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2011/06/07

■節子への挽歌1374:明日は退院です

節子
一昨日までは糖分不足でした。
昨日からはかなりの塩分不足です。
食事にもう少し塩分を加えてもらえないかと話しましたが、だめでした。
栄養管理の思想は、「科学的データ」に信頼を持たない私にはなじめない思想です。
個人の心身が求めるところから発想するのが、私の生き方の基本です。
ですからこれまでもどうも、規範的な世間常識と食い違うことがあり、ある年齢までは生きずらい社会でした。
それを支えてくれたのが、節子でした。
節子もまた、どちらかといえば、規範的なものよりも心身的なものを大事にしていたように思います。

術後の異常はまったくなく、健康そのものなのですが、なかなか退院させてもらえないのは、私の年齢のせいかもしれません。
手術日の夕方に退院してもいいくらいでした。
ただ何かトラブルがあると大変なのでしょう。人生にはトラブルはつきものですから、患者の選択に任せればいいと思うのですが、そうもいかないのでしょう。
しかし、もう少し長く入院しているとたぶん異常が発生しそうです。
困ったものです。
年齢によって入院期間を決めるのも規範型です。

病院でゆっくり静養してきたらいいとみなさんはいいますが、病院で静養などできません。
とりわけ私の場合は、かなりの寝不足です。
早く眠る分、夜中に目がさめ、さらに朝早く目が覚めます。
昼間は眠れないタイプですので、平均して5~6時間の睡眠です。
それに「何かをして疲れる」よりも、「何もしないで疲れる」ほうが、疲れは深いのです。
そんなわけで、今はかなりの疲労困憊です。

しかし、心が安らぐこともあるのです。
意外なのですが、節子をふと感ずることがあるのです。
ちょっとした時に、突然に節子のイメージが浮かび上がってきます。
節子の入院のときの様子を、です。
心に起こるのは、哀しさや悔いというよりも、むしろ懐かしさなのですが、この病院のどこかに節子がいるような気さえすることがあります。

こうして私の最初の入院は、明日で終わりです。
今日は個室に移り、パソコンをやったり本を読んだりしています。
明日は9時半に娘が迎えに来てくれる予定です。

しかしなんで今夜も病院で泊まるのか、よくわかりません。
シャワーを浴び、普段着でくつろいでいるのですが。
今日、退院するように頼めばよかったです。
いつも私は気づくのが遅いのです。
困ったものです。
節子がいたら、きっともう少し早く退院させてくれたでしょう。


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