■節子への挽歌1376:無意識の意識
節子
人には複数の意識が相乗りしているのかもしれません。
2日に手術のために全身麻酔を受けました。
肩に注射をうった途端に、私の意識はなくなりました。
節子もよく知っているように、私の身体はとても素直なのです。
目覚めた時には、それまでの記憶はまったくありませんでした。
その間、約3時間半でした。
全身麻酔と聞いたときには、もしかしたら新しい体験ができるかもしれないと思いました。
たとえば、幽体離脱や彼岸への旅です。
残念ながら、記憶に残る体験は何もありませんでした。
彼岸に飛んで、節子に会うことも出来ませんでした。
ところが、麻酔が覚めた後、付き添っていた娘や担当の医師から話を聞いたら、麻酔注射のあとも、しばらく私は話をし、身体的な反応もあったそうです。
また目覚める少し前から反応があったそうです。
これはどういうことでしょうか。
意識されていない意識、いわゆるユングの集団的無意識や井筒俊彦さんのアラヤ識のように、そうしたものの存在は広く認められつつあります。
しかし、私が意外だったのは、意識がまったくないのに、外部に反応し、言葉まで発していたということです。
その時には「意識」があったが、その後、その記憶が失われたという捉え方もできますが、微塵も記憶がないというようなことが起こるとしたら、やはりそこには「非連続」の溝があるといってもいいでしょう。
催眠状況で、思ってもいなかったことを話し出すという現象も報告されています。
その時の言葉は、どの意識から生まれているのでしょうか。
考えるととても不思議な気がします。
麻酔がかかっている間に、反応していた「私の意識」とはなんのか。
意識と魂は別だという人もいますが、意識であろうと魂であろうと、それは私なのか、というのが私の関心事です。
私の知らない私がいるわけです。
その私は、私の知っている私とどうつながっているのか。
そして、思うのです。
2007年9月3日の0時0分。
節子は、私の問いかけに応えなくなりました。
しかし、それまでの6時間ほどもまた、節子はいつもとは違った反応でした。
意識があるとは思えないままに、しかし私たち家族に誠実に反応していたのです。
あの時の、節子の反応を支えていた意識は、いったい誰だったのか。
この2つが、どこかでつながっているような気がして、この1週間ずっと考えているのですが、つながりを見つけられません。
私の知らない「私」は、何か知っているのかもしれませんが、確認の方法もありません。
「私」って、いったい何なのでしょうか。
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