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2011/06/25

■「世界を人工的につくり替えるという常軌を逸した傲慢さ」

今日は涼しい1日でした。
太平洋側の高気圧と大陸の低気圧が競り合っているなかに、台風がやってきたので、暑さと涼しさが入れ替わってしまいました。
自然の力の大きさはいつも驚かされます。
「世界を人工的につくり替えるという常軌を逸した傲慢さは、経済成長優先社会におけるわれわれの人間の条件の否定を現出させている」とフランスの経済学者セルジュ・ラトゥーシェは「脱成長の道」の中で書いていますが、全く同感です。
そろそろ経済成長神話から、私たちは抜け出なければいけません。
しかし一度つくりあげられた「常識」からは、なかなか抜け出られないのも人間です。
その「常識」の中にいることが、「生きやすさ」を生み出してくれるからです。
そうしてみんな、自分で考えることをできるだけ縮減し、大きな流れに身を任せていくわけです。
それだけではありません。
社会全体を、個人が考えることを最小化するようなシステムに仕上げていきます。
そうした社会で生きるためには、今度は逆に、自分の考えが邪魔になっていくという、転倒現象が起きてきます。
ファシズムやポピュリズムは、そうした現象の一つですが、後から振り返るととてもおかしな社会であろうと、そこで生きていた人にとっては、もしかしたら快適だったのかもしれません。

東北の大震災は、「世界を人工的につくり替えるという常軌を逸した傲慢さ」のゆえに、被害を大きくしたといえるかもしれません。
自然とともに生きる文化を、おそらく日本ではもっとも強く残していた東北でさえ、あれほどの被害が発生したのですから、もし他の地域だったら、おそらくもっと大きな被害を引き起こしたのではないかと思います。
しかし、気になるのは、その復興です。
「世界を人工的につくり替えるという常軌を逸した傲慢さ」の延長で、復興が考えられているとしたら、それは3次災害とさえ言えるかもしれません。

節電がブームですが、節電しなければいけないような、あるいは節電が可能なような生き方をこそ、見直すべきかもしれません。
自然がちょっと動いただけで、これほど気温が変わることを、やはり謙虚に受け止めたいと思います。

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