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2011年7月

2011/07/31

■児玉龍彦教授の名スピーチ

厚生労働委員会での「放射線の健康への影響」参考人説明での児玉龍彦(東京大学先端科学技術研究センター教授 東京大学アイソトープ総合センター長)のスピーチは感動的です。
私も28日にフェイスブックにリンクさせてもらいました。
様々な人たちから反響がありました
ある大学教授は、「打ち震えました」とコメントを書き込んでくれました。
私も、東大にもこういう人がいるのだと感激しました。
実に感動的なスピーチです。
正直に言えば、話している内容の半分以上は専門的な内容なので、私には正直理解できない部分が多いのですが、児玉さんの思いとメッセージは心に入ってきます。
ともかく「心」がこもっているのです。
久しぶりに聴く名スピーチでした。
なかには聴いていて涙が出たという人までいます。
私もそれにほぼ同じ感動を感じました。

その後も、様々な人たちからその話題が回ってきました。
どんどん広がっているようでした。

ぜひ多くの人にみてもらいたくて、遅まきながらこのブログにもアップさせてもらいます。
よかったら見てください。
http://www.facebook.com/l/kAQAj2whp/vimeo.com/27072107

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■節子への挽歌1427:友が去る淋しさの感覚がありません

九州の藏田さんからうなぎが送られてきました。
藏田さんは「布施の人」です。
いろんなものを、理由をつけては送ってくれるのです。
節子の献花にもわが家まで来てくれました。
「仕事」で少しお付き合いがあっただけなのですが、そして私のほうがいろいろとお世話になったばかりか、逆に迷惑さえかけたはずなのですが、布施の人である藏田さんは、そんなことなど忘れたように、私を元気づけてくれるのです。

今回は、手書きではなく、パソコンでつくった手紙が入っていました。
藏田さんはとても達筆なので、いつもは手書きなのに、と思って読んでいたら、最後に衝撃的な文章が書かれていました。

会社時代、一緒に仕事したY君が今年の4月20日に亡くなりました。
新盆は7月15日で両日とも日帰りで会いに行ってきました。
友が去るのは淋しい限りです。

Yさんは私もよく知っている人です。
将来を嘱望されていたにも関わらず、数年前に体調を崩されて会社を休んでいるとは聞いていましたが、まさかそこまでとは思っていませんでした。
一瞬、衝撃を感じました。
私よりもずっと若いはずです。

私への心遣いから、葬儀も新盆も私に連絡することなく日帰りされたのでしょうか。
藏田さんは、そういう人なのです。

自分ではなかなか老いを意識することは難しいものです。
私はすでに古希ですが、意識の上でも生き方においても、まだ学生の頃とそう変わりません。
おかしな話ですが、中高年の人を見ると、みんな自分よりも年上の人だと勘違いしかねないほどなのです。
実に困ったことなのですが、私もまた、藏田さんのように、友が去る淋しさを味わうことが増えていくのかもしれません。

しかし、愛する伴侶を失う体験をしてしまうと、死というものへの意識はかなり変わります。
私だけのことかもしれませんが、実は訃報を聞いてもそう動ずることがないのです。
薄情と言われそうですが、衝撃的ではあるのですが、不思議と悲しさとか淋しさが生まれてこないのです。
今日、藏田さんの手紙を読んで、改めてそのことに気づきました、

私自身が、彼岸に近づいているからなのかもしれません。
とはいうものの、もう一度Yさんには会いたかったです。
今はただ冥福を祈るのみです。

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2011/07/30

■不条理なことに抗議しない「美徳」

東北の仮設住宅に入った人たちの中には、電力使用料を節約するために折角装置されているクーラーを使わない人がいることをテレビが報道していました。
今日テレビで見た仮設住宅の場所は福島県でした。
原発事故によって自宅を追われ、経済的にも厳しい状況になったにもかかわらず、その原因をつくった東電の電気を使えないのは、どう考えてもおかしいです。
被災者の電力料金は無料にするくらいのことが、なぜできないのか。
粗末な仮設住宅の内部は、暑い日には40度近くなるようですが、そうしたなかで生活費を切り詰めるためにクーラーをかけない高齢者がいることに、東電の経営者は何も感じないのでしょうか。
もしそうであれば、これからの展開には期待できません。
それにしても、被災者はなぜ声を上げないのか。

大震災の直後、日本人の協調性や我慢強さを讃える論調がマスコミで喧伝されました。
私も最初は、それをうれしく感じましたが、盛んに語られるうちに、胡散臭さを感じ出しました。
勘繰るならば、あれは被災者の言動を呪縛するための仕掛けだったのかもしれません。
不条理なことにさえ、抗議しないことが「美徳」にされたのです。
それに加担したのは、マスコミです。
海外では、我慢強さを褒めていただけではないのですが、日本のマスコミはそのことをあまり取り上げませんでした。

仮設住宅でなくても、「節電キャンペーン」の広がりの中で、クーラーの使用を控えている高齢者の話も話題になります。
これもまた、マスメディアの犯罪の一つだと私は思います。
高齢者が使用するクーラーの電力など知れています。
私は、日本の電力生産(電力消費もですが)は構造的にかなりの柔軟性を持っているはずなので、電力不足は電力会社が意図しなければ起こるはずもないと思っていますが(それが正しいとは限りませんが)、マスコミは、安易な「節電キャンペーン」の増幅活動で、まじめに生きてきた従順なお年寄りたちに電力消費罪悪感を植え付けてしまったのです。
つねに真面目で弱い人が犠牲になるということが、ここでも現れています。
テレビで、得々と節電の技などを語っているタレントやキャスターを見ると、蹴飛ばしたくなります。
そんなばかな番組を放映していることで、一体何人の老人のクーラーを止めているのかと思うのです。
そうした人たちこそ。電力消費量は高いように思います。
電力消費量はたぶん所得に比例しています。
そしてパレートの法則が打倒している世界です。
2割の金持ちが、8割の電力を使っている、と言ってもそう大きくは違わないでしょう。

節電などを広く強要する前に、自分たちが消費を抑えればいいだけの話だと、私は思っています。

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■節子への挽歌1426:「長い旅を共にしている節子」

節子
政治学者の東大名誉教授坂本義和さんが岩波新書で回想記を出版しました。
「人間と国家」という上下2冊の本です。
坂本さんとは面識はありませんが、誠実な平和研究者として畏敬の念をいだいていました。
坂本さんという一人の政治学徒の生活を通した、戦後日本史と言ってもいい内容の本ですが、私には自分の人生を振り返えさせられる本でもありました。
坂本さんは私より14歳年上ですが、生きてきた時代はそう変わらないような気がしました。
本に出ている様々な事件や状況の多くは、私にとっても懐かしいものでした。

私は大学時代はあまり勉強しませんでした。
もしもう少し学んでいたら、人生は変わっていたでしょう。
しかしもしそうであれば、節子に会うことはなかったでしょう。

本には坂本さんが学んだ時代の教授の名前がたくさん出てきます。
その気になれば、私もそうした人たちの謦咳に触れることができたはずです。
しかしあまり大学が好きでなかった私は、そうした人のことをあまりにも知らなすぎました。
知識のないものには、目の前に宝物がころがっていても気づかないのです。
坂本さんが名前をあげている人たちには強いメッセージがありました。
あまり授業にも出なかった私でさえ、名前と顔が今でもはっきりと残っています。
謙虚に学ぶ姿勢がかけていたことを悔やみますが、もう後の祭りです。
当時は、小説以外の本を読むのがあまり好きではありませんでした。

節子と会ってからの人生は、私には実に快適な世界でした。
小説は読まなくなりました。
実生活のほうが、よほどドラマティックだったからです。
たまに話題になった小説を読んでも退屈でした。
事実は小説より奇なり、という言葉がありますが、全くその通りだと思いました。

節子がいなくなってから、大学時代に読むような本を読み出しました。
いまなら坂本さんが名前を挙げている教授たちの講義を素直に聴けるでしょう。
不思議な話ですが、坂本さんが名前を挙げている教授と私の印象に残っている教授とはかなり重なるのです。
だが当時は、そうした著名な教授の話も、私には退屈でした。
アカデミズムと権力の癒着に、過剰な先入観があったのかもしれません。
もう一つのアカデミズムがあることを知ったのは、大学を卒業してからでした。

「人間と国家」は、久しぶりに大学時代のことを思い出せてくれました。
大学時代から、私は生き方において、かなり落ちこぼれていたのです。
節子との出会いは、いくつかの偶然が重なったとはいえ、大学時代に思い描いていた生き方を現実のものにしてくれたのです。
思えば、退屈ではない、私らしい人生でした。
坂本さんと違って、回顧録を書くような人生ではなく、挽歌しか書けませんが、怠惰な私にはそれが相応しいことはまちがいありません。

坂本さんは、本書の最後に「長い旅を共にしてきた妻に捧げる」と書かれていました。
その文章が目に入ってきた途端に、節子との暮らしもまた、「長い旅」だったのだと思いました。
40年が長いという意味ではありません。
そうではなく、ともかく「長い旅を共にしてきた」という言葉に心が動きました。
大学時代は節子に会う前でしたが、いまの私の記憶の世界では、不思議にそこに「節子」がいるのです。
もちろん、今もなお、私は節子と「長い旅を共にして」いるように生きています。
私もまた、節子とは「長い旅を共にして」いることを改めて実感しました。
でもちょっとだけ、回想録を共有する人がいる坂本さんがうらやましいです。

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2011/07/29

■原発技術の輸出は認められるべきか

新聞報道によれば、日本が受注を目指しているトルコの原発建設計画から東京電力が撤退することになったそうです。
経済産業省は諦めていないようですが。
また、官民で受注したベトナム向け原発事業に対しても、東京電力の立場は微妙のようです。
こうした動きには、大きな違和感を持ちます。
日本はまだ世界に原発を広げようとしているのです。

日本における脱原発や「減原発」の本意がよくわかります。
要するに政府は原発を推進したいと思っているわけです。
これほどの惨事を起こしてもなお、原発の意味がわかっていないとしか思えません。

ブラウン管テレビの不法投棄が急増しているようです。
日本の原発輸出政策は、どこかそれを思い出させます。
しかし、テレビの不法投棄は土壌の鉛汚染を起こし、結局は私たちの生活に戻ってきます。
原発をいかに海外に持っていっても、原発事故から逃れることにはなりません。
国内の原発を減らす事は、同時に原発輸出を止めることでなければ意味がないように思います。
マスコミは、こうした動きをもっと大きくとりあげてほしいです。

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■収奪の経済

あれだけ大きく動いていたリビアの状況は膠着状況のようです。
中東革命は東欧革命のようにはいかないようです。
アメリカ映画だと、CIAか何かが出てきて、事態を一変させますが、人を殺すことさえも「ミッション」としているおぞましいオバマ政権でもそれほど簡単ではないようです。
たぶんまだ「利害の一致」が十分ではないからなのでしょう。
利害の一致がなければ、主体性のない政権は動けません。

それにしても国際政治や国際経済は不思議な世界です。
この数日、円高が進展していますが、原発事故によって暗雲たちこめる日本の円が、どうして高くなり続けるのでしょうか。
先日、お会いした金融関係の人は、欧米よりもまだましだからと説明してくれましたが、そんな建前の説明は別にして、なにかの「意図」が存在するような気がします。
その意図は、あるとしたら「日本つぶし」のように思います。
この20年、日本はこれでもかこれでもかとつぶされてきました。
そのお先棒を担いだ政治家や経済人が、いまなお「人気者」なのが私には不可解ですが、その流れは一向に変わっていません。

日本のマスメディア報道は国内の原発事故で覆われてしまっています。
その向こうで、世界は様々な展開をしています。
いや国内でも、様々な動きが進んでいます。
それを危惧するネット情報も少なくありません。
たしかに原発事故報道は大事ですし、東北被災地の報道も大切です。
しかしあまりにそれが報道を覆いつくしているような気がしてなりません。
そこにも、「ある意図」の存在を感じます。
もちろんその意図もまた「日本つぶし」です。
いいかえれば、日本を「市場」にして、そこからいかに多くを収奪するかです。
収奪の経済は、まだ終わってはいません。
様々な不可解な動きの後ろにある「意図」は、「収奪者の意図」かもしれません。

社会を「市場」と捉えて、そこから「いかに多くを収穫するか」というような経済から脱却しない限り、持続可能な社会は実現しません。
「収奪者」が考えているような「持続可能な市場」幻想は捨てなければいけません、
誰にとっての何を「持続可能」にしたいのかを、よく考えないといけません。

リビアの状況と私たちの暮らしとは、決して無縁ではないでしょう。

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2011/07/28

■節子への挽歌1425:生き方を変える

八ヶ岳山麓に転居した中村さんが久しぶりに湯島に来ました。
自然と共にある生き方へと、人生を思い切って変えたのです。
昨日わざわざ17キロも離れているお店まで行って、特別の信玄餅をお土産に買ってきてくれました。
日持ちがしないので、今日中にと言うので、早速、節子に供えるとともにいただきました。
たしかに、これまで食べた信玄餅に比べてずっと美味しい気がしました。

中村さんは、節子も知っていますが、私と同年のビジネスマンでした。
定年退職後も、いろいろとドラマティックな生き方をしていますが、今年の3月から家族で八ヶ岳山麓に転居、今はテレビも新聞もない、まさに自然と共にある暮らしです。
中村さんが人生を変えたには、それなりの理由があります。

思ってもいなかったことが、人の人生を変えるものです。
私と中村さんの生き方は、数年前まではかなり対極にあったような気がします。
中村さんと出会ったのは10年ほど前だと思いますが、当時は中村さんはまだバリバリの現役でしたが、私はすでに社会からかなり脱落していました。
しかしどこかで通ずるものがあったのか、中村さんは湯島のオープンサロンによく来てくれました。
しかし中村さんが、心を開いたのは3年ほど前かもしれません。
お互い、いろいろなことがあったのです。

変わらない人生もいいものでしょうが、変わる人生もまたいいものかもしれません。
中村さんは、以前にも増して、若々しく元気そうでした。
いささか疲れてしまってきた私とは大違いでした。

私はまだ、節子との別れで変わってしまった人生を「いいもの」とは思えずにいますが、発想を変えれば、その「価値」が見つかるかもしれません。
人生の豊かさは、もしかしたら「悲しみの多さ」かもしれなと思うこともあります。
悲しみや辛さを体験するたびに、世界が広がるからです。
私も、そろそろまた生き方を変えたほうがいいかもしれません。
帰り際に、中村さんは私に言いました。
佐藤さんはやはり前のような生き方がいい、と。
節子がいたころの生き方に戻るのも、ひとつの「変わる人生」かもしれません。

さてどうしましょうか。
節子ならどう言うでしょうか。

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2011/07/27

■中国高速鉄道事故と福島原発事故の対応の違い

中国高速鉄道事故に対する「当局」の対応は、実にわかりやすいものです。
あまりにわかりやすくて、情報がさほど出回っていないであろう中国でさえ、人々の反発は大きく、批判も高まっているようです。
また事故原因に関しても「人災論」が高まっているようです。
それにしても事故列車を十分に調べることもなく土中に埋めてしまうなど、そのやり方は信じがたいものです。

