■節子への挽歌1381:久しぶりの不忍池
節子
電車を乗り間違えてしまい、湯島に行く予定が上野に着いてしまいました。
そこで、久しぶりに上野公園の不忍池を通ってオフィスに行くことにしました。
歩いて20分ほどです。
このルートは、節子とはよく歩きました。
上野もどんどんきれいになっていますが、このあたりにはまだなんとなく時代に乗り遅れたような哀しい雰囲気があるのです。
節子も私も、感覚的にはそういうところが好きでした。
少なくとも私には、再開発されたきれいすぎる都心部はなじめません。
最近は野宿者も少なくなりましたが、どこかまだその雰囲気は残っています。
いわくありそうな中高年の人たちが、道端に座っています。
なにかを待っているのでしょうか。
それぞれに、きっとさまざまな物語があるのでしょう。
大きなかばんを持っている人もいます。
そのかばんにはきっと彼のすべての思い出がつまっているのでしょう。
なぜかビニールを広げて、そこに座っている中年の女性もいます。
パンを食べている老人もいますし、花の咲いていない蓮を見つめている若い男性もいます。
言葉はいずれもまったくありませんが、時折、どこかから歌か叫びかわからないような声が聞えることもあります。
そうした風景の中を、私たちはゆっくりと歩くのが好きでした。
時に、ここで骨董市が開かれていました。
最初の頃は私たちもよく足を止めましたが、いかにもといった感じが多く、そのうちさすがの節子も素通りするようになりました。
むしろ不忍池沿いではなく、少し街中に入ったところに、面白い陶器屋があります。
そこも節子はお気に入りでした。
陶器店にはよくつき合わされました。
上野はとても猥雑な町です。
すぐ近くには、アメ横もあります。
節子はアメ横は好きではありませんでした。
私も好きではありませんでした。
アメ横は、とても人間臭いところなのですが、なぜか2人とも、微妙になじめないところがあったのです。
人の好みは、実に微妙です。
その微妙な違いも、長年一緒に暮らしていると重なってきます。
不忍池の哀しい風景がなぜ好きなのか、アメ横の威勢のいい風景がなぜきらいなのか、説明はできませんが、私たち2人にはとても納得できるのです。
不忍池を通り過ぎて、思い切って入り込めずにいた湯島天神の境内を通ることにしました。
にぎわっていました。
本殿にはまだお参りできず、お賽銭をあげて一礼だけして通り過ぎました。
ここも、思い切り節子との思い出がつまっているのです。
今日の通勤は、とても疲れました。
背中に節子が乗っていたのかもしれません。
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