■節子への挽歌1380:存在しない命日
これは「たまたま」だったのか。
そう思うことが時々ありますが、節子も、最後にそう思わせてくれました。
節子が息を引き取ったのは、9月3日の0時0分です。
そう告げてくれた医師が、時計を見て確認してくれました。
それがちょうど0時0分でした。
日が入れ替わる、まさにその瞬間に、節子は逝ったのです。
正確に言えば、節子の命日は実は2日でもなく3日でもないのです。
0時0分のイメージが、いつも頭から離れません。
私は、母を病院で見送りました。
節子と一緒に付き添っていたのですが、朝になって容態が変化し、関係者にすぐ来るように連絡しました。
私の娘が、自動車の渋滞でちょっと遅れました。
ところが、その娘が病室に着いて、母に声をかけた途端に、母の心拍が止まりました。
母は、孫がそろうのを待っていたのです。
先日書いた「無意識の意識」につながるのですが、節子もまた、そうした「意識」を越えた意識に支えられていたように思います。
そして、0時0分を待って、現世での生に区切りをつけたような気がしてなりません。
「たまたま」だったのかもしれませんが、私にはそう思えるのです。
もしかしたら、命日をつくらないために、節子は0時0分を選んだのかもしれません。
その最後を、9月2日の24時と捉えることもできます。
9月2日の24時と9月3日の0時0分は、同じ時刻なのかもしれません。
どちらと捉えるかによって、節子の命日は変わってしまうのです。
私たちは、9月3日を選びました。
最後を見届けてくれた岡田医師も、まったくなんの躊躇もなく、9月3日の0時0分と宣言しました。
しかし、最近思うのです。
節子は、命日をつくりたくなかったのではないかと。
時間の流れの中にある亜時空間に入り込み、私を誘っているのではないか、とついつい想像をふくらましたくなるのです。
亜時空間は、遍在しています。
時間の流れ、空間の制約から自由なのです。
1日おきに出現する0時0分は、彼岸に向けられた此岸の通路かもしれません。
節子
0時0分は「たまたま」だったのでしょうか。
それとも「メッセージ」なのでしょうか。
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