だが、待てよ、とも思います。
日本の福島原発事故への対応と中国の高速鉄道事故への対応と、さほどの違いはないのではないか。
たしかに、中国の対応は日本人から見れば「めちゃくちゃ」です。
しかし、日本の対応はどうだったのか。
私には、さほどの違いを感じません。
事故の複雑さの違いはあるでしょうが、構造的には何も違わないのではないか、そんな気がします。

両者が全く違って見えているのは、私たち日本人だけかもしれません。
日本の「常識」で見ているためかもしれません。
テレビの報道を見ていて感ずるのは、「中国だから」というような蔑視の眼差しも感じます。
放射線汚染という地球規模の事故を起こしておいて、日本人にはそんな資格はないでしょう。
野蛮で無知で、粗雑なのは、明らかに日本のほうではないのか、そういう気がします。
テレビで、中国を蔑視しているような発言をしている人に対しては、日本の権力者たちに対しても同じように発言できないのかといいたくもなります。

だからと言って、生存者を十分に確認もせずに列車解体作業をしてしまうことを受け容れるつもりはありません。
言いたい事は、それと同じようなことを、今、私たちもやっていないのかと言うことです。

他国の事故から、見えてくる自らの問題点もあるものです。

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■節子への挽歌1424:ミンミンゼミ

節子
今年初めてミンミンゼミの鳴き声を聴きました。
ミンミンゼミに限らず、今年はセミが少ないのですが、暑さに弱いミンミンゼミにとっては、今年の暑さは大変なのでしょう。
例年よりも鳴き声を聴きません。
節子はミンミンゼミよりも、ヒグラシのカナカナという鳴き声によく反応していました。
なにか寂しさを感じさせるからだったと思います。
節子にとっては、ミンミンゼミの鳴き声は暑苦しすぎたのかもしれません。

夏は節子に実家で過ごした時期もありますが、ミンミンゼミには子どもたちと一緒の真昼の風景を、カナカナゼミには節子と一緒の夕方の風景を思い出します。
人によって違うのでしょうが、自然はそうした生活の思い出と深くつながっています。
さらにそこに、家族や妻との思い出が重なってくると、セミの鳴き声ひとつが、心を躍動させたり、心身を萎縮させたりしてしまいます。
本当に不思議です。

わが家の周辺にはまだ緑がそれなりにあります。
ですからセミもよくやってきましたが、今年はまだわが家にはセミは来ません。
いつもは庭に見かける、セミの抜け殻にもまだ一つも出会っていません。
噂では、今年はどこもセミが少ないようです。

セミは不思議な生き物です。
あれほど含水量の少ない生物は、そう多くはないでしょう。
子どもの頃からそれがとても不思議でした。
ギリシア神話の映画には、よくアポロの「黄金のセミ」が出てきますが、SF好きだった私には、セミは生き物ではないようにずっと感じていました。
セミの寿命は実にはかないものですが、そのくせ、セミは「復活」や「不死」「変身」の象徴とも言われています。
それにあんなに小さな身体であるにも関わらず、その鳴き声は遠くまで響き渡ります。
私には、尋常の生き物とはとても思えません。
それに死んだセミには、不思議になんの「不浄感」もありません。
セミは生きていても死んでいても、まったく変わらない存在です。
もしかしたら、セミは彼岸からの使いかもしれません。
だとしたら、先ほど聞いたミンミンゼミの声は、私へのエールかもしれません。

さて明日からまた元気に活動できそうです。
この数日、奇妙に落ち込んでいました。
節子がいたら笑われそうです、

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■節子への挽歌1423:そうだ、お寺に行こう

節子
3.11以来、心の癒しになるような本が売れているそうです。
また「ブッダ」そのものもブームになっているといいます。
友人が、そうした記事や情報をまた届けてくれました。
しかし、スリランカ出身の僧侶、スマナサーラ長老も、ドイツ哲学専攻の異色の僧侶、小池龍之介さんにも、どうも違和感があります。
小池龍之介さんの著作はまだ読んでいないので、一度読もうとは思っていますが。

多くの人が、今の日本仏教は葬式仏教だと言います。
その言い方には、お寺への蔑視の気持ちを感じます。
葬式だけしかせずに、仏教の教えを広め実践していないというのです。
しかし、そうでしょうか。
私は大きな異論を持っています。
確かに「お金まみれ」のお寺も少なくないでしょうが、真面目なお寺も少なくありません。
それに「葬式仏教」で何が悪いかとも思います。
「葬式」は、単なる儀礼的なイベントではないはずです。
有名人の葬儀は、別かもしれませんが。

お寺という場にきちんと向き合えば、わかると思うのですが、本など読む必要はありません。
タレントのような僧侶の話など聴く必要もありません。
以前、節子と瀬戸内寂聴さんのお話を聴く機会がありました。
ビジネスマンを対象にした、ホテルでの講演会でした。
私は途中で退席したくなりました。
聴いた後の、私と節子の感想は全く同じでした。
「癒し」ではなく、寂聴さんの生き方の貧しさを感じました。
私は、「卑しさ」さえ感じました。
私が聴いた場が悪かったのかもしれませんが、節子もそう感じたのですから、私だけの責任ではないような気がします。

節子のお墓のあるお寺は小さなお寺です。
しかし、そこに行くと、何となく安堵します。
そのお寺に限りません。
どこのお寺でも、お堂に上がって、仏と対座して手を合わせると心やすまります。
癒しは、他者からもらうものではなく、自らのなかにあるのです。

ちなみに、私も仏教関係の書物は読みます。
難しい教理の本もあれば、今様の入門書もあります。
いずれの場合も、お寺の本尊に向き合うように読ませてもらいます。
本は、葬儀やお寺との付き合いとセットになっています。
そんな気がします。

そういえば、最近、お寺で仏様にゆっくりと対座したことがありません。
心が貧しくなっているのは、そのせいかもしれません。

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■過剰の時代の経済学

ある雑誌の取材にも応えたことがあるのですが、経済学の前提がさまわがわり様変わっています。
いまは経済の牽引力になっている企業の経営資源について考えてみましょう。
企業の経営資源は「ヒト・モノ・カネ・情報」といわれますが、そのすべての状況が変わっています。
まずモノでいえば、物不足は解消され、物があふれています。
その反面を、モノを作る自然環境や資源が枯渇しつつあります。
同じ行為が、「生産」から「消費」へと移りつつあります。
カネも余っています。
実体経済に必要な通貨を上回る過剰流動性がいたるところで悪さをしています。
それに基づいて、企業の、したがって経済のガバナンスが金融支配へと移りました。
ヒトももちろん余っています。
これは言う前でもありませんが、生産性向上とは人の仕事を減らすことです。
景気はよくなっても失業率は改善されません。
情報も言うまでもないでしょう。
生産者よりも顧客のほうが情報をたくさん持てる時代です。

つまりいまは「過剰の時代」です。
不足を前提にした、これまでの経済学や経営学は役には立ちません。
むしろ危険な落し穴でしかありません。

貧困問題もまた意味が変わってきています。
不足の時代の貧困と過剰の時代の貧困は、内容も違っていますから対策も当然違います。

多くの人が、そんなことにはすでに気づいているでしょう。
しかし、実際の行動においては、相変わらず不足の時代の発想で動いているように思います。
こういう話を企業の人を相手に時々話させてもらいますが、聴いた人の行動は変わりません。
なぜなら部分的に変えてしまうと、企業を瓦解させかねないからです。
一度習得した知識体系は、なかなか変えられません。
それはエネルギーに関する知識体系が、原発事故が起こったにも関わらずになかなか変えられないのと一緒です。

最近、ケアリング・エコノミクスとか「分かち合いの経済学」という提唱が増えています。
経済成長に依存した経済学の呪縛から自らを解放するためにも、そうした主張は参考になります。
残念なのは、こうした「新しい経済」の文化は、日本にこそ強く存在したにもかかわらず、それらが急速に失われてしまったことです。
新しい経済パラダイム、あるいは経済パラダイムの転換のヒントは、私たちの生き方の中にあるような気がします。
もう一度、思い出さなければいけません。

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2011/07/26

■トニーノ・ペルナの警告

イタリアのトニーノ・ペルナの発言を、セルジュ・ラトゥーシュの「経済成長なき社会発展は可能か?」で読みました。
トニーノ・ペルナは、たぶん企業経営者だと思いますが〈調べたのですが確証が得られません〉、実に共感できます。
抗した知性がやはりヨーロッパには存在するのです。
トニーノ・ペルナの一部を紹介します。

「いわゆる資本主義市場の法則に適応し、その中で一時しのぎをし、宣伝広告やマーケティングなどの市場経済の道具を無批判に利用することを求めることは、数量的かつ短期的には何らかの結果を生み出すであろう。しかし最終的には、そのような道を選ぶことは敗北に帰することになるのである」
「フェアトレードが直面している課題とは、南側諸国の生産物を、結果的にこれら諸国の文化的資産を破壊するような現存の商品流通システムに参入させることではない。むしろ消費者の倫理的選択肢を本当の〈ニーズ〉に転換することである」
そこに、新しい経済の予兆を感じます。
前の時評の「いまは岐路なのか」で言及した経済のパラダイムシフトでいいたかったことは、こういうことです。
たとえば、私の周辺でもフェアトレードに取り組む友人は少なくありません。
しかし、私にはどうしても違和感があります。
視座が逆転しているからです。
トルーマンが考案した開発戦略の先に存在するように思えるからです。

しかし、そういってしまうと、実も蓋もありません。
収奪的なトレードに比べれば、フェアトレードがいかに望ましいものであるかはいうまでもありません。
それに異を唱えることなど、出来ようはずもありません。
にもかかわらず、ペルナの言葉にも学ばなければいけません。

これは問題を設定する時限の問題です。
パラダイムを変えるということは問題の次元を変えるということです。
いまこそ、ラトゥーシュやペルナから学ばなければいけません。
そして、実際にどう動けばいいのかを考えなければいけません。
そう思いながらも、なかなか動き方がわからないために、無力感に苛まれています。
悩まずに行動している人たちがうらやましいです。
彼らは間違いなく、大きな成果を生み出し、多くの人たちを元気づけていますから。


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■節子への挽歌1422:ねえちゃんの田んぼ

節子
敦賀のおねえさんからハスの花が届きました。
「ねえちゃんの田んぼに今年も花が咲きました」と筆で書いた絵手紙と一緒に、です。
その絵手紙は、なんとペーパータオル2枚に書かれていました。
こうしたことの鮮やかさは、節子とそっくりです。

ねえちゃんの田んぼ。
それは敦賀の姉の家の近くにある田んぼです。
昔は稲を植えていたのですが、最近、ハスを植えるようにしたのです。
ちょうどその植える時に、節子が行き合わせ、ほんのわずかばかりの手伝いをしたという話を節子から聞きました。
ハスは毎年見事に咲き続け、毎年、わが家にも何回か送られてきます。
その今年の一陣が、今日、届いたのです。
節子がいなくなってから、季節の感覚が私から抜けていますが、またハスの季節かと、いろんなことを思い出させてくれます。

ハスを見ていると、節子のさまざまな笑顔が浮かんできます。
節子が病気になってからは、時々、2人で敦賀に行きました。
そして姉夫婦と一緒に、いろんなところに行きました。
そういう時の節子は、私にはまぶしいほど元気でした。
実にたくさんの思い出がありますが、その思い出はいつもある思い出に辿りつきます。
日本海の夕陽を4人で見た思い出ですが、そこでいつも私の思考は止まってしまいます。
いえ、その先に行きたくない私が思い出の世界から抜け出てしまうのですが。
その先は、あまりに悲しすぎるのです。

それにしても、節子の思い出はどうしてこうもたくさんあるのでしょうか。
普段は封印しているのですが、一度、蓋を開けると押さえようがありません。
節子の世界にまた、吸い取られそうです。
ようやく気が戻りそうだったのに、いやはや困ったものです。

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■節子への挽歌1421:「諸縁を断って静かに生きる」のは無理のようです

涼しい日です。
最近、なんとなく気持ちが重く、何をやりだしても前に進めません。
それで動き出せるようになるまで、何もしないことにしました。
そんなわけで、今日は朝から無為に過ごしています。
無為に過ごすのはけっこう退屈するものです。
夕方になって、ついついパソコンを開いてしまいました。

友人からこんなメールが来ました。

佐藤さんもわたしも(?)疲れているので、
いまは雌伏の時期であります。
諸縁を断って静かに過ごしてまいりましょう。
友人はともかく、私は「雌伏の時期」ではなく「終焉の時期」なのですが、
終焉に向かう生き方は難しいのかもしれません。
それに、「諸縁を断って」生きるのは私には「憧れ」ではあるのですが、まだその生き方に入るほど自らを豊かにできていないのです。

ライターのKさんからもメールが来ていました。

奥様が新聞に投書なさったときの佐藤さんとのやりとりが知りたいのです。
ブログかどこかにあるとOさんがおっしゃるのですが、どこかわかりません。
投書内容も知りたいです。
Oさんいわく、ご夫婦の関係がよくわかるエピソードなので、ということなので、
KさんはOさんが紹介してくれたライターの方ですが、いま「看取り方」を題材に原稿を書いているそうです。
私の話は役に立たないだろうと言ったのですが、以前一度取材に来てくれました。
Oさんは、きっと節子の書いた「いいことだけ日記」のことを言っているのでしょう。
私のホームページは迷路のように複雑な構造なので、私自身どこにその記事があるか,容易にはわからないのです。

パソコンから離れようかとも思っていたのですが、退屈のあまり、パソコンに向かうとこうやって「諸縁」が迫ってきてしまいます。
困ったものです。
その上、ハスの花まで届きました。
諸縁を断つにはほど遠い生き方をしている自分に気づきました。
それにしても、ネットでつながってしまった世界は、まさに「煩悩のあふれる世界」です。
「諸縁を断って静かに生きる」には、まずはパソコンを捨てることです。
さてそれができるでしょうか。

もはや私には、「諸縁を断って静かに生きる」ことは無理なのかもしれません。
パソコンの向こうに、あまりにたくさんの世界が見えすぎます。
疲れても、動き出さなければいけません。

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■いまは岐路なのか

東日本大震災は未来に向けての岐路になるように思っていましたが、必ずしもそうではないようです。
いろんなメーリングリストを通していろんな話が流れてきますが、大きなパラダイムシフトを感ずるものは次第に少なくなってきています。
フェイスブックでのみんなのやりとりを読んでいると、あまりに平和すぎて驚きます。
何も変わっていないのかもしれません。

たとえば、被災地の食料品を買おうという支援の呼びかけが大型店舗でも行われていますが、
その一方で、流通業者が被災地の生産者の商品を買いたたいているという話もあります。
事実、被災地産の食材は概して安くなっている気もします。
支援するなら高く買うべきで、大型流通業者は「被災地産」のシールを貼って、支援地支援費として1割高く価格設定するのがいいように思います。
そうしないと「被災地支援」が販促材料に使われてしまうだけになりかねません。

「エコポイント」の再開もまた検討されていますが、
いうまでもなくエコポイントは販促運動であって、エコ活動ではありません。
クールビズも同じです。
こうしたことは始まった頃に書いていますので、繰り返しませんが、要するに生産活動を活性化するための、つまりは環境負荷を増大させる活動です。
そこにはパラダイムシフトはありません。
同じように、今回の「東北支援」も、結局はみんな自分たちの此れまでの活動を発展させたいだけなのではないかというような気もします。
活動している人たちの「善意」はもちろん受け止めての話です。

