■節子への挽歌1397:暑い夏の夜は嫌いです
節子
暑さのせいか、わが家のチビ太がかなりおかしくなっています。
夜になると怯えたように動き出すのです。
熱帯夜のせいかと思い、扇風機やクーラーも試みましたが、効果はありません。
ともかくうろうろと歩き回り、東を向いて吠え続けるのです。
夜ですから近所の迷惑になっていることは間違いありません。
吠えないように、かなりの努力をしていますが、うまくいきません。
昨夜も明け方の5時15分まで、チビ太のいる近くのソファで寝るでもなく、寝ないでもなくの夜を過ごしました。
いまは頭がボーっとしています。
吠え続けるチビ太に声をかけながら、なぜ彼が吠え続けるのだろうかと考えるのですが、理由が思いつきません。
怯えたようなチビ太を見ていると、なにか霊気かあるいは放射線に怯えているのかとさえ思えます。
人間でいえば、おそらく90歳を超えたであろうチビ太には、少なくとも私には見えないものが見えるのかもしれません。
4年前の夏。
節子にとって、そして私たち家族にとって、一番辛かった夏でした。
昼も夜も、節子と一緒に過ごしましたが、あの当時、私は果たして節子のことをどのくらい知っていたのだろうかと思うと、いつも心が痛みます。
本当に、私は節子と共にいたのだろうか。と。
特に夜になると、そう思います。
だから、私には暑い夏の夜はとても辛いのです。
節子に懺悔した気分になります。
節子も、チビ太と同じように、私には見えないものを見ていたのでしょう。
それを私に伝えたかったのかもしれません。
話すのも辛そうな節子に、また元気になったら、と私は話を拒んでいたのではないかとも思います。
節子のことはすべてわかっていたということは私の傲慢な誤解かもしれません。
いや、間違いなくそうでしょう。
チビ太のことがわからないように、節子のことも何一つわかっていなかった。
そう思うと悔しくてしかたありません。
だからそう思わないようにしているのです。
辛い夜も、朝になるとどこかホッとして、気分が変わります。
夜の世界と昼の世界は、ハデスとゼウスの性格のように、まったく別の世界なのかもしれません。
昼間に思い出す節子との最後の夏の思い出と、夜に思い出す節子との最後の夏の思い出とは、明らかに違います。
もしかしたら、本当は私もチビ太のように、吠え続けたい衝動がどこかにあるのかもしれません。
問題のチビ太は、いまは夜よりも暑いはずなのに、熟睡しています。
蹴飛ばしたくなるほど、よく寝ています。
今夜も不安ですね。
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