■節子への挽歌1379:失ったものを取り戻すことなどできない
昨日書いた、荒木一郎の「ある若者の歌」には、「笑ってごらん」という曲もあります。
もしもあなたが泣きたいなら当時は、この言葉に違和感はなかったのですが、いまは大いにあります。
笑い顔して泣いてごらん
笑顔が あなたに消えてしまった幸せを
そっと返してくれるだろう
泣きたいときは、思い切り泣くのがいい。
笑顔など不要です。
それに、消えてしまった幸せは、二度と戻ってはこないのです。
未練がましく、それを戻してほしいなどとは思いません。
幸せに限らず、失ったものを取り戻すことなどできないことはよくわかっています。
そして、そうした失った幸せの思い出に浸ることも、私には無縁のことです。
後悔することも、私には無縁のはずでした。
しかし、残念ながら、節子のことに関しては、何度も後悔を味わいます。
そこから今もって抜け出られない。
自分でもいやになるほど、未練がましいのです。
得たものは必ず失う。
それはよくわかっている。
失うことは、得ることでもあるということも一応わかっているのです。
しかし、節子を失ったことは、そうした私の考えさえも混乱sだせてしまっています。
失ってからわかる悲しみや幸せもあります。
失ってから得る悲しみも幸せもある。
この局に最初に出会ったのは、節子と一緒に暮らしだしたころです。
それから45年。
生きることの意味が、ようやくわかってきたような気がします。
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