神戸の西側に住んでいる人からは、こんなメールも流れてきました。
「神戸の西側は、老齢ゴーストタウン化しています。震災復興の美名の下、行政が役に立たないハコモノ建設に邁進し、人間復興を忘れたためです。」
この人は、同じようなことが、その何百倍の規模で起こることを危惧しています。

被災地では、新しい活動も始まっていますし、これまでとは違った企業の活動も見られます。
しかし、同時に、被災状況をビジネスチャンスと捉えての、これまでの延長での活動もあります。
現実を考えれば、これまでの延長での取り組みが復興にとっても即効性があるかもしれません。
しかし、それではこの大事件を岐路にはできません。
あれだけの犠牲者の霊が報われないような気がします。

放射能汚染をした食材を、東電の社員が食べるべきだなどという「憎悪の発言」も、時にまわってきます。
大震災からは何も得ていないのだなと悲しくなります。
こうした「憎悪」や「対立」の世界から抜け出なければ、この大震災を新しい世界への岐路にはできないでしょう。

最近の世界は、ますますよどんできているようで、生き辛くなりました。
私自身の気持ちも、今までになくよどんでいます。
最近、どうもこのブログを書けずにいますが、よどんでいる自らをさらけだすのが恐いからかもしれません。

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2011/07/24

■シンボルの効用

ノルウェイの連続テロ事件は衝撃的でした。
島での大量殺戮は警察官を偽装した若者によって行われました。
「警察」への信頼感が禍したのでしょうか。
しかし、「警察」はある意味での「暴力」の象徴ですから、実は一番危険なシンボルでもあります。
そのことを、今回の事件は示唆しています。

「警察」だけではありません。
私たちの頭に刷り込まれたシンボルメッセージは強力です。
昨今の政治状況を見ていると、それを強く感じますが、
一度、「事件」を体験すれば、そうしたシンボルが持つメッセージが、いかに偏ったものであるかに気づきました。

日本で一番強いシンボルは「数字」かもしれません。
日本における評価は、多くの場合、「数字」で行われます。
最近の放射能汚染も「数字」で語られます。
しかしその数字の意味づけは、だれによって行われるかを考えれば、数字を基準にすることの限界はわかります。
ましてや、その「数字」を「創る」ことさえできることをしれば、「数字の意味」にも気づくかもしれません。

だからといって、数字を全く基準にしないわけにはいかないと多くの人は思うでしょう。
私も、正直なところ、「数字」に影響を受けることは少なくありません。
しかし、そうした生き方からこそ、抜け出ないといけないと思っています。

いうまでもなく、「数字」は管理のためのものです。
わが家の愛犬チビ太はたぶん数字に惑わされずに生きています。
それが証拠に、真夜中に起きてきて吠えたり、食事をしたり、私たちを悩ませます。
まあ半分は「ぼけ」のせいですが、誤解されそうですが、人間も呆けると「数字」から解放されます。
私の理想の生き方は、呆けないとできないかという気もしますが、もしかしたら「呆け」とは生きることの原点を回復することかもしれません。

しかし、周辺の人が「認知症」になると人生は変ってしまいます。
最近も91歳の母親が認知症になった長女と心中を図るという悲しい事件が起きました。

4月にスリーA方式の認知症予防ゲームの体験型フォーラムを開催しました。
好評だったので、秋にまた開催したいと思っています。
実行委員会募集中です。
よかったらご連絡ください。
書こうと思っていたこととは全く別の内容になってしまいました。
私の思考回路もかなりおかしくなってきているのかもしれません。

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2011/07/23

■節子への挽歌1420:気分を変えないと挽歌が書けなくなりそうです

節子
夏祭りの季節です。
先週は近くの八坂神社、今週は柏のお祭りです。
まあ私はお祭りとは縁遠くなってしまいましたが。

世間は「夏休み」です。
夏といえば、出かける季節です。
娘たちが小さな頃は、毎年、山や海に行っていました。
娘たちが大きくなってからは、夫婦で節子の実家や姉が嫁いでいる福井に出かけていました。
節子がいなくなってからは、ただただ暑いだけの季節になりました。

この数年、夏はいったい何をしていたのでしょうか。
あまり記憶がありません。
節子がいないと、こんなにも生活が無意味なのかと驚くほどです。
しかし、伴侶を失うとこんなにも崩れてしまう人生とはいったいなんのなのか。
自らの怠惰さをすべて節子のせいにしているのではないか。
そんな気もします。
このままだと、私もあの時に終わったといってもいいでしょう。
それにしては、まだ仕事をしたいなどという未練はどこから出てくるのでしょうか。
どこか潔くない自分を感じて、自己嫌悪に陥りそうです。
誰かと会っていると元気になるのは、「見栄」なのかもしれません。

来週こそ、この状況から抜け出ようと思います。
そうしないと、この挽歌もなかなか書けなくなるような気がしますので。

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2011/07/22

■八百長相撲事件で相撲界から去っていった若者たちが気になります

大相撲名古屋場所はテレビで見る限り、空席が目立ちます。
私もあまり見ないのですが、見ていていつも思うのは、八百長相撲事件で相撲界から去っていかざるを得なかった若者たちのことです。
一時は訴訟を起こすといっていた人もいましたが、その後、全く話題にならなくなりました。
お金で口を封じられたとは思いたくありませんが、マスコミも報道しなくなりました。
相撲界を辞めて他の世界にうまく移れればいいですが、あまりに特殊な世界ですから、そう簡単ではないでしょう。
彼らの未来がとても気になります。

その一方で、役員関係者みんな安泰でした。
放駒理事長も含めて何の責任も感じないのか、不思議です。
特殊な人が起こした事件ではなく、相撲界の文化が起こしたことだという気がしますが、それにもかかわらず責任ある立場の人が引き続きトップにいることには大きな違和感があります。
要するに彼らもまた「八百長文化」の住人なのであろうとしか思えません。

そうしたことが空席の目立ちになっているのかもしれませんが、しかし相撲ファンは辞めさせられた力士たちになんの思いも感じなかったのでしょうか。
相撲ファンでない私としては、理解できない話です。

しかし、北朝鮮拉致事件でさえあれほどの盛り上がりを見せたにも関わらず今や忘れられてしまったように、八百長相撲事件で犠牲になった若者たちもまた、忘れられていくのでしょう。
そういう社会の一員であることが、情けなく恥ずかしい気がします。
日本の社会は、こうした若者たちの犠牲の上に立っているのでしょう。
それにしても、最近の組織のトップは、どうしてこうも自らの保身だけしか考えないのでしょうか。
たぶん「なるべきでない人」が最近はトップになるからでしょう。
そうした状況をつくりだしているのはいったいだれなのか。
もしかしたら、それこそが「民主主義」の宿命かもしれません。

「民」って、何なのだろうか、といつも考えます。
少なくとも、私は「民」にはなりたくありません。

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■節子への挽歌1419:寝相

節子
昨日は挽歌を書かなかったので、今日は2つ書きます。
ともかく挽歌ナンバーを、節子を見送った日からの経過日数に合わせておきたいためです。

とても暑い毎日が続いていましたが、昨夜はむしろ肌寒い夜でした。
私は、節子がいなくなってから寝室のドアは開けて寝るようにしています。
そのためどこからか風も入ってくるのです。
しかし暑い毎日だったので、薄い肌掛け布団しかありません。
そのため寒くて何回も目を覚ましました。
そこで思い出したのが、寝相の話です。

私は寝相の悪い人で、節子は寝相のいい人でした、
節子は寝た時と同じ状況で朝、目を覚ますのです。
薄いタオルケットでさえ、節子には朝まできちんとかかっているのです。
私は厚手の布団でさえ、ベッドから落としたり、縦横が変わったりするほどですから、軽い布団だとすぐに足やお腹がでてしまうのです。

節子が隣に寝ていた時には、節子の布団を無意識にとってしまっていたこともあります。
それに節子が横にいれば、そうそう大きく動けるわけでもありません。
しかし今は2つのベッドを一人で使っているので、縦になっても横になっても大丈夫です。
しかし掛け布団はそういうわけには行きません。
どこかにいってしまうのです。
寒くなって目を覚ますと、節子が薄いタオルケットを見事に全身にかけて安眠していることがよくありました。
私にとっては、それはそれは感動的でした。

節子がいれば、掛け布団がなくなったので貸してくれないかとか、寒いのでどうにかしてよ、と頼めるのですが、節子がいないのでまあ考えることしかできないわけです。
それで、昨夜は目を覚ますたびに、節子はどうしてあんなに動かずに寝ていられたのだろうと考えていました。
もちろん答は見つかりません。
しかし節子の寝姿は、とてもきれいでした。
もうそれも見ることはできません。
そう思うと、ますます寝苦しい夜になってしまい、昨夜は寝不足になりました。
今夜はちょっと集めの掛け布団をつかうことにしました。
一人でも眠れるでしょう。

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■節子への挽歌1418:インセプション

昨年話題になった映画「インセプション」を観ました。
昨夜、娘がお父さん向きの映画だからとDVDを勧めてくれたのです。
長い映画でしたが、ついつい観てしまいました。
そんなわけで、昨日は挽歌も時評も書けませんでした。

インセプションは節子向きの映画ではありませんが、たしかに私向きでした。
ストーリーは、人の夢の中に入り込んで、その人のアイデアを盗み取ったり、逆に考えを埋め込んだりするという話です。
監督のクリストファー・ノーランは、アルゼンチン出身の作家ボルヘスの「伝奇集」から着想を得たそうですが、見終わった後、それを知って奇妙に納得できました。
昔、大のボルヘス好きの先輩からボルヘスの話を何回も聞かされていたのを思い出しました。

映画のストーリーはあまり緻密ではなく、まあそれほどの新鮮味もありません。
しかし、夢の中の夢といった夢の「階層」と、その一番奥に、主人公と妻とが一緒につくりあげた「夢の世界」があるという構想がとても納得できました。
これはバーティカルなパラレルワールドであり、愛する者を失った者が探しにいくことのできる世界構造なのです。
さらにそれに加えて、夢と現実の連続性と現実の相対化が示唆されています。
現実世界では独占できない伴侶を独占するがために、妻は現実の世界から夢の世界に移っていくのですが、夫である主人公は子どもとの関係性を断ち切れないのです。
映画を観ていないとわかりにくいと思いますが、私には彼らの葛藤と迷いがよくわかります。

夢の世界は、階層ごとに時間の進み方が違います。
これは浦島太郎の話とは逆で、夢の世界のほうが時間は長いのです。
彼らはかなり深い階層の夢の世界で50年を二人だけで過ごしたのですが、おそらく現実社会では数日の話だったのでしょう。
私がうらやましいと思ったのは、2人だけの世界で50年を過ごしたということです。
これは私が節子に話していたことでもあるのです。
50年を2人だけで過ごすことは現実的ではありません。
しかし、愛するということは時間を超えるということだと思っていますので、たぶん私には可能なはずです。
節子が耐えられたかどうかは、私にもわかりませんが、退屈させない自信は私にはありました。
歳をとらずに50年をただただひたすら2人だけで過ごす。
こういう世界を考えた人がいたことを知って、私はとてもうれしかったのです。

論理もつながりも粗雑な映画だと思いますが、私には奇妙にリアルでした。
最後は、主人公は妻ではなく現実の世界を選びますが、これは私にはありえない話です。
せっかく現実の相対化を描きながら、結論は極めて退屈な凡作ですが、しかし私には、しばらく忘れていた世界を思い出させてくれました。
久しぶりに、ボルヘスも読もうかと思います。

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■ツイッターの恐ろしさ

なでしこジャパンの熊谷選手が参加した合コンに同席した男性が、ツイッターで熊谷選手の発言を「実況」投稿したことが騒ぎになっています。
監督批判の内容があったためのようです。
熊谷選手の謝罪記者会見をテレビで見ました。

ツイッターは、ある意味で、相互監視ツールになるということです。
まさにオーウェルが予告した監視社会そのものです。
そういえば私もある人と連絡を取りたかった時、彼が発信したツイッターのおかげで、その所在がわかり連絡が取れたことがあります。
その時は、その効用に驚いていたのですが、その効用の裏側にはこうした-側面もあるわけです。
もはや「オフレコ」などという文化は過去のものになったのでしょうね。

ツイッターをやっている人は世界を相手にした情報発信者になれるわけですが、そうした人が増えていくと、社会のあらゆる場所が観客が見ている舞台と言うことになります。
舞台では人は演技をします。
社会はすべて演技する舞台となり、人が生きるということは「演ずる」と同義になりかねません。
考えてみると、これは恐ろしいことです。

オーウェルの小説を読んだのは高校生の時ですが、日常的にだれかに監視されている社会、あるいは互いに監視し合う社会は、子どもながらに強い嫌悪感を持ちました。
まさかそんな社会は到来するまいとおもっていましたが、20年ほど前から急速に監視社会化が進み、最近では多くの人はそうした動きにあまり恐ろしさを感じていないようです。
むしろ監視カメラが街中に増えていることで、安心感を強めている人のほうが多いかもしれません。
私自身、最近少し感覚的に麻痺している気がします。
ベンサムのパノプティコンの話にも、どこか他人事で受け止めているところがありました。

しかし、今回の事件を知って、ハッとしました。
このまま行くと、私たちはみんな「ゾンビ」になってしまうのではないかという気さえします。
まあ既に多くの人は、そうなっているのかもしれません。
だから最近私はとても生きにくいのです(本音ですが暴言ですね)。

昨日、東電OL殺害事件に「冤罪」の可能性が出てきた報道がなされていましたが、監視社会の恐さは、冤罪が
生まれやすい社会ともいえるでしょう。
監視側に立つと、人は往々にして裁く意識が生まれてきます。
裁く意識に立つということは、裁かれる対象とは目線を変えるということです。
裁かれたことのない人には裁くことはできるはずもありません。
その証拠はいくつもあります。
自らが裁かれる立場になった裁判官が、生き方を一変させた事例もありますし、最近では村木さんの発言が二重の意味で示唆に富んでいます

他者が「その人の言葉」で勝手に自分の発言を実況報告することへの防衛策はありません。
みんなから関心を持たれている人は、次第に本音での発言はしなくなっていきかねません。
「コミュニケーションツール」の発達が、コミュニケーション阻害を起こすというジレンマがここにあります。

監視社会にしていくためには、法律など不要なことがわかります。
恐ろしい時代の幕開けです。

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2011/07/20

■節子への挽歌1417:「生きていくことを共にする社会」

節子
人間には2つの欲求があるといわれます。
存在欲求と所有欲求です。
存在欲求は「何かと共にあること(being)」によって充足され、所有欲求は「何かを所有する(having)」ことによって充足されます。
所有欲求が充足されると「豊か」になり、存在欲求が充足されると「幸せ」になります。
豊かになったからといって、幸せになるとは限りません。
これに関しては、「幸福のパラドクス」という研究もあります。

