■節子への挽歌1389:「生きることは喜びに満ちている」
佐久間さんが「手塚治虫のブッダ 赤い砂漠よ!美しく」のチケットを送ってきてくれました。
観に行ってきました。
今回は3部作のうちの最初の作品だそうです。
ブッダが出家したところまでの、いわばブッダ序論です。
予想以上に原作に忠実なため、ちょっと物足りなさを感じましたが、これからの展開に期待したいと思います。
この作品のテーマは、「いのち」あるいは「生きる」です。
そこには2つの生がクロスして描かれています。
奴隷から王を目指したチャプラと王から人を目指したシッダルタです。
映画では、彼らは戦場で出会います。
そのシーンの映像処理は私には印象的でした。
シッダルタの発しているあたたかなオーラが、チャプラのいのちを目覚めさせるシーンです。
私も一瞬、あったかなオーラを感じました。
しかし、この映画のナレーションで気になる言葉がありました。
「生きることは苦しみに満ちている」
これはこの作品のメッセージのようでもあります。
これまでは、こういう言葉を聞いてもすんなりと受け容れられたように思います。
ところが今回は、この言葉が奇妙にひっかかったのです。
「生きることが苦しいはずはない」
自分のどこかで、そう叫んでいる気がしたのです。
最近、生きることの捉え方が、自分なりに少し変わってきているような気がします。
たしかに、生きることには悲しみも寂しさも辛さも、そして苦しみも満ちている。
でもそれらはすべて、喜びのためにあるのではないか。
「生きることは苦しみに満ちている」という言葉の呪縛にはまってはいけない。
もし言葉にするのであれば、「生きることは喜びに満ちている」と言うべきです。
最近、そういう思いが強くなってきています。
そのせいか、映画の中で語られるこの言葉に、大きな違和感を持ってしまったのです。
言葉は現実を創りだします。
そして時間の方向性を決めていきます。
「苦しみを超えるために生きる」のか、「喜びのなかに生きる」のか、その違いは大きいです。
それは、生の意味合いを変え、社会の構造を変えていくはずです。
前向きに生きなければ、とみんな言います。
前向きとは何でしょうか。
私は、いまを思い切り素直に生きることではないかと思います。
素直になれば、哀しさや寂しさ、辛さや苦しさの中に、見えてくるものがあるのです。
とてもあったかな光のような、喜びと言ってもいいかもしれないものが。
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コメント
暑中お見舞い申し上げます。
ご無沙汰ばかりしておりますが お元気でいらっしゃいますか?
節ちゃんが亡くなられて四回目のお盆が来ましたね。
いつまで経っても忘れられません。
私は相変わらず夏痩せもせず それなりに元気に過ごしております。
今一番心配事は 娘の佐知が初めてのお産で 昨日(9日)が予定日ですが今のところ
何の兆しもなく落ち着かぬ日々を過ごしております。
主人がパソコンを買い替え、古いパソコンをもらいましたが、私はメールを送信することも少ないので、
メールは主人のパソコンで行うつもりです。
まだまだ暑い日が続きますがお体を大切にご活躍ください。
福岡勝代
投稿: 福岡勝代 | 2011/08/10 17:26
いつもありがとうございます。
挽歌はまだ続いています。
4回目のお盆です。
最近はあまり時間の感覚がないのです。
ちょうど今日、仏壇の掃除をしました。
引き出しから福岡さんの絵手紙もでてきました。
今年は私自身もちょっと暑さに負け気味です。
困ったものです。
投稿: 佐藤修 | 2011/08/10 18:48