■節子への挽歌1378:シャデラックスと荒木一郎
節子
久しぶりに湯河原に寄りました。
ここは、私たち夫婦の終の棲家になるはずでした。
人生計画はうまくいかないこともあるのです。
3月の地震でどうなっているのかと思い、箱根に来たついでに立ち寄りました。
書斎の書棚から本が飛び散っていました。
ここで仕事をすることも、もうないでしょう。
書籍は処分したほうがいいかもしれませんが、何かを変える気には、まだなれません。
ここには私のお気に入りのLPがあります。
シャデラックスの「緑の地球よ どこへ行く」と荒木一郎の「ある若者の歌」です。
いずれも私の大のお気に入りなので、節子も何回も聴いたはずです。
久しぶりに聴きました。
シャデラックスはあまりメジャーではありませんでしたが、私が一番好きだったグループです。
特にこのLPは、大きなメッセージのこもった歌ばかりです。
しかもこのレコードの収益の一部は、水俣病センター設立委員会に寄贈されました。
CD化もされていないようですし、ユーチューブでもほとんど見つかりませんが、すばらしい歌ばかりです。
たとえば「PPMのうた」というのがあります。
歌詞の一部を紹介します。
PPMってなんのこと どこにかくれているのだろうまさにいまの放射能汚染を思わせます。
PPMってだれのこと どこからやってくるのだろう
(中略)
牛乳ビンにもかくれている
べんきょうしてても気になるの
ごはんのときも気になるの夢のなかまで追いかける
にげてもにげても にげられない
このLPに入った曲のメッセージが、残念ながらどんどん現実になってきています。
いまこそ多くの人に聴いてほしい曲ばかりです。
もう1枚の荒木一郎は、私たちが一緒に暮らし始めたころ流行っていた曲です。
私が大好きなのは「君は知らない」という歌でした。
荒木一郎のCDは何枚か出ていますが、この曲が入っているものは残念ながら私は見つけられずにいます。
青い海原 海をみつめていた久しぶりに聴いたら、急に歌いたくなりました。
黙ってただ たたずんでいる
あの人は何をしているのだろう
きっと戦に行った人を 待っているのさ遠い異国の 空をみつめていた
黙ってただひとりで 横顔を夕陽が赤く染めると
やがてひとつぶの涙が その人の頬に流れた
歌を歌うのは5年ぶりでしょうか。
歌いだした途端に、不覚にも涙が出てきて、とまりません。
昔は、節子と一緒によく歌いました。
歌いながら、この人は私ではないかという気がしてきました。
今日はここに泊まるつもりでしたが、やはり帰ることにしました。
寄らなければよかった、まだ立ち迎えそうにもありません。
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コメント
はじめまして。松本平太と申します。
3年前、新型コロナが猛威を振るい、国の緊急事態宣言時、外へ出にくい代わり、地元神戸のタウン情報誌をWEBで創刊から順番に読み続けるうち、1972年の春の号まで来て、幼少期から親しんできた初夏の「神戸まつり音頭」の歌手インタビュー記事と出会ったのを機に、シャデラックスの魅力を再認識しつつあります。
シャデラックスは、関西学院大学グリークラブ出身の正統派コーラスと、カレッジ・フォークの二刀流グループで、4,5歳のころ週末の夕方に見ていたNHKの「歌はともだち」という児童向け音楽番組に、ロシア公演に出かけていたボニー・ジャックスのピンチヒッターとしてのステージで初めて知り、
ダークダックス=ロシア民謡 ボニージャックス=抒情歌、家族、親子 デューク・エイセス=ジャズ、ポピュラー、黒人霊歌 シャデラックス=社会
といった具合で大人になってから各グループの特色がつかめるようになりましたが、同郷の大学のシャデラックスの皆様が
1963年から1973年までの短命に終わったのか、未だに理解できません。
それと、個人的には荒木一郎さんの美しくて心にしみる名曲もシャデラックスの清楚で爽やかなコーラスで聴きたかったです。
投稿: 松本平太 | 2023/07/21 14:29
松平さん
ありがとうございます。
久しぶりにまたシャデラックスを思い出しました。
うれしいコメントです。
荒木一郎さんのギリシアの歌はとても好きでした。
CDに収録されていないため、聞けないのですが、「あの人は今・・・」で始まる歌もとても好きでした。
投稿: おさむ | 2023/07/24 07:07