私はどちらかといえば、所有欲求よりも存在欲求が強いように思います。
衣食住という言葉がありますが、私にとって意味があるのは「住」だけです。
衣食への欲望は少なく、食はお味噌汁とお漬物があれば満足でした。
衣服ももう少し良いものを買ってよと節子にまでいわれましたが、着られればいいのです。
最近、(見るに見かねたのか)友人が仕立券付きのシャツ生地をくれましたが、仕立てに行くつもりはなく、有効期限が切れてしまいました。
ユニクロの1000円のシャツで満足なのです。
しかし、住む場所にはこだわりがありました。
それを知ってくれた節子は、節約を重ねて、私に快適な住まいを遺していってくれました。
節子がいなくなっても、私が何とか元気だったのは、この住まいのおかげです。
「住まい」は所有欲求というよりも、存在欲求に関わっています。

しかし、せっかくの住まいも節子がいなければ充足感は得られません。
高台なので、キッチンから手賀沼が少し見えます。
毎朝、そこで珈琲を淹れながら外を見るたびに、節子にもっともっとこの景色を見せたかったと思います。
ですから、折角の景色を見ながらも、幸せ感は生まれてきません。

住まいにとって大切なのは、そこで共に暮らす家族です。
そういえば節子はよく言っていました。
住まいで大切なのは「良き隣人」だと。
幸いに節子が残してくれたわが家は、良き隣人にも恵まれています。
これも節子のおかげです。

神野直彦さんは、「生きていくことを共にする社会」に変えてかなければいけないと言っています。
とても共感できます。
私が目指していることでもあります。
人の喜びは、「共に生きる」ことなのです。
しかし多くの人はそれに気づいていないのか、「共に生きる」ことへの関心が低いように思います。
「つながり」とか「支え合い」とかいう言葉はあふれてきましたが、実態はあまり変わっていないような気もします。
「共に生きる」喜びを教えてくれた節子には感謝しなければいけませんが、それを終わらせた節子には苦情を言いたい気もします。

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2011/07/19

■節子への挽歌1416:「喜びをもった支え合い」

BS放送ではよく海外の観光地のドキュメントを放映しています。
節子が好きそうな番組が多いです。
節子はドラマやバラエティはあまり見ませんでしたが、ドキュメントは好きでした。
いつもそれを思い出します。
デジタル化されたおかげで、最近のテレビ画像はとてもリアルです。

ユカが節子と同じで、紀行ものが好きなので、時々一緒に見ます。
今日も大陸の列車の旅を見ていました。
見ていて気づいたことがあります。
どんな素晴らしい風景を見ても、行きたいと思う気が起きないのです。
節子がいなくなってから、私の心からは何かを喜びたいという気持ちが消えてしまったのです。
喜びがない人生は、疲れるものです。

最近、また「コンヴィヴィアリティ」という概念が語られだしています。
イリイチの本でこの言葉に出会って以来、それは私の生き方の一つの指針になりました。
コンヴィヴィアリティは、本来は「饗宴」と言うような意味のようですが、イリイチはこれを「喜びをもった支え合い」というような意味に使っています。
「喜びをもった支え合い」は、私の生活信条の一つになりました。
そして、それが私の世界を大きく変えてくれたのです。
その基本にあったのが、節子との「喜びをもった支え合い」でした。
すべてはそこから派生していたような気もします。

最近、どうも自分の生き方に奇妙なずれを感ずるような気がします。
支え合いが、どこかで愉しめないのです。
そして、これまでは感じたことのない、精神的な疲れや不安定さを時に感じます。
もしかしたら、それは私の心の中に、「何かを喜びたいという気持ち」がなくなってしまったからかもしれません。
行動力が低下し、疲れが溜まるのは、そのせいでしょうか。
そういえば、この数か月、首都圏から出ていません。
自宅で過ごす時間がとても増えたような気がします。
にもかかわらず、疲れが溜まりつづけています。

なぜか生きることを喜べない、支え合うことを愉しめない。
これはかなり「赤信号」なのかもしれません。
困ったものです。
どこかで反転させなければいけません。

それにしても、節子はいい伴侶でした。
この頃また無性に節子が恋しいです。

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■国会審議は休日に行いテレビ中継したらいいと思います

なでしこジャパンの快挙には拍手を送りたいと思いますが、その報道ぶりには少しだけ違和感があります。
なんだかこれでいろんなものが隠されてしまうような気がしてなりません。
決勝戦は日本時間の真夜中でしたが、起きて観戦していた人は少なくないと思います。
私は朝起きて優勝を知りましたが、わが娘もライブ観戦したそうです。
それだけの魅力があるのでしょうが、いまの日本の状況を考えるにつけ、もっと大事なことがあるだろうにと、つい思ってしまいます。
過剰に商業化されたJリーグなどとは違うので、基本的には好感は持てるのですが、これでまた商業化が進むのかと思うと、いささかげんなりもします。
もちろんみんなで快挙を祝い、楽しむことも異論はないのです。
むしろそれはとても大切なことですし、もっともっとあってもいいと思います。

なでしこジャパンの真夜中の観戦はしませんでしたが、先ほどまで国会中継を見ていました。
与謝野さんが寝ている姿も、真剣に応えようとしている若い世代の閣僚の姿も、誠意のない答弁をする首相の姿も見ていました。
そのやりとりを見れば、菅首相の「脱原発発言」の小賢しさも、たぶんわかるでしょう。
国会中継はできるだけ見るようにしていますが、そういう人は私のように暇な人だけかもしれません。
国会中継は、残念ながら会社などに勤めている人はほとんど見ることはできないでしょう。
不思議なことに休日には審議をしませんから、休暇をとらねば見ることはできません。
Jリーグやなでしこジャパンの決勝戦であれば、休暇をとっても見る人はいるでしょうが、国会中継はそれほどの魅力はないでしょう。
しかし、大切さにおいてはどうでしょうか。
国民がもっと国会中継をライブに見るようになったら、報道特集番組で語られていることや編集されたニュース報道と国会での議論での違いが、もう少しわかるかもしれません。
世論調査の結果も変わるはずです。

無党派層が多いことに現れているように、日本では国民の政治への関心は高くはありません。
無党派層といえば聞こえはいいですが、政党の政策や行動を読みもせずに、あるいは国会中継も見ることもせずに、無党派だといっている人も少なくないでしょう。
無党派層が多くなれば、政治はまさにその時々の人気投票の傾向を強めます。
ビジョンや構想など不要で、ノーロングタームのシングルイッシューで政治が進められていくわけです。

私たちの未来は、私たちの現在の関心の所在で決まっていきます。
なでしこジャパンへの関心もいいでしょうが、もっと関心を向けるべき課題があります。
それがとても気になって、なでしこジャパン快挙の報道にもいささかの違和感を拭えません。

しかし、それはそれとして、実に見事な快挙でした。
いままであまり知りませんでしたが、取り組みの誠実さと努力には学ぶべきことが多いです。
それに関しては素直の拍手を送ります。
その価値を、マスコミがおかしくしなければいいのですが。

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2011/07/18

■節子への挽歌1415:年寄りの冷や水

節子
今朝も頑張って、畑に行ってきました。
起きるのが少し遅くなったため、7時近くになってしまったのですが、30分も雑草を刈っていたら、汗が止まらなくなりました。
実は、最近のわが家の農園は、とても「畑」などとは言えず、竹やぶと言ったほうがいいかもしれません。
刈っても刈っても、追いつきません。
そのやぶの中で倒れてしまっていても、だれも気づかないかもしれません。
それに一人の畑仕事は、楽しいものではありません。

戻ってきて、シャワーを浴びて、珈琲を飲んで、シャキッと出かける予定だったのですが、今朝の作業は少しハードすぎたのか、どうも体調がおかしいのです。
実は一昨日くらいから、どこがどうおかしいか説明しにくいのですが、なんとなくおかしいのです。
だからこそ、今日は畑に行って汗を流し、シャキッとしたかったのですが、逆効果になりました。
年寄りの冷や水とは、このことでしょうか。

今日は大きな集まりに加えて、急用もできたのですが、いずれもやめることにしました。
また友人知人に義理を欠いてしまいました。
まあこれまで逆にかなりのことをしてきたつもりなので、許してはくれるでしょう。
無理をしないのが、最近の私の生き方なのです。
節子が元気だった頃に、この生き方をしていたらと思うこともありますが、節子がいる時はなぜかどんな無理も厭わしくは思いませんでした。
節子は、そうした私に少し呆れながらも、それが修の生き方だから仕方がないと諦めていました。
しかし、いまは無理をするモチベーションが働きません。
ということは、節子にとってはとんでもない話でしょうが、私がいろいろと無理をしていたのは「節子のため」だったということになります。
このパラドクスは、いつかもう少し考えてみた問題です。

今日は2つの用件をさぼったことに罪の意識を感じながら、1日をだらだらと過ごしてしまいました。
私にとってはたぶんあまりないことですが、身体が安定しないのです。
軽い熱中症でしょうか。

しかし夕方になって、ようやく安定してきました。
わが家のチビ太が呆けて眠いのに寝るのを忘れているように、私も心身の疲れに気づかないほど呆けてきているのかもしれません。
なにしろ私の意識の時計は4年前に止まってしまっています。
心身の時計と意識の時計の差を認識しないと、さらに多くの人に迷惑をかけそうです。
自重しなければいけません。

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2011/07/17

■節子への挽歌1414:辛い経験をすればこそ心が平安になる

節子
昨日は、自殺のない社会づくりネットワークの交流会でした。
東尋坊で自殺防止活動をしている茂さんも久しぶりに参加してくれました。
このネットワークは、節子と一緒に東尋坊に行ったことが発足の一つの契機になったことから、茂さんと会うといつもあの日のことを思い出します。
夕陽のきれいな日でした。

茂さんの東尋坊での活動はテレビでもよくとりあげられます。
しかし残念ながら、茂さんの真意がなかなか表現されていないような気がします。
茂さんの思いは、もっと深くもっと誠実です。
それにビジョンもあるのです。
この2年、茂さんと付き合ってそれがよくわかります。
その茂さんは、東尋坊の見回りだけでなく、福井駅の前に「喫茶去」という名前の相談所を開設したのです。
自殺に関連した相談所は、実は全国にたくさんあります。
しかし茂さんはそれに不満を持っています。
相談に乗るだけでなく、当事者と一緒になっての包括的な解決姿勢が必要だというのが茂さんの考えです。
いいかえれば、相談に来た人を心身ともにすべて引き受ける覚悟がなければいけないのです。
しかし、当事者は千差万別、みんな違います。
その違いをしっかりと認識することがなかなか難しい。
そんな話がいろいろと交わされました。

私も当事者視点という言葉を時々使います。
しかし、この「当事者」という言葉が曲者なのです。
たとえば伴侶を失った者同士でも、実はさまざまです。
ついつい同じだと思ってしまいがちですが、当然それぞれに違うのです。
にもかかわらず、「伴侶に先立たれた人」として一派ひとくくりに扱われることほど不快なことはありません。

では「当事者意識」とはなんなのか。
一人ひとり違うのであれば、当事者の視点に立ってなどという言葉は無意味ではないのか。そこで気がついたのですが、実は「当事者意識」というのは、「人はそれぞれに違うという意識」なのではないかと思います。
それに気づけば、さらにその向こうにある「人はみんな同じという意識」に辿りつきます。
そしてだれにもやさしくなれるのです。

生きていることが辛くなるような体験をした人は、そういう意識に辿りつきやすくなります。
そこに辿りついた人は、どんな相談にも応じられるかもしれません。
いやそれ以前に、自らが平安になれるのではないか。
辛い経験をすればこそ、心が平安になる。

茂さんのことを書こうと書き出したのに、思ってもいなかった内容になりました。
私にとって、挽歌を書く時間は節子と会話しながらの哲学の時間なのです。
推敲せずに、思いつくまま書きなぐっているので、支離滅裂ですみません。
私の中では、それなりにまとまってはいるのですが。

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2011/07/16

■節子への挽歌1413:「そばにいてくれるだけでいい」

節子
テレビでうっかり西田敏行の「もしもピアノが弾けたなら」を聴いてしまいました。
この種の歌は、極力テレビでは見ないようにしています。
「この種の歌」というのは、節子との思いがつながりそうな歌という意味です。
音楽の力は大きく、突然に閉じていたはずの扉を開いてしまうのが恐ろしいからです。
この歌は節子も好きでした。
節子がいたら、きっと歌いだすだろうなと思いながら、ついつい一緒に歌ってしまいました。
歌いながら、節子が隣にいるような感じがしました。
この気持ちは、なかなかわかってもらえないと思うのですが、実に奇妙な感覚におそわれるのです。

西田敏行は、つづけてフランク永井さんの持ち歌だった「おまえに」を歌いました。
節子はフランク永井の歌が好きだったなと思いながら、ついまた聴いてしまいました。
私は歌詞をすっかり忘れていましたが、画面にテロップが出てきたので思い出しました。
「そばにいてくれるだけでいい」
これは私が節子によく言った言葉でもありました。
もちろん、この歌とは関係なく、です。
節子も、同じように、よく私に言いました。
私たちは、お互いが隣にいるだけで元気が出てくる関係だったのです。

ところが次々に出てくる歌詞のテロップを見ているうちに、歌えなくなりました。
あまりに私の心境に突き刺さるのです。
節子と一緒に聴いた時の意味合いとまったく違うことに気づいたのです。
「おまえに」の「おまえ」がいない立場では、意味合いが変わってくる。
そのことに気づいたのです。
希望の歌は絶望の歌になるのです。
愛の歌は嘆きの歌になってしまう。
歌えるわけがありません。

同じ歌詞でも聴く者の状況によって、意味は全く違ってくるのです。
やはり「この種の歌」はもう聴くのをやめようと思いました。
あまりに辛く、あまりにも悲しい。

節子は、私の歌う声が好きでした。
音楽番組を見ていて、時に私に歌ってよと言うこともありました。
若い頃は一緒に歌いながらよく歩いたものです。
樫原神宮で急に降りだした雨の中を、傘もささずに2人で歌いながら歩いたこともありました。

そういえば、昔、わが家でカラオケ大会をやったことがあります。
カラオケが広がるもっと前のことです。
カラオケ機器もない時代だったので、歌のない曲だけのレコードでやったのです。
その時の録音テープがどこかにあるはずです。

カラオケが流行りだしてから、節子は家族で行きたがったのですが、私がカラオケ嫌いだったので実現しませんでした。
節子が望んだのに、私がその気にならずに実現しなかったことは、カラオケのほかにもたくさんあります。
それを思い出すといつも後悔するのですが、しかしそれも含めて、節子は私が好きだったはずです。
私も、わがままな節子が好きだったからです。
夫婦はお互いにわがままにならなければいけません。
わがままを共有できれば、きっと最高の夫婦になるでしょう。
しかし、どちらかがいなくなると、残されたほうは奈落の底に落とされるかもしれません。
好きだった歌さえ、歌えなくなるのです。

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■節子への挽歌1412:困った時の節子頼み

節子
昨日は朝から夜までいろいろとつまっていて、挽歌を書く時間がありませんでした。
しかし、2度ほど、節子に救いを求めたくなったことがありました。
いずれもバスや電車の中です。

