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2011/06/06

■居場所によって世界は変わる

入院6日目です。
手術も終わり、術後も順調なので、身体的不自由はあまりありませんし、テレビも新聞もネットもできるので、情報環境はさほど変わったようには思えません。
むしろ時間がある分だけ、その気になればマスコミやネットへのアクセスは増えるはずです。
しかし、どうも何かが違うのです。
一言で言えば、テレビも見る気があまりしないし、新聞もあまり読む気がなく、ネット検索もほとんどしなくなっています。
なぜでしょうか。

なにか自分が閉じ込められている気分が強く、世間と分断されているようで、そのせいか外部世界への関心が変質しているような気がします。
テレビで報道される原発事故の話や政局の動きも、どこか遠い世界の話のように感じます。

どうもこれは、居場所への拘束性に関係しているようです。
もう一つの理由は、定刻に食事が与えられ、ベッドで食べていることかもしれません。
つまり居場所を指定された家畜そのものなのです。
食べ物も飲み物も規制されていて、自由にはなりません。
それが、もしかしたら意識を変えているのかもしれません。
視野狭窄と意識の自閉化がかなりあるように思います。
実際には、自宅で生活しているのと、さほど変わらないのですが、どこかで制約されていると意識があって、心身が解放されていないのかもしれません。
一番意外だったのは、現実への関心が非常に薄れている気がすることです。

たった6日だけのことなのに、これだけの意識の変化が起きます。
ましてや、被災地で避難所暮らしをしている人たちはどうでしょうか。
たぶん自分の家で暮らしていた時とは全く違う世界になっているのかもしれません。
それが長く続くとどうなるのか、たったまだ6日の暮らしなのに、こんなになってしまった自分に気づいて、驚いています。

私はあと2日で退院です。
先がわかっているかどうかも、たぶん大きな違いでしょうね。

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