■節子への挽歌1388:身体健康御守
節子
今日は湯島に井口夫妻がやってきました。
ついに節子は会う機会がありませんでしたが(文通だけでしたね)、井口さんの奥様はいつも会うと節子の話をしてくれます。
節子が元気になったら、4人で食事をしたいと思っていましたが、実現できませんでした。
たぶん節子とは話が合っただろうと思います。
井口さんの奥様も、最近、あまり体調がよくありませんでした。
気分転換に、湯島でも我孫子でもどちらでもいいから一度お2人で来ませんかと誘っていたのです。
近くに来る機会があって、寄ってくれました。
とても元気そうでした。
元気な人を見ることほどうれしいことはありません。
一緒に食事をした後、お2人は湯島天神にお参りしたいというので、私だけ先にオフィスに戻りました。
珈琲を淹れていると2人が遅れて戻ってきました。
そして、湯島天神で、私のために「身体健康御守」をもらってきてくれました。
私が、最近入院したことを知っているのです。
相変わらずの憎まれ口で、「もうそろそろいいかと思っているんです」と言ってしまいました。
そろそろ人生を止めてもいいという意味です。
井口夫妻は、口をそろえて、まだだめだと言いました。
なかなか此岸を離れることはできません。困ったものです。
人の人生は、自分でも決められません。
井口さんの奥様も、体調がひどい時には生きるのが辛かったようです。
節子もそうでした。
しかし、自分の生命は決して自分だけのものではありません。
辛くても生きなくてはいけません。
辛くても生きつづけられない時が、あるように。
私は自分の健康を大事にするという感覚が乏しいのですが、それは健康も生命も天から与えられたものであり、それを素直に生きればいいと思っているからです。
しかし、自分の生命はそう思うくせに、節子の生命に関しては、そう思えませんでした。
いまから思えば、自分の我欲のために、節子に無理に頑張らせてしまったのかもしれません。
節子の生命は、私のものだと思いすぎていたのかもしれません。
私の健康は、だれのためのものでしょうか。
娘たちのためのものかもしれませんし、私に会いに来てくれるたくさんの友人知人のためかもしれません。
井口夫妻からもらった「身体健康御守」を大事にしようかと、ちょっと思いました。
実は、私は「御守」はちょっと苦手なのです。
理由は、節子を守ってくれなかったからです。
しかし、少し見方を変えれば、御守が節子を守ってくれていたのかもしれません。
過剰な我欲は捨てなければいけません。
でも、健康に気をつけるって、どうすればいいのでしょうか。
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