まだ松戸の歯の病院に通院していますが、処置を終えて病院から出てきたら、どうも歩きづらいのです。
足を見たら、久しぶりに履いたビジネスシューズの底がはがれているのです。
そういえば、この数年、靴を買っていませんし、靴の管理もしていません。
それに最近はあまり黒靴は履かないのです。
今朝は時間がなく、たまには違うのと思って、一番上にあった靴を選んたのですが、それがもう寿命を超えて、廃棄されるべきものだったようです。
急いで出たので、それに気づかなかったのです。
娘に連絡して別の靴を持ってきてもらうよう頼みました。
娘は、どこかで靴を買ったらいいというのですが、買物は苦手なのです。
節子なら持ってきてくれるよ、という殺し文句で、娘は仕方なく届けてくれました。
わがままな父親を持つと娘は苦労します。
わがままな夫を持った節子はどうだったでしょうか。

帰りの電車はもっと悲惨でした。
昨日は椿山荘で経営道フォーラムの発表会があり、その打ち上げに参加していたのですが、生ビールとよくわからない軽いお酒を飲んだだけだったのですが、帰りの電車に乗ったら視界がおかしくなってきました。
視界だけではなく、意識も朦朧とし、なにやら苦しくなってきました。
もともと下戸ですので、さほど飲んでいないのですが、こんな状況になるとはよほど身体が弱ってきているようです。
そういえば、昨日もチビ太に明け方1時間ほど付き合わされて、寝不足でもありました。
久しぶりに悪い形の酔いが回ってきたのです。
我孫子に着くまでの時間が実に長く、思わず節子に救いを求めました。
困った時の節子頼みです。

節子は迷惑でしょうが、神や仏に祈るよりも、節子に祈るほうが、何かと心強いものです。
言い換えれば、祈れる存在があることはとても大事なことです。
まあ節子ですから、たいした救いにはなりませんが、祈る相手があるだけで、支えにはなるように思います。
夜遅かったのですが、娘にまた駅まで迎えに来てもらいました。
そんなわけで、昨日は挽歌を書くどころではなかったのです。

節子
暑い夏を苦労して何とかやっています。
ちなみに他の靴をみてみたら、後は大丈夫でした。
昨日履いた靴は何だったのでしょうか。
もっとも私には、そうした生活品の「捨て時」がよくわかりません。
娘は、私の衣服を見て、もう捨てたら、とよくいうのですが、なかなか捨てられません。
節子のものも、まだ残っています。
困ったものです。

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■社会のリフレーミング

私のテーマは「コモンズの回復」です。
もっとも最近はあまり実践的には動いていませんが、自らの生き方においては今も実践しています。
そのテーマに行き着いたのは平成元年に会社を辞めて、いろんな活動にささやかに関わってからです。
「みんなのものやこと」(コモンズ)がなくなってきていると感じたからです。
そして同時に、そのコモンズの回復には枠組みを超えた取り組みが不可欠だと感じました。
みんな各論の枠組みで動いているばかりか、既存の枠組みを変える意識がないことに大きな違和感をもったからです。
既存の体制の中で、各論的最適解を追求することは、全体の未来を危うくするものだというのが私の考えです。
そんなわけで、いささか社会から脱落しながらの20年を過ごしてきました。

2000年に山形で全国地域づくり先進事例会議を、山形のJCの友人と一緒に企画開催しました。
まさに、行政と企業とNPOの枠組みを超えた、リフレーミングの企画で、2人で始めた実行委員会も最後は100人近くに膨れ上がりました。
2001年には「大きな福祉」を理念にしたコムケア活動を始めました。
NPOを支援する新しいスキームをつくりましたが、残念ながらリフレーミングには辿りつけませんでした。
2002年には福島県で話をさせてもらうことがあり、そこでも企業と行政とNPOの枠組みを超えていく、リフレーミングの必要性を話させてもらいました。
そこにパネリストとして参加してもらった経済産業省の浜辺さんが、私のメッセージに反応してくれました。
しかし、これもリフレーミングの動きを起こすにはいたりませんでした。
いずれも私が途中で気力を失うからかもしれません。
形が見えてくると最初の私のイメージとは違っていくことが多いのです。

あれから10年経ちますが、状況が進化したのかどうかは悩ましい問題です。
先日、あるビジネススクールで「社会性企業」をタイトルに話をさせてもらいました。
そこで、状況はどうも20年前と変わっていないのではないかと気づきました。
たしかに、社会起業家という発想は広がっていますし、その実践も増えてきています。
でもどこかで、1980年代の気分の再来を感じました。
要するにみんなまだ「成長」や「金銭」から抜け出ていないのです。
「社会性企業」の講演では、最後に「マネーからケアへ」と話させてもらいました。
このブログでは何回も書いてきていることです。
しかし、やはりこうした考えは、特殊なのかもしれません。

東北の復興は、社会の構造原理の基軸を変えるチャンスかもしれませんが、どうもそうはなっていません。
相変わらず、金銭を基軸にした各論最適解が追求されています。
そうした動きに疑問を呈するには勇気がいります。
しかし、やはりどこか間違っているのではないかという気がしてなりません。
枠組みの延命に加担するようなことには関わりたくないと思います。
しかし、そうしていると、どんどん社会から脱落していく感じです。

昨日、企業の経営幹部の人たちのフォーラムがありました。
このフォーラムには20年以上関わっていますが、その最初からずっとほぼ同じメッセージを出しています。
最初はほとんど伝わりませんでした。
ところが昨日は、私のメッセージを聞いた某社の社長が、わざわざ私のところにきて共感しましたというのです。
昨日は、「失われた20年」が「30年」にならないように、もう「成長神話」を捨てる時期だというメッセージだったのです。
また私が関わっていた一つのチームの発表で、「リフレーム」という言葉も出てきました。

時代が変わってきたのでしょうか。
残念ながらたぶん違うでしょう。
しかし、変わる素地は高まっているかもしれません。
私にも暮らしやすい社会が来るかもしれません。
私にはたぶん間に合わないでしょうが。

ちなみに、私が使っている「リフレーミング」の意味は、枠組みの中で生きるのではなく、枠組みを使い込む生き方を起点にしています。

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2011/07/14

■節子への挽歌1411:チビ太の努力

このブログでも何回か書きましたが、わが家のチビ太が夜鳴きするため、家族は夜落ち着きません。
吠えると近所迷惑なので、なだめにすぐ駆けつけなくてはいけません。
チビ太のベッドのあるリビングのソファで明け方までうとうとしていることも少なく多いです。
おかげで寝不足が続いていました。
鳴き声が近所に響かないように、窓は開けておけませんので、最初は熱さのためかと思い、夜中にもクーラーを入れ、扇風機もかけていましたが、どうやらそうではないことがだんだんわかってきました。
昼間眠ってばかりだから、夜に眠れなくなるのかもしれないと、昼間できるだけ起こしたりしましたが、それも難しいです。
なにしろもう高齢なので(間もなく16歳、人間で言えば90歳を超えています〉、散歩さえあまり長くはいけません。
そのうちに、立ったままうとうととするようになってきました。
チビ太も昼間寝ないように頑張っていると思ったのですが、どうも様子がおかしいのです。
それで一昨日、病院に行ってもらいました。

診断は「ボケのはじまり」だそうです。
宙を見据えて瞑想するのも、昼と夜を間違えるのも、理由もなく吠えるのも、不安気に彷徨するのも、すべてはボケ現象だそうです。
そしてDHAなどのサプリメントを調合してもらいました。
一昨日から朝晩それを飲むようにしたら、夜鳴きも瞑想も彷徨も、ぴたっと止みました。
おかげで、この2日間、私も娘も起こされずにすみました。
夜がこんなに平和だということを忘れていました。
夜が眠れるせいか、ようやくいろいろとやる気が戻ってきました。
なんのことはない、寝不足が最近の不調の原因だったのかもしれません。

いや、もしかしたら、私もチビ太くんと同じように、ボケが始まっているのかもしれません。
そろそろDHAを飲まないといけないかもしれません。

ところで、寝ないで頑張っているチビ太を You Tube にアップしました。
4分もあって、ちょっと長いですが、ぜひご覧ください。
http://www.youtube.com/watch?v=6nQdat-cFu0
You Tubeにアップする前にフェイスブックに載せたら、いろんな人からエールが届きました。
「チビ太 がんばれ」のエールです。
残念ながら、私へのエールはありません。
私のほうが、実は大変なのですが。はい。

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■いま何が問われているのか

核廃絶活動に取り組んでいた核物理学者の豊田利幸さんは、1983年に書いた「新・核戦略批判」のなかで、こんなことを書いています。

核爆発の開発・製造のおぞましさから多少とも一般の人々の目を外らすために、「核エネルギーの平和利用」ということが喧伝されるようになったのと同様に、報道ミサイルや軍事衛星の研究・開発をカモフラージュするために、「宇宙の平和利用」が鳴り物入りで宣伝され、今日に至っている。(同書31頁)
豊田さんは、「ラッセル=アインシュタイン宣言」に端を発する「パグウォッシュ会議」に早くから参加し、核兵器の危険性を訴えつづけてこられた方でもあります。
パグウォッシュ会議は、原子力開発に関する本質的な議論をした場だったと思いますが、その呼びかけ人の一人は、アインシュタインです。
この会議も結局は妥協の場だったようにも思えますが、バートランド・ラッセルやアインシュタインの誠実さと勇気には感動します。
「原爆の父」とさえ言われるマンハッタン計画の最高責任者オッペンハイマーにとっては、原爆の開発成功が悲劇の発端になりました。
彼の勇気には、さらに感動します。
アインシュタインやオッペンハイマーでさえ、最初のボタンがけの時には、未来は見通せなかったでしょう。
しかし、かれらは早い時期に、生き方を変えました。

福島原発事故の発生以来、元原発技術者が懺悔しながらも本を出版したり講演をしたりし始めました。
それは非難すべきことではなく、むしろ歓迎すべきことでしょう。
しかし、私には素直に受け容れられない気分があります。
時流に乗って発言することへの不信感が拭えないのです。

今朝の新聞にも、「原発をつくった私が、原発に反対する理由」という広告が本の掲載されていました。
こういう動きが増えてきていますが、どうも違和感があります。

菅首相までが「脱原発」と言い出したようです。
みんな見事に時流に乗ります。
その生き方が、一番の問題なのではないかと思う私には、その意図がどうしても素直には受け容れられません。
いま問われている本質的な問題は「脱原発」ではなく、私たちの生き方なのではないかと思います。
節電すればいい話でもなく、原発をメガソーラに変えればいいという話でもないでしょう。

私がすべきことは「懺悔」と「生き方の見直し」なのですが、生き方をどう変えればいいか、なかなか見えてこないのが悩ましいです。
先日テレビで、元原子力安全委員会のメンバーだった方が、放射線汚染地区で汗をかきながら自ら除染作業をしている姿を放映していました。
久しぶりに感動しました。

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2011/07/13

■節子への挽歌1410:クレー

節子
国立近代美術館にパウル・クレー展に行ってきました。
節子がいなくなってから、もしかしたら初めての美術展かもしれません。
今回は、娘たちが行くというので、私も一緒に行けました。
まだ一人では行く気にはなれません。

節子と付き合いだした頃は、むしろ私のほうが美術展を誘う側でしたし、
私と節子の好みはかなり違っていました。
私は前衛美術の一部にしか興味がありませんでしたが、節子はヨーロッパ絵画が好みでした。
結婚した当時、池袋の西武美術館(だったと思いますが)で開催されていたカンディンスキー展を見にいきました。
キャンパスの中に、実物の洋傘が埋め込まれている絵を見て、節子は笑い出しました。
しかし、後で考えると、それが節子と私の好みが、さほど違っていないということに気づく始まりだったかもしれません。
節子は、その後も時々、カンディンスキーの話を、思い出したようにしたものです。

クレーとカンディンスキーは、かなり同じ世界を生きて人だと思いますが、当時の世界はまだまだきっと人間の心が自由に飛びまわれる時代だったのではないかと思います。
もちろんクレーも、実際にはナチスによる弾圧を受けており、生きにくい時代だったのでしょうが、にもかかわらずというか、それゆえにというか、魂は此岸を超えて、生きていたように感じます。
今回展示されていた作品は、どちらかというと、悪魔や異人の世界、もしくは異界を感じさせるものが多かったように思いますが(有名な「天使の絵」はありませんでした)、一つだけ、純真な目の作品があり、心洗われました。

節子が一緒だったら、いろいろと話しながら見たのでしょうが、娘たちと私とはリズムが違い、すぐにはぐれてしまいました。
クレーの絵画はとてもメッセージ的なので、たぶん話し出したら楽しい話もできるのでしょうが、今回は一人でただ黙々と鑑賞させてもらいました。
後で娘たちと話し合ったら、意外と同じ作品に関心が重なっていました。
全員が気に入ったのは、「動物飼育係の女性」でした。
私が気にいったのは「鳥の島」でした。これはたぶん節子も気にいったでしょう。
ふと節子を思い出したのは「嘆き悲しんで」でした。

ただ私の記憶の中にあったクレーの世界とは、ちょっと違ったような気がしました。
なんだか少しすっきりしないものが残ってしまいました。
私が変わってしまったのかもしれません。
やはり美術展は、節子と一緒が一番です。

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■不幸なすれ違い

私が住んでいる千葉県の西北部は放射線のホットスポットのひとつとして、問題になっているところです。
昨日、柏市で、「子どもと安心して過ごすための放射線基礎講座」という公開講座が開催されました。
300人を予定していたところ、400人以上の人が集まってしまい、会場に入れずにお断りし、代わりに8月にもう一度、今度は1500人の会場を確保し、開くことにしたそうです。
開催したのは、柏市市民大学設立準備会という、行政と市民との協働組織です。
時宜を得たとてもいい企画だと思いますが、その後、開催された柏市市民大学設立準備会の集まりで、行政職員の人が、「市民から行政への批判や要望などが出るかと思っていたが、みんな真剣に聴いてくれた」という主旨の発言をされました。
その発言が、ちょっと気になりました。

行政はどうしても防衛的になります。
住民は実に勝手なことを言い、過剰な要望をしがちだからです。
時に感情的に行政に不満をぶつけ、批判することも少なくありません。
昨日も話したのですが、しかし、そういう行動にでるのも、情報が不足しているからです。
みんな事実を知りたがっているのです。

しかし、行政職員にとっては、「子どもと安心して過ごすための放射線基礎講座」を開催する場合にさえも、住民から不満や要請が出るのではないかという思いがでてくるということは、見過ごすべきことではありません。
そこにあるのは、「行政の住民への不信感」ではないかと思います。
自治体行政の出発点は「住民を信頼すること」だと、私は思っています。

実は、ちょうど同じ昨日、住民への信頼を出発点にしてつくりあげた、茨城県美野里町(現在の小美玉市)の文化センター「みの~れ」の館長やスタッフと新しいプロジェクトの相談をしていました。
特定の住民を信頼することはそう難しいことではありませんが、不特定の「住民」を信頼することは簡単ではありません。
私の知る限り、信頼を出発点にして仕事をしていた自治体職員は、全国的にいっても、美野里町の沼田さんという人しか思い当りません。
彼はもう定年で退職しましたが、私が知り合えた最高の自治体職員でした。

