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2011/06/27

■節子への挽歌1394:情念のエントロピー

私が会社に入ったのは昭和39年です。
その年に節子に会ったわけですが、節子以外にも私の人生を方向づけた出会いがありました。
同期で入社したかなり年上の岡田さんというドクターから教わった「エントロピー」と言う概念です。
今でこそ知っている人も多いですが、当時はまだあまり知っている人もなく、私には実に新鮮な話でした。
岡田さんがなぜその話を私にしたのか、わかりませんが、当時はまだエントロピーという話に興味を持つ人は少なかったようで、岡田さんは私にていねいに説明してくれたのです。
最初に話を聞いたのは電車の中でした。
節子と最初に、親しく話したのも電車の中でしたが。

岡田さんとはなぜか気が合い、三島での新入社員教育の時にも2人でこっそりと抜け出し、近くの三保の海岸に泳ぎに行ったりしました。
見つかればさぞ怒られたでしょうが、同期入社した親友社員は200人以上でしたから見つかりませんでした。

企業経営にもエントロピー発想は大切だと思い、少しは勉強もしました。
雑誌に経営論を連載した時にエントロピーの話も書いたのですが、友人の大学教授が関心を持ってくれて、自分の著作に取り上げてくれましたが、他には反応はありませんでした。
その後、大学で経済学を教えてくれた玉野井芳郎さんが、エントロピーとエコノミーをつなげて考察している本を読んで感激しました。
玉野井さんの授業は実に退屈だったので名前をしっかりと覚えていたのですが、私が卒業後の授業内容は全く違っていたようです。

なぜこんなことを急に思い出したかと言うと、ある本を読んでいて、エントロピーと玉野井さんの名前が出てきたからです。
そして、当然ながらその関係で、シュレディンガーのことも出てきました。
生きるとは、体内で発生する余剰エントロピーを体外に捨てることによって自らを維持することである、と言ったのはシュレディンガーです。
有名な定義ですが、その言葉に久しぶりに出会って、すぐ思いついたのが、この挽歌です。
私の心身で発生する過剰な情念を吐き出す役割を、この挽歌が果たしていることに気づいたのです。
エントロピーと情念は違いますが、つながることも多いような気がします。
もしかしたら、「エントロピー心理学」あるいは「エントロピーセラピー」なるものがあるのではないかと思い、ネット検索してみました。
あってもよさそうですが、言葉としてはまだないようです。
「情念のエントロピー」という捉え方もおもしろいと思いましたが、これもありません。
なければ創るのがいいですが、まあ今のところ、そこまでは乗っていません。

それで論理的ではないのですが、例によって飛躍的な結論です。
私にとって、生きるとは挽歌を書き続けることなのです。
書き続けないと情念が過剰化し、思いの構造が破壊し、心が変調をきたすわけです。
人は、それぞれの過剰な情念を処理する仕組みを持たないといけません。
その方法が見つかれば、世界から戦争やテロはなくなるかもしれません。

またひとつテーマが見つかりました。
あんまり取り組む気はないのですが、おもしろそうだと思いませんか。

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