の人になったのは、東日流との出会いだったのではないかと佐治さんは書いています。

日本史を貫く2つの基本的原理、「縄文的なもの」と「弥生的なもの」は、ともするとイメージが逆転していると私は思っていますが、東北には古来、豊かな人の支え合う文化があったのです。

辺見庸さんは、これほどの規模の震災を経験して、日常に戻るとしたら意味がない、と言っていました。
同感です。それは、あまりに哀しい。
新しい社会原理の方向性が、荒吐の東日流にあるように思いました。

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2011/06/05

■節子への挽歌1372:絶望できることことは人の持つ能力の一つ

前の挽歌で書きましたが、テレビで辺見庸さんの「瓦礫の中から言葉を」の独白を聴きました。
考えさせられました。
大震災後のすっきりしなかった気持ちも少しすっきりしました。
世間の動きに、言葉にならない、あるいは言葉にするのを躊躇するような気持ちがあったのです。
みんな「嘘っぱち」に見えていたのです。
自分のやっていることの一部も。
節子がいたらそんな話も吐露できたでしょうが、なかなか心の奥底は言葉にするのは難しい。
節子なら直感的に伝わるでしょうが。

気分を変えたくなりました。
今日から6時に着替え、就寝時に着替えることにしました、
病院だからパジャマという考えは捨てました。

辺見さんは、大震災後のさまざまな動きに関して、とても心に響く言葉を語っていましたが、挽歌を書こうと思った言葉は次の言葉です。
辺見さんはこう言いました。

絶望できることは人の持つ能力の一つだ。
今ある絶望をもっと深めていくのも能力。
それが新しい可能性を開く。
新しい可能性には興味はありませんが、絶望を深めて反転させることなら、すでに身につけました。
絶望もまた希望なのです。
昨日書いたように病院には明るさも重さもある。
つまり絶望も希望もある。
節子もまた、その時空間の中にいたのです。
それが、おそらく人生を豊かにするような気が、この頃しています。
負け惜しみにも感じますが、節子との別れのおかげで得たものはたくさんあります。
人生も変わりました。
不幸になりましたが、人生は幸せだけでは成り立たないでしょう。
節子にしてやりたかったことは、山のようにありますし、節子にしてほしかったことも山のようにありますが、それはどれだけ尽くしたところで、満足はできないでしょう。
だとしたら、現実に満足するのがいい。

節子は、私のいない病院で何を考えていたのでしょうか。
たぶん何も考えていなかったでしょう。
ただ自らの素直な生を、ありのままの生を、感じながら、前を向いていたような気がします。
もしかしたら、生も死も、瑣末なことかもしれません。
辺見さんのメッセージを反対に受け止めてしまっているかもしれません。

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■節子への挽歌1371:病院はやはり異質な時空間です

節子
なぜか病院にいると「挽歌」も「時評」も、書く気になりません。
入院前には思ってもいないことでした。
どこかここは日常と違う時空間にあって、本も読めず、テレビも見る気がおきず、かといって思いを深めることもありません。
さらにボーっとしているわけでもないのです。
退屈ではありますが、30分おきには医師や看護士やスタッフがやってきます。
もしかしたら忙しいのかもしれません。
昨日、ユカがipadを持ってきてくれたので、それでフェイスブックなどをやればいいのですが、どうもそれもあまりやる気が出ないのです。

隣室の、私とほぼ同じ世代の患者さんは廊下を足早に往復しています。
そろそろ退院で、リハビリですかと訊いたら、7日に退院だそうです。
病気は舌癌、舌を半分切除したので、話すリハビリもしているのだそうです。
しばらく話しましたが、退院日を決めた後で、その日が「仏滅」だと気づいたそうです。
仏滅を意識する人もいるのです。
やはり病院には、明るさと重さが共存しています。

どんなに思い状況でも、どんなに哀しく寂しくとも、私は明るさだけは大事にしています。
節子を見送った時もそうでしたし、その後もたぶんそういう生き方は持続できたと思います。
この挽歌を読んでくれた人は、私が一時期、とても陰鬱に絶望していたと感じられたかもしれません。
しかし、実際にはそうしたときもなお、この挽歌のおかげで、つまり個々に書き出すおかげで、私は明るさを持続できたように思います。
今から思えば、少し気持ちがおかしくなっていたことはあります。
娘たちだけは知っているでしょうが。