ところで問題は、なぜ行政職員は住民を信頼できないかです。
その原因は、政府と住民にあると、私は思っています。
いささか品のない極端な表現をすれば、愚民思想に基づいて国民を管理しようとするお上の政府とそこに寄生しながら私欲を増やそうとする極めて一部の住民が、そうした状況をつくっているように思います。
不幸なのは、そうした一部の「住民」が、地域のオピニオンリーダーになったり、「住民参加行政」で活躍したりしていることです。
しかも、行政が意識する「住民」は、そういう特殊な住民なのです。
その結果、行政と住民は「協働」しても「共創」しない関係になっていきます。

誤解されるといけないのですが、柏の職員を批判しているのではありません。
そうした「不安」はあったものの、開催してみたら、住民はみんな真摯に耳を傾けてくれたことに気づけば、職員も元気が出ます。
公開された場で、住民と接すれば、行政は必ず「特殊でない住民」に出会えます。
柏はその一歩を踏み出しているのです。
多くの住民は行政を信頼したいのです。

美野里町は、その先を進んでいますが、そこにはそこに、また新しい課題が生まれてきているようです。
またそれに関してはいつか書きます。

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2011/07/12

■節子への挽歌1409:「萌える季節」

節子
相変わらず厳しい暑さです。

美野里町の文化センター「みの~れ」の山口館長とスタッフの人たちが湯島に来ました。
来年が開館10年目なのだそうです。
まだ10年しか経っていないのかと思うほど、私には昔のプロジェクトですが、このプロジェクトは思い出の多いプロジェクトです。
住民が中心になって、自分たちの文化センターを見事につくったのです。
そのプロセスを記録に残したくて、住民たちに声をかけて本を出版しましたが、また同じようなスタイルで本を出版したいというのです。

「みの~れ」の杮落としも、住民たちが作ったミュージカル劇団が演じました。
節子と一緒に観にいきました。
「みの~れ」には、さまざまな思い出もあります。

話を終えて帰る間際に、山口さんは壁のリトグラフ(藤田さんの「萌える季節」)を見て、これは誰のですか、と訊きました。
ついつい妻が好きだったのですと応えてしまいました。

節子の葬儀には美野里町から大勢の人が来てくれました。
山口さんは節子とは会ったことがありませんが、お心遣いいただきました。
もう4年くらい経ちますね、と山口さんが言いました。
その一言で、また美野里町に行く気になりました。
4年前のことを覚えていてくれたのです。
そして、佐藤さんが元気になってよかったと言ってくれました。

節子は幸せ者だと、時々思います。
会ったことのない人にまで覚えていてもらえるのです。
そして、私もまた、幸せ者だと思います。

壁にかけてある「萌える季節」はとてもいい版画ですが、これまで作者を質問されたのは2回目です。
山口さんは、なぜ質問したのでしょうか。
山口さんたちが帰った後、久しぶりに「萌える季節」を眺めました。
たしかに、林の向こうに何かがいそうな版画です。
見つづけていると奥に通ずる道が見えてきます。
そこに入り込んで行くと、節子がいそうな気配がします。

節子は、この版画をデパートで見て、すぐに買ってきました。
よほど気に入ったのでしょう。
もしかしたら、いまはこの林の奥にいて、毎日、私を見ているのかもしれません。
そんな気さえしてきました。
暑さのせいでしょうか。

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2011/07/11

■節子への挽歌1408:体験すべき思い出はすべて体験してきたのかもしれない

節子
昨夜はチビ太に付き合って、明け方まで仮眠状態でした。
この数日、こういうことが続いています。
4年前の節子とのことも思い出されます。
チビ太はもう高齢ですので、最近は散歩も節子と同じように、ゆっくりとゆっくりと歩いています。
チビ太との暑い夏が、どうしても節子との暑い夏に重なってしまいます。

暑い上に、こうした状況で寝不足が続いています、
さすがに今朝は眠さに勝てず、5時半頃にチビ太が眠りだしたので、私も眠ってしまいました。
そして、夢を見ました。
久しぶりに、夢の中で泣いてしまいました。
最近、涙を出すことは、夢でも現実でも少なくなりました。
悲しさやさびしさが弱まったわけではありません。
むしろ深まればこそ、涙を流さずともいいようになったのかもしれません。

夢には節子は出てきませんでしたが、節子のことを話している私が出てきました。
たくさんのペーパーが散らかっていました。
そこにはなにやらキーワードや記号や絵が書かれていました。
節子がいたら、これをまとめてくれるはずだった、と話している私がいました。
話しているうちに、なぜか夢の中の私は声をつまらせてしまい、そこで目が覚めました。
ただそれだけの夢なのですが、いつものように、とてもあたたかな気持ちが残っていました。

夢に出てくる節子は、多くの場合、「雰囲気」です。
節子の笑顔はなく、節子の笑顔の雰囲気だけが感じられます。
節子は、私のなかではもう実体のない霊魂になっているのかもしれません。
時に節子を抱きしめる夢も見ますが、その時の節子も、身体のない雰囲気だけなのです。

今朝の夢に出てきたペーパーは、多分、私たちの思い出の記録でしょう。
今日の青い空を見ていて思い出すのは千畳敷カールを一緒に歩いた日のことです。
晴れた日には晴れた日の、雨の日には雨の日の、楽しい日には楽しい日の、辛い日には辛い日の、それぞれの私たちの思い出があります。
思っていたよりも早く終わってしまいましたが、体験すべき思い出はすべて体験してきたのかもしれません。
ですから、それを思い出せばいいだけなのかもしれません。

しかし、涙は何だったのでしょうか。
悲しいから涙が出たのではないかもしれません。
涙が出た後には、必ずと言っていいほど、あたたかな気持ちが私を包むのです。

夢のおかげで、今日はまだ眠いですが、元気に出かけられそうです。

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■九州電力のやらせメール

玄海原発の運転再開をテーマにした公開フォーラムに、九州電力の経営陣(の一部)が再開に好意的な意見を送るように関係者に働きかけたことが問題になっています。
九州電力はそんなことまでするのかとみんな怒っています。
しかし、私には何も驚くことではありません。
組織の行動として、当然過ぎるほど当然です。

もちろんだからと言って、それをよしとしているわけではありませんが、あまりにみんなの「驚き」が大きいので、逆に「白々しさ」を感じます。
自分に置き換えて考えれば、九州電力の行為はことさら騒ぐほどの話ではありません。

今は原発は悪者になっていますから、こういう意見が出てきますが、仮に1年前だったらどうでしょう。
反原発派のみなさんは、仲間に呼びかけて、原発反対の異見をメールしようという動きをしたはずです。
そうしたメールや投稿の呼びかけは、今もいろんな人たちが行っています。

また「やらせメール」と決め付けていますが、なぜ「やらせ」なのかもきちんと考えるべきです。
私は原発には反対ですが、だからと言って原発賛成の人たちの意見を封じ込めるつもりはありません。
人の考えはさまざまであり、絶対に正しいと思うのは個人の考えでしかありません。

私が危惧するのは、みんながきちんと考えることなく、大きな声に流されていく現実です。
原発が危険なことを指摘していた人は少なからずいました。
しかし多くの人はその声に耳を傾けませんでした。
そして自分たちの地域に原発を誘致し、その代償を得ていたのです。
おそらくその当時、原発誘致のために「やらせ発言」をしていた人もいるはずです。

いえ、原発に限りません。
諫早湾ではどうでしょうか。
道路建設ではどうでしょうか。
冤罪事件に加担してはいないでしょうか。
行政の無駄遣いに便乗してはいないでしょうか。
ともかく、「やらせメール」は充満しているのです。

九州電力の行為は、愚かな行為ではあると思いますが。取り立ててめずらしい行為ではありません。
みんながやっていることです。
私が大切だと思うことは、九州電力を責めるのではなく、自分の中にある、そうした「志向」、生き方を質すことです。
「識者たち」のテレビでの白々しい発言に、いささか過剰に反応してしまいました。

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2011/07/10

■節子への挽歌1407:言葉と真実

言葉には真実がなければいけません。
それは、私たち夫婦のいくつかの基本合意のひとつでした。
節子は、私以上に「真実のない言葉」を使う人、つまり、言葉だけの人が嫌いでした。
私も、そうでした。
私たちにとって、最大のタブーは「嘘をつく」ことでした。
発話した言葉は守らなければいけません。

言葉はすべて守らなければいけないとなったら、生きていくのはかなり窮屈になります。
京都の人が、その気もないのに、「食事でもしていきませんか」というという話は有名ですが、その類の言葉は、いろんな人と付き合っていくためには不可欠なのかもしれません。
時にお世辞を使うことも、時にはうれしくなくてもうれしそうにすることも、お互いに気持ちよく過ごすためには必要な知恵かもしれません。
しかし、私たちは、2人ともそれが不得手でした。

私たちは、自分がそうでしたから、誰かが言った言葉は心底信じました。
その結果、時に裏切られるのですが、それは言うまでもなく私たちの問題です。
相手の人に、悪意があるわけではなく、騙そうなどとも思っていないのです。
私たちにとっての「言葉」と世間一般に流行している「言葉」とは違っていました。

時評編で書きましたが、「サバルタンは語ることができるか」という本を書いたガヤトリ・スピヴァクがブルガリアで講演した記録を読みました。
難解でよく理解できませんでしたが、それを読んでいて、気づいたことがあります。
詳しくは時評編「サバルタンは自らを語ることができない」を読んでもらうとして、挽歌編風に言えば、言葉が必要な世界と不要な世界があるということです。
そして、言葉が必要な世界の言葉には真実がなく、言葉が不要な世界では言葉の前に真実がある。
しかも、そのふたつの世界はつながっていて、ほとんどの人は、そのいずれかだけでは生きていけないということです。

心を完全に開き合った、あるいは運命を同じくしている者同志の間には、言葉は必須のものではありません。
言葉があろうとなかろうと、そこには「真実」があるからです。
私たちはたくさんの言葉を交わしていましたが、その言葉は私たち以外の人との間で交わされた言葉とは違う種類のものだったのです。
しかし、その違いに私は気づいていませんでした。

最近、どうも自分の居場所がわからなくなってきています。
その理由が何となくわかった気がします。
言葉は世界における自らの居場所を定位してくれるものです。
ところが、私は言葉が不要な世界での言葉遣いになれてしまったが故に、いつも言語が過剰になってしまい、自らを定位できずにいるのです。
言葉に真実がなかったのは、実は私のほうだったのです。

友人から、コミュニケーション能力不足を指摘された意味が、最近少しわかりだした気がします。

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■サバルタンは自らを語ることができない

「サバルタンは語ることができるか」という本を書いたガヤトリ・スピヴァクがブルガリアで講演した記録を読みました。
「ナショナリズと想像力」(青土社)です。
書名に惹かれて読んだのですが、難解でよく理解できません。
時をおいて、再読するつもりですが、読んでいて気づいたことがあります。

サバルタンとは下層民、従属民というような意味だそうですが、サバルタンは「自らを語ることができない」とスピヴァクは言うのです。
たとえばインドの女性たちは寡黙ですが、それは何を語っても外部に伝わらないからだと言うのです。
女性を解放するためには、先ず女性たちの言語と文法を育てなければいけません。
識字教育に取り組んだ「被抑圧者の教育学」のパウロ・フレイレも、言語が世界を創りだすと考えています。
言語は人の意識を変える最高の手段です。
方言を標準語に統一することで、日本人という概念が生まれたのかもしれません。

ところで、スピヴァクを読んで気づいたことですが、
もしかしたら東北の被災地の人たちもまた、自らを語ることができないでいるのではないかと言うことです。
あるいは、標準語もしくは「近代語」でコミュニケーションしなければいけない状況の中で、実は、その思いを具現化できずにいるのではないかと思ったのです。
こういう言い方をすると、被災者はサバルタンかと言われそうですが、私の認識は反対なのです。
世界に通用する「近代語」こそが、実はいまや「自らを語る言語」ではなくなってしまったのではないかということなのです。
とすると、東北復興のシナリオには、新しい未来は描けないおそれが強いです。
明らかに、主軸は他動詞の復興になるだろうからです。

フレイレは、抑圧者こそが実は被抑圧者だということを示していますが、スピヴァクもまた世界を支配していると思われている者たちこそ、実は言語を失ったサバルタンなのだといっているのではないか。
もしそうであれば、発想を変えなければ、新しい未来は開けてきません。
どの言語と文法でシナリを描くかは、歴史を分ける大きな問題です。

スピヴァク、フレイレ、東北復興。
この3つをつなげると、新しい未来が垣間見える気がします。
同時に、私自身の生き方に関しても、納得できることがありました。
これは挽歌編に書きます
東北の未来は変えられなくとも、私の人生は変えられます。

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2011/07/09

■節子への挽歌1406:たねやの水羊羹

節子
節子が好きだった、たねやの水羊羹を供えました。
ユカが買ってきたのです。

たねやは滋賀県近江八幡に本社があります。
節子が元気だった頃(といってももう闘病中でしたが)、私たちの共通の友人知人たちと近江八幡で会ったことがあります。
その時は節子の体力はかなり落ちていましたが、とても元気でした。

節子はどんな時も、いつも明るく元気でした。
いまNHKの朝のドラマ「おひさま」の主人公、太陽の陽子と同じくらい、私をいつも元気にしてくれていたのです。
私が、いまのように明るく楽天的になれたのは、節子のおかげです。
明るく元気な節子が、私は大好きでした。

みんなで食事をした後、私は会社時代の先輩と陶器を見にいきましたが、節子は近江八幡に住んでいる友人の勝っちゃんたちとたねやでお茶をしたはずです。
そのころはまだ、たねやは今ほど首都圏では有名ではありませんでした。
たねやは和菓子も洋菓子も美味しいですが、以来、勝っちゃんは節子に毎年、たねやの洋菓子を送ってきてくれました。
ユカもそれを知っていて、高島屋でたねやを見かけて買ってきてくれたのです。

節子と一緒に食べたたねやのお菓子はいつもおいしかったのですが、今日の水羊羹はちょっと物足りませんでした。
しかし、これはたねやさんの問題ではなく、節子がいないためであることは間違いありません。
涙が口に入ったわけではないのですが、いろいろ思うことも多く、味覚がおろそかになってしまいました。
表現が難しいのですが、「遠いところの水羊羹」を食べているような気がしました。
美味しさの半分を節子が持っていってしまったのかもしれません。
節子がいない節子では、お菓子の味さえ変わってしまうのです。

節子がいなくなって1400日以上経っているのに、今でも時々、ふと思います。
なんで節子はここにいないんだろう、と。
いまも節子に惚れこんでいます。
困ったものです。

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2011/07/08

■節子への挽歌1405:アーティチョークの花

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節子
庭の花が次々と咲き出しています。
畑のほうは手入れ不十分で雑草に覆われています。
その一画に、娘が植えたアーティチョークが見事に咲いていました。
この2年ほど手入れをしていないので、食用には適さないそうなので、花をとってきた、節子に供えました。
あまりにきれいだったので、フェイスブックに掲載したら好評でした。

今日は挽歌の代わりに、その写真を載せることにしました。
節子が大好きな色でしたので。

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2011/07/07

■節子への挽歌1404:悲しんだり怒ったりすることも幸せのうち

節子
若い頃に、インドのアシュラムで行をしてきた鈴木さんから時々いろんな情報が届きます。
今日届いたのは、スマナサーラ長老と小池龍之介さんの談話記事です。
「いま日本で最も著作が売れているお坊さんの2トップかもしれません」と書いてありました。
前にも、この2人の記事を、鈴木さんは送ってくれています。
鈴木さんは、私を元気づけようと思っているのです。

