« ■報道は政府の愛玩犬になってしまった | トップページ | ■死刑制度と「赦し」 »

2011/06/23

■節子への挽歌1390:生きるもよし、終わるもよし

節子
今朝は涼しかったのに、午後から急に暑くなりました。
お墓参りをして戻ってきたら、視野が少しおかしいのです。
軽い熱中症でしょうか。
実は昨夜も、チビタが眠らずに、私も5時までリビングのソファーで寝ていました。
チビタが眠らないのは、もしかしたら暑さのせいかもしれません。
昨年の夏には、暑さにやられて緊急入院しましたが、かなりの高齢なので、見かけの元気さに惑わされずに注意しなければいけません。
そう思っていたら、なんと私自身も同じことのようです。
自分では気づかないのですが、かなり心身はボロボロになっているのかもしれません。
幸いに、少し休んだら元に戻りました。

生きつづけることには、あまりこだわりはありません。
生きるもよし、終わるもよし、といった心境ですが、それにしては、いかにも「とり散らかった」状況にいます。
身辺をもう少し整理しておくようにと、娘たちは思っているでしょうが、整理せずに終わるのも私らしくていいかなとも思います。
ほんとうは、そうした途中の終焉を節子が面倒を見てもらうはずだったのです。
節子がいない今となっては、人生の終わり方を考える楽しみもありません。

佐藤さんにはまだ元気で活動してほしいと思っている人がたくさんいるのですから、と言われることもあります。
本当かなあと思う一方で、もしかしたらそうかもしれないと思う顔も浮かんできます。
まあ、それも多分私の勘違いで、私などいなくても、誰も困りはしないでしょう。
人間とはそういうものですから。

節子がいなくなったら生きてはいけないと思っていたことを思い出します。
にもかかわらず、もう3年半たつのに、私は元気に生きています。
節子に嘘をついた結果になってしまっていますが、当時は本当にそう思っていたのです。
しかし、ある意味では、私の生は別のものになっているかもしれません。
節子が隣にいた時には、「生きるもよし、終わるもよし」などとは思ったこともないからです。

「生きるもよし、終わるもよし」の人生を、どう過ごせばいいのか。
熱中症には気をつけるとして、これはそれなりに難問かもしれません。

|

« ■報道は政府の愛玩犬になってしまった | トップページ | ■死刑制度と「赦し」 »

妻への挽歌07」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ■節子への挽歌1390:生きるもよし、終わるもよし:

« ■報道は政府の愛玩犬になってしまった | トップページ | ■死刑制度と「赦し」 »