どんな悲嘆も深めつつ言語していくことが必要。
生き残ってしまった、
あの震災の破局の只中にいる人は、生きているのは偶然で合って、あの状況では死ぬことが当然だった。

昨日、挽歌を書いていないので、気になっていたのですが、自然体が私の信条なので、9時の消灯にあわせて寝てしまいました。
しかし眠れず、いろいろと考えさせられました。
眠ったのは12時過ぎでしたが、5時には目が覚めました。
テレビをつけたら、辺見庸さんがいつものように、重く語っていました。
「瓦礫の中から言葉を」
それを見ていて、ちょっと元気になれました。
挽歌を書く気になりました。

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2011/06/03

■節子への挽歌1370:入院3日目

節子
入院3日目ですが、もう1週間くらいいる感じです。
医師も、とても昨日手術をしたとは思えないというほどの回復振りです。
というよりも、回復も何もないと思うのですが、これなら日帰りでも大丈夫だったのではないかと思います。
ただ実は親知らずだけではなく、その奥に含歯性のう胞というのができていたのですが、万一それが悪性だとかなり大変なんだそうです。
これから検体検査ですが、まあ大丈夫だろうということです。

しかし病院では時間がなかなか進まない。
それに持ってきたモバイルのエアエッジの通信速度が遅く、時々おかしくなるのです。
持参した本は漸く先ほどから読む気になりました。
病院という環境なので、医療や看護の関係の本を持ってきたのですが、それはやめて「国家」関係の本を読み出したのですが、なんとその最初のテーマが健康保険の話でした。
やはりこれもまた定められていたのかもしれません。

節子は入院の夜は何をしていたでしょうか。
いつも面会時間の最後まで私はいたと思いますが、節子だったらどうでしょうか。
この病院は食堂がないので、まあ無理ですが。

明日は娘がipadを持ってきてくれます。
ようやく入荷したのだそうです。
明日からは忙しくなって、挽歌を時間がなくなるかもしれません。
やはり挽歌は節子の写真のあるわが家で書くのが一番です。

病院では早寝早起きです。
習慣になるといいのですが。

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■常に後追いのテレビジャーナリズム

入院しているので、朝からずっとテレビの政治の動きの報道を見ていました。
しかしあまりのばかばかしさに、やめてしまいました。
今頃になって管首相では復興は進まないなどいう報道姿勢に変えても、もう何の役にも発ちません。
もっと腹立たしいのは、被災地の人たちのインタビューの報道です。
今日になって初めて管首相では復興は進まない、変わってほしかったという発言がでていました。
今まではこんな時期に首相を変えるという話は現地不在だという発言ばかりでした。
そういう発言を聞くたびに、私は被災者に正直、がっかりしていました。
政府が動かなければ自分たちで真剣に動かないような人たちは自業自得だとさえ思いました。
しかし実際にはそうした発言は、政府や東電に意を受けたテレビ局の関係者の編集の結果、取り上げられなかったのでしょう。
不信任案が否決されたので、もう大丈夫と流しだしたとしか思えません

今日はあの田崎さんまで、管首相ではダメだと明言していましたが、もっと早くからテレビで明言しておくべきで、そうした実態がしっかり語れたら、マスコミのいうがままの素直な国民の世論が変わり、流れも変わったでしょう。
小沢さんに対する実像ももう少しみんなきちんと語ってほしいと思います。
私は小沢さんも石原都知事も、その考え方はまったく正反対ですが、好き嫌いで意思決定すべきでないのが、昨今のような非常時だと思います。

岡田幹事長は「うそはつかないのが信条」とテレビでいいましたが、そしてそれは事実だと思いますが、「うそを見抜けず、現実をしっかり判断できずに、言葉を正しく伝える発言」は結果的にはうそになることをご存じないようです。

ちなみに、東復興副大臣の発言に感動しました。

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2011/06/02

■節子への挽歌1369:手術は何事もなく終わりました

節子
手術は何事もなく終わりました。
麻酔薬はどうもすぐ効くタイプらしく、打ってすぐに、その後の記憶が全くなくなりました。
麻酔担当の浜野医師には、せめて手術室に入るまでは意識を持続すると言っていたのですが、見事にだめでした。
意識が回復したとき、浜野さんは開口一番、私の勝ちですね、と笑っていました。
浜野さんの麻酔は完璧でしたね。
もちろん手術をした外科医の武田さんも完璧でした。
まったく痛みも何もありませんでした。

