■節子への挽歌1386:メランポジウム
節子
むすめたちが、庭の花の苗を買いに行くというので付き合いました。
節子の時もそうでしたが、一応はついていくのですが、私はすぐに飽きてしまいます。
しかし、花木の中にいると、元気をもらえます。
どちらかと言うと、私は花より緑の葉が好きです。
花の好みは、家族といえども違います。
私はシンプルで、しかも葉っぱが若い緑の花が好きなのです。
都会的な花よりも、田舎の片隅に咲いているような、地味で飾り気のない花が好みです。
しかし、必ずしもそうしたものが選ばれるとはかぎりません。
花選びには、私は基本的に口を出しません。
手入れをするのが私ではないからです。
私が手入れをすると、枯らすことが少なくないのです。
選んでいるうちに、娘が、この花は節子が好きだったねといいました。
メランポジウムです。
キク科ですが、小さなひまわりのような花で、暑さに強く、広がって咲くととてもきれいです。
節子は好きでしたが、わが家の庭ではメインにはならなかった花です。
あまりに平凡なので、決して主役になることのない花と言ってもいいでしょう。
それにとても素朴ですし、きれいではありますが美しいとはいえません。
しかし、花も葉も、よく見るととても素直です。
いささか身びいきかもしれませんが、どこか節子に似ています。
むすめたちの選択の対象にはなっていませんでしたが、2鉢買ってもらいました。
本当は10鉢ほど買ってじゅうたんのように広げるときれいなのでしょうが、わが家の庭にはそんな広さはありません。
どこに植えてもらえるかはわかりませんが、この花は秋まで咲き続けるはずですから、枯らさないかぎりは、しばらくはつきあえそうです。
庭に関しては、私の担当は小さな池の部分だけです。
しかもそこは、できるだけ自然な感じにしたいので、水草も含めて草が茂っています。
先日書いたように、長年いた金魚も見つかりません。
小さな池なので、ちょっと探せばわかるのですが、探したくもありません。
荒れ果てた池というイメージが好きなのです。
それに、いつぞやは池の中に大きな蝦蟇がいたこともあります。
まあこう書くと、意図的に池の辺りを自然状態に保っているように思えてしまいますが、本当のところは単に手入れ不足なだけなのです。
かなり荒れています。
メランポジウムを契機に、少し私も庭の手入れをしようかと思い出しました。
節子と一緒に行った山野で、購入してきた山野草も、いささか危機状態にあります。
もうどれがどこのものかさえわからなくなってしまいましたが、このままだと絶滅しそうです。
庭の花木に、節子の思いがこもっているとしたら、
もう少しきちんと関わっていかないと節子に怒られそうです。
しかし、花木への心をこめた手入れは大変です。
私には、不得手です。
もしかしたら、私の、節子への愛も、まあこの程度だったのかもしれませんね。
もしそうなら、節子は間違いなく、それに気づいていたでしょうね。
いやはや、本性は隠せないものです。
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