■節子への挽歌1372:絶望できることことは人の持つ能力の一つ
前の挽歌で書きましたが、テレビで辺見庸さんの「瓦礫の中から言葉を」の独白を聴きました。
考えさせられました。
大震災後のすっきりしなかった気持ちも少しすっきりしました。
世間の動きに、言葉にならない、あるいは言葉にするのを躊躇するような気持ちがあったのです。
みんな「嘘っぱち」に見えていたのです。
自分のやっていることの一部も。
節子がいたらそんな話も吐露できたでしょうが、なかなか心の奥底は言葉にするのは難しい。
節子なら直感的に伝わるでしょうが。
気分を変えたくなりました。
今日から6時に着替え、就寝時に着替えることにしました、
病院だからパジャマという考えは捨てました。
辺見さんは、大震災後のさまざまな動きに関して、とても心に響く言葉を語っていましたが、挽歌を書こうと思った言葉は次の言葉です。
辺見さんはこう言いました。
絶望できることは人の持つ能力の一つだ。新しい可能性には興味はありませんが、絶望を深めて反転させることなら、すでに身につけました。
今ある絶望をもっと深めていくのも能力。
それが新しい可能性を開く。
絶望もまた希望なのです。
昨日書いたように病院には明るさも重さもある。
つまり絶望も希望もある。
節子もまた、その時空間の中にいたのです。
それが、おそらく人生を豊かにするような気が、この頃しています。
負け惜しみにも感じますが、節子との別れのおかげで得たものはたくさんあります。
人生も変わりました。
不幸になりましたが、人生は幸せだけでは成り立たないでしょう。
節子にしてやりたかったことは、山のようにありますし、節子にしてほしかったことも山のようにありますが、それはどれだけ尽くしたところで、満足はできないでしょう。
だとしたら、現実に満足するのがいい。
節子は、私のいない病院で何を考えていたのでしょうか。
たぶん何も考えていなかったでしょう。
ただ自らの素直な生を、ありのままの生を、感じながら、前を向いていたような気がします。
もしかしたら、生も死も、瑣末なことかもしれません。
辺見さんのメッセージを反対に受け止めてしまっているかもしれません。
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