しかし5時頃まではまだ緊急処置室で横になっていました。
ユカと兄が付き添っていましたが、まあ退屈だったでしょう。

夕食は完全な流動食で、餓死しそうなほどおなかが満たされませんでしたが、フェイスブックでそう書いたら、空腹を感ずるのは元気の証拠と何人からメールが届きました。

親知らず歯の奥に,含歯性のう胞というのができていたのですが、それも完全にとれました。
それが悪性だと大変なことになるそうですが、大丈夫そうだといっていました。
元気がないのと餓死とどちらがいいのでしょうか。

まあそんなわけで、手術も終わり、後は退屈するのみだとおもっていたら、
入院患者が少ないせいか、いろんな人がちょいちょい来ます。
一般の看護教育では歯学は学ばないのだそうです。
ですから歯科病院にはいると、そこで初めて歯学を学ぶのだそうです。
食事は患者の状況で実にきめ細かく考えられているようです。
歯科病院ですから、節子が入院していたがんセンターとは雰囲気がかなり違います。
だから節子の追体験にはならないでしょう。
しかし、節子と一緒だったことが多いので、初めての入院も違和感なく楽しんでいます。
本を5冊も持ち込みましたが、まだ1冊も読んでいません。

パソコンの具合が悪く、アップが1日、遅れてしまいました。

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2011/06/01

■首相不信任案の提出は一歩前進だと思います

ついに首相不信任案が提出されました。
私は賛成です。

与党が首相不信任案に賛成するのはおかしいと政府の人はいいます。
国会と内閣は別の権力ですので、与党であろうと首相を不信任することは全くおかしなことではないと思います。
首相不信任案に賛成したら、与党を出て行くべきだという意見も私には理解できません。
私は、そもそも党議拘束の発想には賛成できません。
同じ党員だからといって、すべての考えが同じであるはずもないし、必要もありません。
人間は本来多様な存在なのです。

辞任要求だけでその後誰にするかをいわないのはおかしいという人もいます。
しかし、後任を誰にするかを提案することは辞任要求の意味を変質させます。
誰にするかによって全く辞任の意味が変わるからです。
テレビのキャスターやコメンテーターはそういいますが、後任を特定して辞任案を出すことこそおかしいです。
彼らもまた何も考えずにオウムのように理屈を並べ立てているように思います。

被災地の人は、現政府をスピード感がないという一方で、不信任案には余り好意的ではありません。
私には、それも全くおかしく聞こえます。
現政府に不満ならば、当然、首相を変えるべきです。
被災地の自治体の首長の発言は、私にはいつも受動的に感じます。

復興に全力で取り組むべきことが大切で、そんな政局がらみの話で時間をとるべきではないという人もいます。
首相を誰にするかは政局の話などではありません。
平常時はそうかもしれませんが、いまのような緊急時であればこそ、首相を誰にするかが最大の政策課題なのではないかと思います。
誰が首相かによって、事態は全く変わるはずです。
それが緊急時の意味です。
ここで数週間遅れることを嘆くよりも、根本を直すべきだろうと思います。

しかしいかにも遅すぎました。
小沢さんがもっとはやく動き出せば、自体は全く違ったものになったのではないかともいます。
それを封じたのはマスコミと私たちです。

さて明日の不信任案の結果はどうなるでしょうか。
不信任案が成立すると思っています。
まあ、政治に関する私の予想は当たったことがありませんが。
新しい首相は、小沢さんにお願いしたいですが、世論が邪魔して無理かもしれません。
となるとだれでしょうか。
原口さんはどうでしょうか。
また友人から批判されそうですね。
さらに会ったことのない読者からは、「馬鹿」「死ね」ときついお叱りを受けると思いますが。

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■節子への挽歌1368:はじめての入院

節子
入院しました。
ユカに同行してもらい、10時に病院に到着、午前中はいろいろと説明を聞きました。
親切すぎるほどの丁寧な説明で、それだけで疲れました。
節子と一緒に入院の説明は何回か聴いたはずなのですが、こんなに面倒だったかなと思いました。

