■復興に名を借りた市場化への不安
日本の政治はなかなか変わりません。
日本人は、見事に組織人になっていますから、仕方がないのかもしれません。
組織には、「変化に対する抵抗力」と「責任の回避システム」が存在します。
したがって、変化への対応力はもともと組織にはありません。
それを超えて、組織を動かすのは組織のトップだけです。
だからこそ、こうした時期には「トップ」の資質が問われます。
いまの日本は、誰がトップでもいい時代ではないのです。
国会延長に関して、自民党の河野議員は党の方針を批判しました。
その話の内容は、だれも反対できません。
この話に象徴されるのですが、テレビの報道はいつも各論での議論の報道です。
全体を長期的に見通すことは簡単ではありませんから、どうしてもそうなります。
そして私たち国民も、各論で考える文化にすっかり慣れてしまいました。
しかも発想は従来の延長のままです。
首相はころころ変わるべきではないというのは、「変化に対する抵抗力」の最たるもののひとつです。
今は誰を首相にすべきかではなく、どう復興を成し遂げるかだという議論は、まさに「責任の回避システム」の罠に陥っています。
今の政治に必要なのは、しっかりしたリーダーを選ぶことです。
それがなければ、いかなる各論最適解も効果は発揮しないでしょう。
国会を開いていればいいという話ではないはずです。
なぜ国会を開いていなければ、法律をつくらなければ、いけないのか。
私には、とてもばかげた話です。
国会を開いていないで、現地に行くべきですし、法律をつくる前にしっかりしたビジョンをつくるべきです。
政治は、いまや「官僚のアリバイ工作の具」になっています。
東北の復興は大切です。
原発事故の終息も大切です。
しかし、どう終息させるかが問題なのです。
たとえば東北の漁業の復興に関して、企業の導入を認めるかどうかでの議論が報道されています。
宮城県の村井知事も含めて、復興会議も、企業化に積極的のようですが、現地の漁民たちには不安も多いようです。
漁業に限らず、農業もそうですが、東北はまさに世界的な「市場化」の対象にされています。
復興が市場化であってはならないと私は思いますが、郵政民営化を望んだ国ですから、今の状況ではそういう方向に行きかねません。
最後に残っていた、豊かな東北文化が市場化され、孫さんのような人たちを通して、金融資本に取り込まれていくかと思うと、何が復興だと思いたくもなります。
他動詞の復興か自動詞の復興かについて前にも書きましたが、復興された東北が、これまでの東北とは違ったものになってしまうことに、大きな危惧を感じます。
東北の復興には、おそらく巨額な利権が群がっているのでしょう。
お金は社会をだめにすると改めて最近また思っています。
こんなことをいうと、被災者の人たちに怒られそうですが。
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