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2011/06/20

■節子への挽歌1387:枇杷

節子
我が家の下の塚原さんの庭の枇杷がすずなりになっています。
庭に出ていたら、よかったら採りにこないかと下から声がかかりました。
私は、今日はめずらしく庭の手入れをしていて(ただ茂りすぎた木や花を切っていただけですが)行きませんでしたが、ユカが収穫に行ってきました。
節子に供えるようにと、枝ごともらってきましたので、早速活けてもらいました。

塚原さんの枇杷は、節子と深くつながっています。
節子もさまざまな治療に取り組みました。
そのひとつが、枇杷の葉の温湿布です。
枇杷の葉を熱して、それを患部に貼るのです。
官足法のマッサージと枇杷の温湿布が、私の仕事でした。
毎日、かなりの量の枇杷の葉を使うので、近所で枇杷を植えているお宅に頼んで、葉っぱをとらせてもらいましたが、一番たくさんもらったのは、塚原さんのお宅の枇杷の葉でした。
ユカと一緒に、葉をとりに時々寄せてもらっていました。
わが家の庭にも枇杷を植えて自給しようと思って苗を植えましたが、育つ前に、残念ながら枇杷の葉はもういらなくなってしまいました。

枇杷の葉療法に限らず、私たちはいろいろな療法を試みました。
民間療法への医師の反応は一般に冷ややかですが、当事者になると、藁をもつかむ思いで、さまざまなものに挑戦します。
残念ながら、そうした民間治療の知識は体系化されていません。
その効用は客観的なものとはいえず、昨今のエビデンス・ベースド・メディシン(科学的根拠に基づく医)の流れの中では、だれも体系化などしようとはしないのでしょう。
しかし、実際に身近で誰かががんになってしまうと、多くの人が民間療法への関心を高めるはずです。
実際に近代医療から見放されてしまえば、それに頼るしかないのです。
それに、かりにエビデンスがないとしても、効用がないとは断定できなません。
もう少し体系化していければ、使い方ももしかしたら見えてくるかもしれません。
節子がもし元気になったら、私はそれをライフワークにしてもいいと思っていました。
しかし、その思いは、節子と一緒に消えてなくなりました。
今はもう、関心はなくなってしまっています。

ちなみに、わが家では、節子が元気な頃から枇杷は1年に1回しか食べません。
節子は、初物は基本的に旬の時期に1度は買ってきました。
しかし、枇杷は食べるところがないねと言って、2回目はありませんでした。
わが家にとって、枇杷は食べるものではなく、季節を知るものでした。
そして、最近は、節子のことを思い出させるものになってしまっているのです。

塚原さんの枇杷はまだちょっと早すぎて、甘味が不足しています。
節子ならきっとジャムにしたでしょう。

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妻への挽歌07」カテゴリの記事

コメント

奥様は癌で亡くなられたのですね。それはそれは大変な闘病の日々でいらしたのですね。自然療法も試みられたとのこと。自然療法は生き方そのものを変えていかなくてはならないので、部分的お手当だけではなかなか効果が得られません。私も中途半端な知識のお手当のかいなく、主人の母を癌で看取りました。それがあって、あなたと健康社で、2年半学びました。癌から生還された方が沢山いらして、本当におどろきました。でも半端でない生活改善、意識改善をされておられます。肝心なことは、感謝の日々を送り、自律神経を整えることです。私達人間は自然の一部。天に生かされている存在です。如何に宇宙のエネルギーを体内に取り入れるか。自律神経を整え、免疫力を上げていくのが私の課題です。

投稿: 飯田玲菊 | 2011/06/23 12:03

飯田さん
ありがとうございます。
私たちも感謝が基本でした。
考えようによっては、そのおかげで、4年半という奇跡が起きたのかもしれないと思っています。

投稿: 佐藤修 | 2011/06/23 18:42

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