ところが残念ながら、私はこのお2人の発言があまりピンと来ないのです。
スマナサーラ長老に関しては、私の知人も応援しているのですが、私は大きな違和感を持っています。
これに関しては、以前かなり怒りを含んだことを、この挽歌でも書いています。
読み直してみるといささか恥ずかしいですが、まあその時はそう思ったのだから仕方ありません。
スマナサーラさんは、今回送ってもらった談話記事でも、「怒ることは極限の無知」とたしなめていますが、怒りのない人生は私とは無縁です。

今回、スマナサーラさんは「そもそも、なぜ、悲しみという感情が起きるのでしょうか。それは物質への執着がゆえ、です」と言っています。
私もそう思います。
しかし、執着などがなくても起きる悲しみもある気がします。
素直に生きていたら、理由もなく悲しくなることもある。
それを理解しないスマナサーラさんは解脱してしまったのかもしれません。

彼はこうも語っています。
「人を不幸にしているのは、怒り、欲望、執着などです」
たしかにそうかもしれません。
しかし、これもどこかに違和感があるのです。

小池さんはこう語っています。
「よいことがあっても調子に乗らず、悪いことがあっても落ち込まないことで、心はやすらぎ平静を得られます。そうすれば、どこで何が起きても心がぶれず、最高の幸せが得られるのです」
私には、意味のない同語反復に思えますが、最高の幸せなどという言葉にも卑しさを感じます。
幸せにも最高と最低があるのでしょうか。
あるとしたらきっと「価格」もついているのでしょうね。

お2人に共通しているのは、「幸せのすすめ」です。
しかし、「幸せ」は人それぞれです。
画一的な幸せを大安売りするような人たちを、私は好きにななれません。
それが私の違和感のもとなのです。

鈴木さんがこの挽歌を読んだら、気分を害するかもしれません。
しかし、鈴木さんはなにしろインドのアシュラムで行を積んできた人ですから、「極限の無知」に迷う衆愚も見捨てることはないでしょう。

節子
今日も、心安らぐこともなく、怒りに思いをぶらせながら、節子のいない悲しみのなかで、1日を幸せに過ごしました。
そのため、こんな八つ当たり的な挽歌になってしまいました。
最近、怒りと悲しみで、壊れそうです。

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■節子への挽歌1403:デラシネケア

節子
昨日、韓国にお住まいの佐々木さんが来てくれました。
最近どうも気力が出てこないとお話したら、佐々木さんは節子のケアがなくなったからではないかというのです(ケアという言葉は使いませんでしたが、まあそんな意味だと受け止めました)。
佐々木さんからは、前にも同じようなことを言われていたのですが、そうかもしれないと今回は思いました。
最近の気の疲れは、ちょっと深いのです。

昨日は佐々木さん以外にも3人の人が湯島に来ました。
みんなそれぞれの人生にいろいろと問題を抱えているようで、名目は違えこそすれ、その人生を語ってくれます。
しかもそのうちの2人は、カウンセラーを仕事の一部にもしている人です。
ケアする人のケアということがよく言われますが、カウンセラーにもカウンセラーは必要なのでしょうか。

ケアリングに関していつか書いたことがありますが、ケアされる必要があるケアの仕方は私のケア概念とは違います。
私が考えるケアは関係性、しかも創造的な関係性です。
私は誰かのために誰かをケアすることは先ずありません。
ケアは誰か(自分も含めて)のためにあるのではなく、ケアそのもののためにあるように思います。
さらにいえば、生きるとはケアすることなのだとも思います。
そのことを実感させてくれたのが、節子との関係性でした。

誰かのためのケアではないのであれば、節子がいなくなっても何の変化も起きないはずです。
しかし実際には、節子がいなくなってから、「ケアすること」への気はかなり萎えています。
その理由が、佐々木さんの言葉でわかりました。
私のケアの世界が根っこのないデラシネケアになってしまったのです。
根っこがなければ、栄養もこなければ成長もありません。

ケアはある意味で生きる力の源ですが、自分だけではなかなか育てられない。
独善的な施しの世界になったら、いつか限界が来るでしょう。

とまあ、実は昨日、ここまで書いたのですが、先が書けなくなりました。
なんだか大きな発見につながるような気がしているのですが、うまく書けません。
アップしようかどうか迷いますが、まあ思いつきのメモとして、アップすることにしました。
思いついたイメージは、「親子」や「夫婦」というのはケアの文化を育てる仕組みなのではないかと言うことです。
そのケアの原型が失われているということは、新しいケアの世界がはじまるということなのかもしれません。
挽歌にしては、いささか小難しい内容になってしまいました。
まあ、たまにはいいでしょう。
節子は、そうした私の語り口には慣れていますので。

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2011/07/06

■菅首相はなぜ持続しているのか

松本復興担当相の辞任で、また菅首相にとっての「一定の目処」は先に延びました。
「問題解決」を起点にした発想が「近代の発想」だと私は考えていますが、問題解決型は注意しないと「一人芝居」になってしまいます。
その意味で、近代産業は「持続可能型」です。
生命保険の事業目的は生活の不安を取り除くことですが、生命保険事業を発展させるためには、生活の不安を広げることが必要です。
家電製品を売るには、故障やデザインの陳腐化を埋め込めば成長は持続します。
その限界が来たら、たとえば「地デジ化」のような枠組みを変えた技術展開をすればいいわけです。
事業そのものの中に、実は事業拡大の仕組みが組み込まれているわけです。
この構造を私は「産業のジレンマ」と呼んでいますが、そのジレンマは政治にも当てはまります。
権力を維持したければ、適度の不安をつくりつづければいいわけです。
恐怖政治はうまくコントロールできれば持続性が高いでしょう。
恐怖政治は、ある意味では民主政治以上に国民の参加度もしくは共演度は高いのです。

つまり、「問題を創りだすこと」が、顧客を生み出し、支配依存を醸成するわけです。
そこに、近代の政治や経営の本質があるように思います。
顧客の創造とは問題(不安)の創造でもあるわけです。

最近の菅首相の動きを見ていると、そのことが見事に出ています。
補正予算がすんなりと通り、復興がすんなりと軌道に乗れば、管首相が居座る理由はなくなります。
つまり、ほどほどの失政が政権を長続きさせるポイントなのかもしれません。
そんな気がしてきます。
解決の先送りは、まさに「延命」の最高の手段です。

そろそろ「近代のジレンマ」パラダイムから抜け出るのがいいような気がします。
菅首相が居座ることで利益を享受する人がたくさんいるのでしょうが、私は彼の顔を見るたびに気が萎えていきます。
最近はニュースもあまり見ません。

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2011/07/05

■節子への挽歌1402:「節子だったら怒るだろうな」

節子
最近、「節子だったら怒るだろうな」という言葉が、わが家ではよく聞かれます。
私もそうですが、娘たちもよく使います。

たとえば、昨日、松本復興担当相が宮城県知事と会見した風景をテレビでみていたら、ユカがお母さんなら「この人嫌い」と怒るだろうなと言いました。
言葉づかいの粗雑な人が、節子は嫌いでした。

節子は、感覚的に物事を評価する人でした。
そのため決してぶれる事はありませんでした。
小賢しい知識での評価はぶれることが多いですが、節子の評価は直感による事が多かったように思います。

人は、他者にどう接するかで、その本性が見えてきます。
私のように、中途半端な知識と先入観があるとそれが見えなくなることもありますが、節子はそんな知識と賢さはありませんでした。
会社を辞めて湯島にオフィスを開いてから、私のところにはいろんな人がやってきました。
私を訪ねてきたのですが、節子に接する態度で、私にも人の本性が見えてくることがありました。
会社の事務スタッフと思っていたのに、私の妻だと知った途端に言葉遣いまで変わる人もいました。
私もまた、節子を通して、人の哀しさやずるさを、さんざん思い知らされました。
いつかも書きましたが、節子のおかげで、私は4つの目で人を見ることができていたのです。
それは今も変わりません。
節子ならどうするかは、いまもなお私の判断基準の半分をしめています。
節子の、人を見る目は「確かなもの」でした。

その「節子の目」から見ても、怒りたくなることが最近は多すぎます。
そのせいか、最近は私はとても不機嫌なのです。
それでまあ、思い出して「ガリヴァー旅行記」を読み出したりしています。
ガリヴァーを書いたスウィフトも、時代に怒りながら、不機嫌な人生を送ったと記憶していたからです。
今日、読み終えました。
スウィフトと私は、その不機嫌さの内容が全く違うようです。
スウィフトには「節子」がいなかったのです。
今日はまた、節子にちょっとだけ感謝の念が高まりました。

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■政治に期待しない国民がすべての出発点ではないのか

その発言で批判されていた松本復興担当相が辞表を提出したそうです。
問題発言の場面をテレビで見た時に、私が最初に思ったのは、村井知事が怒らなかったことへの驚きです。
村井知事は、あとの記者会見で、国と自治体はパートナーだといっていますが、多くの県民を代表していると言う自覚がないと、私は最初のやりとりで感じました。
松本さんの態度は論外としても、それに対する村井さんの態度も私には残念でした。
こういう仲間内で、政治は進められているのだろうという失望感です。

この椿事を聞いた被災者の方が、「誰がやっても、何党がやってもいい」と嘆いていましたが、その発言も私には哀しい発言です。
「民主党政権には何も期待していない。誰が後任になっても変わらない」と語る人もいるとヤフーニュースに出ていましたが、政治に期待しなくなったら、すべては終わります。
たぶん最近の政治の混迷の起点は、国民が政治に期待しなくなったからかもしれません。

私は、政治は「誰がやるか」で大きく変わると思っています。
おそらく小沢一郎さんが首相になって国政を動かしたら、全く違ったものになったでしょう。
東北の復興も大きく変わったでしょうし、沖縄の基地問題も大きく変わったでしょう。
そう確信しています。
しかし、多くの国民はマスコミの情報に従い、検察というお上の意向にひれ伏し、小沢一郎を葬り去りました。
2年ほど前に書きましたが、小沢殺しが始まった時にせっかくの政権交代は無意味なものになってしまったように思います。
敵は実に強かです。

こうした事件が起こってもなお、管首相は居座ります。
それを許しているのは、私たち国民です。
誰が代官様でも状況は変わらないと思う人には政治を語ってほしくありません。

ちなみに、私は松本さんの言動は論外だと思う一方で、不思議な好感も持ちます。
なぜでしょうか。
しかし、その松本さんにしても自己の考えを貫徹できなかったわけです。
批判していた菅首相に従って、大臣を継続したのが理解できません。
大臣の辞任は遅すぎました。
復興担当相を引き受ける前に。6月3日の時点で、環境相への辞表を出すべきでした。
彼もまた、私には「欲に目が眩んだ政治家」に思えます。

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■節電への違和感

節電キャンペーンが、どうしても腑に落ちません。
節電に反対というわけではありません。
節電のキャンペーンの仕方に違和感があるのです。
それに「節電」とは「浪費」を前提にした発想のように思えて、私にはなじめないのです。
根本を直さない改善策は、長期的には問題の先送りでしかないからです。
政治権力者はそれでもいいいでしょうが、実際に生活している立場からは先送りは有害であっても益はないからです。
それに、私の電気の使い方は、無駄がないとは言いませんが、節電するほどの無駄はありません。

ところで、節電するということは東電の売上を減らすということにつながります。
私が腑に落ちないのはそのことです。
節電で東電の収益は低下します。
それが原発事故被災者への支援活動の妨げにならないのか、と思います。
電気料金と電力使用量の関係がどうなっているのかわかりませんが、ある相関関係があるはずです。
その相関係数を基準にして、消費量が目標分だけ減少するように、電気料金を高くするのがいいと、私は思います。
そうすれば東電の収益は減りません。
むしろ収益率は高まるはずですから、増えるかもしれません。
増えた分は被災者支援にまわせます。

節電とは別に、メーカーの土日創業の動きのような、消費量の平準化の動きはどうでしょうか。
これにも違和感があります。
たしかに消費ピークを低くする効果はあるでしょうが、全体の電力消費量は増えるだろうと思います。
神が日曜日に安息日をつくったのには深い意味があるように思いますが、それがくずれるのもなじめません。
しかし、平準化は電力会社にとっては大きなメリットのはずです。
電力は貯蔵できませんから、平準化されれば間違いなくコストダウンと売上アップになります。
しかし、繰り返しますが、社会全体にとっては電力消費量は間違いなく増加します。
つまり節電ではなく電力消費を増やすということです。

そうした2つのことが同一次元で語られています。
電気予報なども含めて、私たちはますます電気漬けに向かっています。

事故を起こした東電の商品は、すべての人の生活を支えるものであり、すべての産業の事業活動を支えるものです。
そこに問題の特殊性があります。
しかし、そこにこそ、問題解決の鍵があるだろうと思います。
発想を変えれば、その活動の、もう一つの意図が見えてきます。

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2011/07/04

■節子への挽歌1401:池の金魚が全滅しました

節子
昨日、庭の池の掃除をしました。
1か月ほど前から池の金魚がいなくなったからです。
大きな金魚は10センチくらいに成長していました。
それが突然に、ある日から姿を見せなくなったのです。
できるだけ自然のままがいいという思いから、最近は池端の植物も刈り込むことなく放置していましたから、うっとうしいほどに茂っていました。
また池には隠れ場所になるようにと、ブロックや壊れた植木鉢なども沈めていましたから、そこに隠れているのではないかと思っていました。
しかしいつ見ても金魚がいません。
そこで久しぶりに水を入れ替えることにしました。

金魚はやはり1匹も出てきませんでした。
跡形もないのです。
金魚だけならまだしも、一緒にいたタナゴも見つからなければ、ヌマエビも見当たりません。
実に不思議です。

猫の仕業ではなさそうです。
がまがえるか蛇が食べたのでしょうか。
しかし、がまがえるも蛇も痕跡が見当たりません。
まさか蒸発したわけではないでしょう。

いや、その「まさか」がないとはいえません。
何しろあまりに見事です。
金魚は以前も死んだことはありますが、必ず池に浮いており、きちんと埋葬しました。
しかし、今回は池に死んだ金魚が浮かんでいたことはありませんでした。
池は和室から見えるので、毎朝、シャッターを上げるときなどに確認できるのです。
なぜ突然に、しかもすべてがいなくなったのか。

私の希望もあって、池の周辺はできるだけ自然状態を維持したいと思っていました。
自然のままの結界を深め、そこに沢蟹を棲息させたいと思っているのです。
毎年、沢蟹を放しますが、いつの間にかいなくなるのです。
節子がいた頃から、春になったら沢蟹が突然に大量に出てくると期待していました。
節子はいつもその話になると笑っていましたが、沢蟹捕獲にはいつも付き合ってくれました。
しかし、これまでの繰り返しで、その一画には不思議な生命の場が生まれつつある気という気がしてきた矢先の金魚消失事件です。

まあしかし、現実主義者の娘たちは、そんな話の相手をしてくれませんので、まずは池を掃除して、そこにあたらいい金魚を放しました。
毎日、存在を確かめながら、この池がどこかに通じていないかどうかを確かめるつもりです。
小さな池ですが、私には不思議な霊空間のような気がします。

