■節子への挽歌1371:病院はやはり異質な時空間です
節子
なぜか病院にいると「挽歌」も「時評」も、書く気になりません。
入院前には思ってもいないことでした。
どこかここは日常と違う時空間にあって、本も読めず、テレビも見る気がおきず、かといって思いを深めることもありません。
さらにボーっとしているわけでもないのです。
退屈ではありますが、30分おきには医師や看護士やスタッフがやってきます。
もしかしたら忙しいのかもしれません。
昨日、ユカがipadを持ってきてくれたので、それでフェイスブックなどをやればいいのですが、どうもそれもあまりやる気が出ないのです。
隣室の、私とほぼ同じ世代の患者さんは廊下を足早に往復しています。
そろそろ退院で、リハビリですかと訊いたら、7日に退院だそうです。
病気は舌癌、舌を半分切除したので、話すリハビリもしているのだそうです。
しばらく話しましたが、退院日を決めた後で、その日が「仏滅」だと気づいたそうです。
仏滅を意識する人もいるのです。
やはり病院には、明るさと重さが共存しています。
どんなに思い状況でも、どんなに哀しく寂しくとも、私は明るさだけは大事にしています。
節子を見送った時もそうでしたし、その後もたぶんそういう生き方は持続できたと思います。
この挽歌を読んでくれた人は、私が一時期、とても陰鬱に絶望していたと感じられたかもしれません。
しかし、実際にはそうしたときもなお、この挽歌のおかげで、つまり個々に書き出すおかげで、私は明るさを持続できたように思います。
今から思えば、少し気持ちがおかしくなっていたことはあります。
娘たちだけは知っているでしょうが。
どんな悲嘆も深めつつ言語していくことが必要。
生き残ってしまった、
あの震災の破局の只中にいる人は、生きているのは偶然で合って、あの状況では死ぬことが当然だった。
昨日、挽歌を書いていないので、気になっていたのですが、自然体が私の信条なので、9時の消灯にあわせて寝てしまいました。
しかし眠れず、いろいろと考えさせられました。
眠ったのは12時過ぎでしたが、5時には目が覚めました。
テレビをつけたら、辺見庸さんがいつものように、重く語っていました。
「瓦礫の中から言葉を」
それを見ていて、ちょっと元気になれました。
挽歌を書く気になりました。
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