■政治に期待しない国民がすべての出発点ではないのか
その発言で批判されていた松本復興担当相が辞表を提出したそうです。
問題発言の場面をテレビで見た時に、私が最初に思ったのは、村井知事が怒らなかったことへの驚きです。
村井知事は、あとの記者会見で、国と自治体はパートナーだといっていますが、多くの県民を代表していると言う自覚がないと、私は最初のやりとりで感じました。
松本さんの態度は論外としても、それに対する村井さんの態度も私には残念でした。
こういう仲間内で、政治は進められているのだろうという失望感です。
この椿事を聞いた被災者の方が、「誰がやっても、何党がやってもいい」と嘆いていましたが、その発言も私には哀しい発言です。
「民主党政権には何も期待していない。誰が後任になっても変わらない」と語る人もいるとヤフーニュースに出ていましたが、政治に期待しなくなったら、すべては終わります。
たぶん最近の政治の混迷の起点は、国民が政治に期待しなくなったからかもしれません。
私は、政治は「誰がやるか」で大きく変わると思っています。
おそらく小沢一郎さんが首相になって国政を動かしたら、全く違ったものになったでしょう。
東北の復興も大きく変わったでしょうし、沖縄の基地問題も大きく変わったでしょう。
そう確信しています。
しかし、多くの国民はマスコミの情報に従い、検察というお上の意向にひれ伏し、小沢一郎を葬り去りました。
2年ほど前に書きましたが、小沢殺しが始まった時にせっかくの政権交代は無意味なものになってしまったように思います。
敵は実に強かです。
こうした事件が起こってもなお、管首相は居座ります。
それを許しているのは、私たち国民です。
誰が代官様でも状況は変わらないと思う人には政治を語ってほしくありません。
ちなみに、私は松本さんの言動は論外だと思う一方で、不思議な好感も持ちます。
なぜでしょうか。
しかし、その松本さんにしても自己の考えを貫徹できなかったわけです。
批判していた菅首相に従って、大臣を継続したのが理解できません。
大臣の辞任は遅すぎました。
復興担当相を引き受ける前に。6月3日の時点で、環境相への辞表を出すべきでした。
彼もまた、私には「欲に目が眩んだ政治家」に思えます。
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