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■欲に目が眩んだ経済

ガリヴァー旅行記を書いたジョナサン・スウィフトの人間的な評価はひどいものです。
中野好夫訳の同書の解説で、私はそれを知りました。
ガリヴァー旅行記もまた、持って行き場のないスウィフトの厭世観をぶつけた作品だったようです。
前半の小人国や大人国の渡航記はともかく、宮崎駿のアニメのタイトルにもなった、ラピュタの話から始まる後半のわけのわからない話からはスウィフトの失望感がたしかに伝わってきます。

英国の美風がくずれていく先にある世界を呪いながらも、自らもそれにまみれていることを、スウィフトは知っていたのでしょう。
みんな「欲に目が眩んで」せっかくの人生を貶めてしまうのです。
すべては、人が「欲」を持つ手段として「蓄財手段としてのお金」を発明したことから始まったのかもしれません。
ある意味では、近代西欧とは「欲に目がくらんだ時代」なのかもしれません。
そして、今の日本は、まさにその頂点にあるような気がします。

玄海原発が運転再開に向けて動き出しています。
菅首相は自然エネルギー派だという人もいますが、バカもほどほどにと思います。
人の考えは「言葉」ではなく「行動」に現れます。

それはともかく、今この時期に原発運転の安全を保証するなど「ありえない話」だと私は思いますが、何が何でも原発を推進していきたいという菅首相の欲が、そうさせているのでしょう。
この時期に、原発運転の再開に加担した人たちは、欲に目が眩んだとしか思えません。
欲は伝染するものです。
町長にも知事にも、そしてマスコミにも。
海外とのあまりの違いには驚きますが、これが日本の本質なのかもしれません。

原発の運転再開がなければ、経済が回らなくなるという人がいます。
「欲に目が眩んだ経済」は回らないほうがいいと私は思いますが。

原発の運転をもし再開するのであれば、「安全ではない」ことをしっかりと前提において、そのリスクをとる覚悟がなければいけません。
もし万一、事故が起こったら、運転再開を認めた住民たちがまずは責任を取るべきです。
その時になって、誰かに保証してもらおうなどという無責任な考えは捨てるべきです。
福島原発事故から学ぶべき事はたくさんあるはずですから。

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2011/07/03

■なぜ誰も辞表を出さないのか

日本の政治状況はますます悪くなっているような気がします。
菅首相に対する評価は日ましに悪化しているようですが、しかしだれも辞めさせられません。
閣僚になかにも批判的な発言をする人が増えてきました。
いまでもまだ、「ほかに誰がいるのか」などという人がいますが、まだ思考の呪縛から解放されていないとしか思えません。
問題の設定が間違っています。

しかし、これほどみんなが辞めるべきだといっているにも関わらず、本気で辞めさそうとしている人は見当たりません。
テレビで発言している人たちは、発言だけしかしないのでしょうか。
彼らの影響力を持ってすれば、横につながったら、いくらでも行動は起こせるはずです。

閣僚もそうです。
批判的な発言をしている閣僚は、即刻辞表を出すべきだと思いますが、誰も出しません。
その気がないなら、批判などするなと思います。
辞表も出さずに閣僚でいつづけることは菅首相と同じ仲間だということです。
本気で生きていない人が多すぎます。
納得できないことは続けるべきではありません。

そんなことよりも、まずは東北復興だという「大義名分」がよく語られますが、順序を間違ってはいけません。
首相とは、国政の最高責任者です。
首相を信頼できる体制を組むことが、すべての始まりでなければいけません。
私には、そんなことは「いろはのい」だと思います。
予算や制度や構想をいくらつくっても、それを生かすのか殺すかは首相次第です。
財源がないなどと馬鹿なことを言う人が多いですが、お金は人間が創る制度の一つでしかありません。
それに日本には、企業や個人が有り余るお金を抱え込んでいるのです。
国家予算を作らないと財源がないなどという、高利貸しのような発想は捨てなければいけません。
社会を変えていくのは、人間であって、お金や制度ではないのです。
お金に魂を売ってしまった人たちが、あまりにも多すぎます。

と、思い続けていましたが、国家政府がないほうが「新しい国のかたち」が生まれるためにはいいのかもしれないという思いになってきました。
さらにいえば、これを契機に「廃県置藩」がなされるかもしれないとさえ思います。
まあ、それは夢のまた夢ですが。

国家はパラダイムシフトすべき時期に来ています。
官僚や政治家を養うために国家があるわけではないのです。
そろそろ日本人も「お上依存」から抜け出さないといけないのではないかと思います。

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■節子への挽歌1400:世界で一番孤独な部屋には「孤独」はない

大学生の頃、寺山修司の1冊の本を読みました。
たしか三一書房の新書で、気楽に読める本でした。
今は手元にありませんが、もしかしたら「家出のすすめ」だったかもしれません。
私はあまり本で影響を受けるタイプではないのですが、当時の三一書房の新書には目を開かせてもらうことが多かったです。
大学で学んだこととはかなり違い、私の心に響くものが多かったです。
寺山修司のその本も私に大きな影響を与えたような気がします。

寺山修司の20回忌に出された「寺山修司作詞+作詩集」というCDがあります。
そのなかに「孤独よ おまえは」という曲があります。
歌っているのはシャデラックス。
すっかり忘れていたのですが、昨日久しぶりに聴きました。
繰り返し、繰り返し。
http://www.youtube.com/watch?v=_Kw9zaOvR0Q

その歌詞の一部です。
もちろん寺山修司の作詩です。
いかにも寺山修司です。

世界で一番孤独な夜は きみのいない夜
きみのなまえは 愛
きみのなまえは 自由
きみのなまえは しあわせ

世界で一番孤独な部屋を ぼくは出ていく
世界で一番孤独な夜を撃つ ぼくは兵隊だ
世界で一番孤独な夜は きみのいない夜

なぜもっと早く思い出さなかったのか。
いささか気恥ずかしいですが、私にとっては、愛も自由もしあわせも、すべて「節子」に集約されます。
つまり、その3つが、とてもうまく重なっていたのです。
それら3つは、必ずしも重なるとは限りません。
愛のゆえに自由を失い、自由のゆえに幸せを失い、幸せのゆえに愛を失うことは決して少なくないからです。
しかし、私は、節子のおかげで、それらを重ね合わすことができました。
少しだけ時間はかかりましたが。
そして、それが重なった時に、すべての終わりが始まったのです。

その節子のいない、世界で一番孤独な部屋で、毎日、世界で一番孤独な夜を過ごしているわけです。
部屋を出ることもなく、夜を撃つこともなく。
なぜなら、そこには「孤独」はないからです。

世界で一番孤独な部屋には「孤独」はない。
説明しだすと長くなりそうですが、愛、自由、そしてしあわせの重なり合いを体験すると、二度と孤独にはなれないのです。
久しぶりに寺山修司を読んでみようか、そんな気になっています。

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2011/07/02

■節子への挽歌1399:そうだ 奈良にいこう

最近、ブログに疲れが出ていますよ、と2人の人から言われました。
たしかに、疲れがたまっています。
疲れの理由は、チビ太の夜鳴きのおかげで夜眠れないこと(昨夜もソファで寝ました〉から社会への大きな無力感までさまざまです。

生活があまりに平坦になっているからかもしれません。
考えてみると、一昨年の年末に思い立って娘たちと沖縄に旅行して以来、旅行にも行っていません。
行く気がしないのが理由なのですが、それではますますマイナススパイラルに落ち込みかねません。
最近、気がどんどん萎えてきているのが自分でもわかります。
気分転換に久しぶりに東大寺にでも行こうかと思い出しています。

東大寺は、最初に節子と一緒に歩いたところでもありますが、そのためではありません。
まだ会社に勤めていたころ、仕事で壁にぶつかると、東大寺の3月堂に行きました。
あの狭い空間に座っていると何か落ち着けたのです。
そして、そこから出て2月堂から奈良の町を見下ろすと、気分が大らかになったものです。
ある時は雨で3月堂から出られなかったのですが、同じように出られない人がいました。
たしか大阪大学の先生でした。
しばらくお付き合いがありましたが、それもいつの間にか途絶えています。

奈良や京都の寺院から足が遠のきだしたのは、会社を辞めた頃からです。
訪れるたびに、仏たちの顔が寂しそうに見えてきたからです。
昔は、心がやすまった薬師寺も唐招提寺も、どこかよそよそしくなりました。
節子と訪れた頃の奈良や京都のお寺には、まだ仏が宿っていたようですが、いまはどうでしょうか。
ちょっと行くのがこわい気もします。

節子がいたら、「そうだ 奈良に行こう」と明日にでも出かけたいのですが、最近の私はあまりフットワークがよくありません。
夏は暑いから秋にしようなどと思うようになっています。
これではマイナススパイラルから抜けられるはずがありません。
さてさて。

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■自然との付き合いを忘れた生き方

テレビで、山口県の祝島の生活を特集していました。
上関原発で話題になっているところです。
テレビの特集は短い時間だったこともあり、祝島の豊かさを十分には表現できていないように思いますが、それでもキャスターの辛坊さんが、この映像を見たら上関原発の決着は明らかですよね、と発言していました。

島民の一人が、「お金がないと都会では暮らしていけないが、ここではお金がなくとも(ある期間は)暮らしていける」と語っていました。
その言葉が印象的でした。
自然は、素直に受け止めれば、人を活かしてくれるようになっているのだろうと思います。

イソップの寓話に有名な金の卵を産む鶏の話があります。
毎日、1個しか卵を産まないことに不満を持った飼い主は、鶏のお腹の中には金塊があるにちがいないと、鶏のお腹を切り裂いてしまうのです。
もちろん金塊はなく、死んでしまった鶏は金の卵を産むこともなくなったという話です。
私たちの、自然との付き合い方を思わせる話です。

東北復興の話の多くに、私は自然との付き合い方を見直す発想を見つけられません。
いま必要なのは、自然との付き合い方を問い質すことではないかと思っています。
併せて、お金との付き合い方も問い質す必要があるように思います。

今回の大震災が教えてくれたことは、私たちが自然との付き合い方を忘れて、お金に依存しすぎてきたことではないかと思います。
前者への気づきは少しだけ広がっているように思いますが、後者に関してはますます強まっているようにも思います。
私の暮らしを守ってくれるのは、お金ではなく、自然や人です。
お金に支えられる生き方は、私には考えられません。
私はどうも間違った時代に生まれてしまったようです。

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2011/07/01

■節子への挽歌1398:消えてしまった老後

節子
最近、ちょっと思うのですが、私には「老後」はないのかもしれません。
なぜそう思うかというと、昔の宣伝コピーではありませんが、「節子のいない老後なんて・・・」という気がするのです。

私も古希ですから、もう十分に老後にあるわけですが、なぜかその気分になりません。
頭ではわかっているのですが、老後の暮らしをどうしたらいいかわからないのです。
節子がいたら、とてもいい老後を暮らし始めているのだろうと思うのですが。

節子が元気だったら、どんなおばあさんになっていたでしょうか。
しかし、それもまた想像できません。
節子にも老後はなかったのです。

節子が逝ってしまった、あの日、私たちの老後は消えてしまいました。
あの時点で、私たちの時計は止まってしまった。
そのため、それ以来、私の時間感覚はリズムをくずしたままです。

人は、太陽や自然を見て、時を感じます。
時計が時を刻んでいるように思いがちですが、そうではないでしょう。
たしかに短い時間は、時計が教えてくれますが、生きるという意味での時間は、時計が刻む時とは無縁のように思います。
私は20代の頃から、腕時計をしたことがありません。
腕時計をすることが、私には「自分の生」を吸い取られるような感覚があったからです。
自然の中で、自分の時間を生きる、それが私の選んだ生き方です。
自分の時間と時計の時間の折り合いはなんとかつけてきましたが、年齢の意識はあまりありません。

太陽や自然に加えて、もう一つ、私には時間の基準があったように思います。
それが節子でした。
節子との関係性といってもいいかもしれません。
間違いなく私たちの関係性は変化しました。
私の感覚では「熟す」という感覚です。
「熟す」とは、まさに時の長さを実感化させるものです。
太陽よりも、自然よりも、それが私の生にリズムをつけるはずでした。

節子との関係性が刻む時間があったおかげで、私は自然だけの時間に流されることなく、自分の人生の時間を持てたように思います。
自然(の時間)は、個人の生には関心を持ちません。
個人の事情には無頓着に、押し付けてくるだけです。
そして、時がくれば、非情に心身を終わらせます。
そこにあるのは豊かな老後ではなく、フィジカルかつメンタルな不自由な老化だけでしょう。
一人になったいま、古希や長寿を祝う意味など、あろうはずもありません。
あるのは嘆きだけです。
愛する人が隣にいれば、熟した老後の関係性がある。

その「老後」がなくなってしまった以上、自然の時を受け容れなければいけません。
時計が刻む時も意識しなければいけないかもしれません。
私の中で、最近、生活のリズムがとれないのは、時の基準がくずれたからです。

老後のない人生を、どう受け容れるか。
いまさら腕時計は持ちたくないと思っています。

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■夏は暑いからこそ価値がある

どんなに暑い夏でも、早朝は気持ちがいいものです。
朝、近くの農園に野菜をとりに行きました。
入院やら梅雨やらで、ずっと手入れにも行かずにいたために、せっかくかなりいいところまで復活していた家庭農園は、また雑草に覆われだしていました。
花畑は苗を植える前にまた雑草の楽園です。
それでもキュウリとトマトを収穫しました。

大震災からかなりがたちます。
大震災がその一因ですが、この4か月、生活のリズムが完全に崩れています。
何かをやる気もなく、しかし「やらない気」もなく、中途半端に流れています。
気になることは少なくないのですが、動こうという気になかなかなれません。
このまま世界が終わるといいのに、などという不謹慎な思いも、時に心にしのびこんできます。
いささか病的になっているのかもしれません。
そのせいか、時評編も書くモチベーションが起きません。
何を言っても、何を書いても、たぶん意味がないという思いもあります。

今朝、ふと思いました。
もうそろそろ戻ってもいいのではないかと。
それで畑に行ってきました。
少し生活を取り戻せそうな気がしてきました。
「節電」などというキャンペーンに取り込まれそうになっていた自分に気づきました。
大切なのは、節電ではなくて、生き方を変えることです。
生き方を変えずして、節電しても、事態を悪化させるだけの話です。
これに関してはまた改めて書こうと思いますが、自分をしっかりと生きようと思います。

今日も暑くなりそうです。
以前は、夏は暑いからこそ価値があると思っていました。
いつの間にか、暑さを嫌うようになっていました。
これは、私の生き方ではなかったはずです。

昨日はフェイスブックでいろんな人からいろんなコメントをもらいました。
いずれも他愛のないメッセージですが、そこからいくつかの気づきがありました。
あやうく時流に取り込まれそうになっている自分に気づきました。
注意しなければいけません。

今日は暑さを楽しみながら、身辺整理です。
あまりに周りが散らかっています。
もちろん「物理的な散らかり」だけではありません。
それに、片付けるのではなく、整理するだけですが。
整理すると先が見えてきます。
たぶん、ですが。

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