■報告:8日間の入院生活を終わりました
ブログにも書いてきましたが、6月1日に入院し、本日、退院しました。
はじめての入院生活でしたが、実に退屈で、実に面白く、実に窮屈で、つかれました。
良いことも少なくありませんでした。
同じく入院していた若者世代のやさしさを知りましたし、病院というものを実感的に知ることもできました。
病気は、含歯性のう胞と親知らず歯の除去でした。
自覚症状は全くなかったのですが、歯はばかにしてはいけないと歯医者さんに言われ、1年前から早く行くようにと松戸の日大歯学部付属病院を紹介してもらっていたのです。
妻の入院という、かなり辛い体験をしていたので、なかなか病院には足が向きませんでしたが、やっと行ってきたわけです。
私がなかなか行かないので、早く行ったほうがいいと、いろいろな人が電話をかけてきてくれたおかげです。
友人はありがたいものです(まあ、ちょっと迷惑なこともありますが)。
手術は全身麻酔でした。
肩に注射を打ってもらった以降は、全く記憶がありません。
その間、付き添ってくれた娘や医師の話によると、私は「会話」していたそうです。
しかし、全く意識がないのです。
手術はかなり大変だったようで、手術開始後、出てくるまで2時間以上かかったようです。
術後も順調で、手術の翌日に、医師から元気ですね、といわれました。
元気だったら退院させてくれればいいと思うのですが、退院は予定よりわずかに2日早まっただけでした。
残念ながら年齢のせいでしょう。
しかし、手術も術後の処置も完璧でした。
痛みもなければ、手術の記憶さえない。
入院中の不満はただ一つ、毎日かなり薄いおかゆだったことです。
さすがに最後は受け付けなくなり、もう金輪際、おかゆは食べまいと決めました。
病院食に関しては、いろんな気づきがありました。
一言でいえば、ケアリングの発想がまだ欠落しています。
食事の意味がたぶん理解されていないのです。
どこかの病院で食事改善のプロジェクトがあれば、参加したい気がします。
医師たちから、退院しても無茶しないようにといわれたので、無茶はしないつもりですが、どこからが無茶なのかを確認するために、帰宅後、病院で止められたことを試みてみました。
まずはたっぷり砂糖を入れた珈琲を2杯と紅茶を2杯飲みました。
当分はとるなと言われていたのですが、思い切り甘いものを食べました。
シュークリーム、ケーキ、アイスクリーム、キャラメルコーン、・・・
さすがに胸がむかついてきました。
昼食は娘がやわらかいものを用意してくれていたのですが、わがままを言って、かためのご飯を炊き直してもらい、思い切り辛い塩鮭にしてもらいました。
入院中は塩分もずっと禁じられていたのです。
私が高血圧のせいか塩分のない食事でした。
私には納得できず、変更を申し込みましたが、だめだったのです。
おせんべいはやめろと医師にも言われていましたので、挑戦してみました。
ついでにピーナツまで食べてみました。
大体においてOKでした。
まあ、ちょっと治療したところから血が滲み出してきましたが、これは健康の証拠です。
さてだいたい試してみたので、どこまでが「無茶」かがかなりわかりました。
医師との約束を守って、無茶をやめるつもりです。
入院中、フェイスブックとメールで、いろんな人との交流はいつもよりも密でした。
点滴が止まった時には友人知人がアドバイスしてきてくれました。
改めてネットの威力を感じました。
病室では、パソコンとIPADが常時つながっていました。
退院時に、偶然、麻酔をしてくれた濱野医師に出会いました。
15000人に一人の危機を乗り越えてよかったですね、とエレベーターまでわざわざ見送ってくれました。
最後に、彼が「無茶はしないように」といったので、私は素直に無茶をしないことに決めたのです。
当分、毎週、通院です。
時々、さぼってもいいですかと確認したら、それはダメだといわれましたが、まあこれも一度、やってみなければわかりません。
世の中にある規範は、自分の心身で確認していかなければいけない。
改めて、そうした私の生き方を思い出させてくれた8日間でした。
娘が予定していた献立をほぼすべて否定したので、夕食は何にしようかと悩んでします。
そういえば、退院の時に、食事指導を娘は受けていたようです。
私も同席していましたが、全く興味がありません。
何を食べれば言いかを一番知っているのは私の心身だからです。
しかし、正直に言えば、長いおかゆ生活で、あまり食欲はありません。
味覚にも変化があったような気もします。
帰宅後、最初にかかってきた電話が任侠の世界の人からでした。
きっと、私のフェイスブックやブログを読んで、退院を知ってくれたのでしょう。
さすがに仁義に篤いと思ったら、食べ物は専門家の言う通りにせいや、というのです。
余計なお世話だ、食べ物の専門家は自分だよ、と切り替えしましたが、実は彼もそんなことはわかっている人です。
彼自身そういう生き方をしてきている人ですので、私は好きなのです。
専門家と言う人の専門知識も、問い直すべき時期だろうと思います。
改めてそう思ったのも、今回の入院のおかげです。
原発事故への対応の不幸は、中途半端な知識しかない原発の専門家にみんな依存していることだろうと思います。
長くなりましたが、この8日間の報告です。
ネットなどで応援してくださっていたみなさんに感謝します。
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