血圧を測ったら高いのに驚きました。
前にもこの病院で測ったら高かったのを思い出して、血圧計が壊れているのじゃないかと言ったのですが、この前の測定器とは違いますと言下に否定されてしまいました。
そういえば、先週、降圧剤を飲むのをかなり忘れていたので、そのせいかもしれません。

幸いなことにパソコンも使え、この1年ほど、使っていいなかった通信用のエアエッジも速度は遅いですが使えました。
入院してまでパソコンをするなという節子の声が聞こえますが、挽歌は書かなければいけません。
生き方において先達の佐々木さんからも、パソコンを持ち込むなといわれていましたが、持参してしまいました。
困ったものです。

病院は、とても静かです。
新しい病院なので、空間的にもゆったりしています。
節子が元気で、付き添っていたら、きっと良い時間がすごせたでしょう。
しかし、節子がいないので、実に退屈な時間になりそうです。
入院期間は一応10日までなのですが、10日も持ちそうもありません。
これまた困ったものです。

思い出せば、節子はいつも病院でも明るかったです。
一度だけ弱気になっていたことを覚えていますが、その時以外は、私に心配をかけまいと節子は健気に振舞っていました。
私なら思い切り節子に心配をかけ、迷惑をかけたでしょう。
そんなことを思いながら、退屈な入院生活を始めました。
話す人がいないのは退屈ですね。
それにしても、時間がありすぎます。

仕方がないので、国会中継を見て、早めにシャワーに行き、フェイスブックをやりました。
6人部屋で、入院患者は同じく今日からのお一人です。
大きなタトーをした若者です。同行している奥さんもタトーが目立ちます。
とても素直そうな若者夫婦ですが、けっこう大変な状況のようで、医師がちょいちょい顔を出しています。
でもとても仲のよさそうな夫婦です。
なんだか心が和らぎます。

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■節子への挽歌1367:手巻き寿司と一房のぶどう

節子
今日から親知らず歯を抜くための入院です。
たかが歯を抜くだけなのに、長ければ10日の入院だそうです。

しばらく不在になるので、昨日は少しばたばたしていて、挽歌をかけませんでした。
今日も9時には出ないといけないのです。
なにやら大仰なことになりました。

昨夜は私の誕生日も兼ねて、自宅でみんなで食事をしました。
節子が大好きだった手巻き寿司です。
娘の伴侶の峰行のイタリアンレストラン エヴィーバ!の定休日だったので、彼がつくってくれました。
せっかくのイタリアンではなく、和食になったのは、私の嗜好を優先してくれたからです。

わが家では、誰かの誕生日はいつも手巻き寿司パーティでした。
節子が始めた、わが家の文化でした。
節子がいたらどんなに楽しかったことでしょうか。
節子に供えるのを忘れてしまっていましたが。

今朝の朝食に、なんと一房のぶどうが出ました。
私は、普段は食べるものに対する欲求はほとんどないのですが、なぜか突然に何かを食べたくなることがあります。
季節には無関係に、です。
節子がいた時には、ついつい節子に、○○を食べたいのでかってきてくれない、と考えもせずにいってしまっていました。
慣れていた節子は、またかと適当に聞き流していました。
数日前に、なぜか急にぶどうが食べたくなりました。
それでいつもの癖で、ぶどうが食べたいと発言してしまったのです。
いまはぶどうの季節ではないよ、と娘にたしなめられました。
ところが、そのぶどうを娘が入院前の朝食の果物で出してくれたのです。
節約家の娘がぶどうとは、ちょっとしたサプライズです。
季節はずれの巨峰は甘みが不足していましたが、美味しかったです。
今度は忘れずに節子にも供えました。

それにしても入院はわずらわしいです。
ユカがぜんぶ支度をしてくれていますが、さぞかし退屈でしょうね。

パソコンは持参しますが、通信環境がわからないので、挽歌は投稿できるかどうかわかりません。
投稿できなくても、毎日、書くようにします。

明日は全身麻酔で、呼吸も停止だそうです。
もしかしたら彼岸探索もできるかもしれません。
初めての入院体験。
節子を身近に感ずるかもしれません。

そろそろ出かけます。

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