« ■節子への挽歌1421:「諸縁を断って静かに生きる」のは無理のようです | トップページ | ■トニーノ・ペルナの警告 »

2011/07/26

■節子への挽歌1422:ねえちゃんの田んぼ

節子
敦賀のおねえさんからハスの花が届きました。
「ねえちゃんの田んぼに今年も花が咲きました」と筆で書いた絵手紙と一緒に、です。
その絵手紙は、なんとペーパータオル2枚に書かれていました。
こうしたことの鮮やかさは、節子とそっくりです。

ねえちゃんの田んぼ。
それは敦賀の姉の家の近くにある田んぼです。
昔は稲を植えていたのですが、最近、ハスを植えるようにしたのです。
ちょうどその植える時に、節子が行き合わせ、ほんのわずかばかりの手伝いをしたという話を節子から聞きました。
ハスは毎年見事に咲き続け、毎年、わが家にも何回か送られてきます。
その今年の一陣が、今日、届いたのです。
節子がいなくなってから、季節の感覚が私から抜けていますが、またハスの季節かと、いろんなことを思い出させてくれます。

ハスを見ていると、節子のさまざまな笑顔が浮かんできます。
節子が病気になってからは、時々、2人で敦賀に行きました。
そして姉夫婦と一緒に、いろんなところに行きました。
そういう時の節子は、私にはまぶしいほど元気でした。
実にたくさんの思い出がありますが、その思い出はいつもある思い出に辿りつきます。
日本海の夕陽を4人で見た思い出ですが、そこでいつも私の思考は止まってしまいます。
いえ、その先に行きたくない私が思い出の世界から抜け出てしまうのですが。
その先は、あまりに悲しすぎるのです。

それにしても、節子の思い出はどうしてこうもたくさんあるのでしょうか。
普段は封印しているのですが、一度、蓋を開けると押さえようがありません。
節子の世界にまた、吸い取られそうです。
ようやく気が戻りそうだったのに、いやはや困ったものです。

|

« ■節子への挽歌1421:「諸縁を断って静かに生きる」のは無理のようです | トップページ | ■トニーノ・ペルナの警告 »

妻への挽歌08」カテゴリの記事

コメント

おはようございます。又、突然の投稿お許し下さい。奥様への想い~本当に素敵な奥様なのですね。
私ごとですが、時々、主人の傍にいきたいなって思う時があります。運転中、このまま傍にいけたら~って思うと子供に言うと、簡単に死ねないよ。中途半端な体になったら迷惑だからね…と言われます~笑~ 主人が亡くなってから、彼岸の世界が知りたくて仏教書を読んでいます。知らない世界が私を育ててくれているような気がします。亡くなっても私に教えてくれているんだと思います。いえ、主人ではなく何かかも知れません。あるがまま~ありのまま、自分の心を見つめていくのも供養かもしれません。ありのままの自分でいる事はとても難しい事です。ありのままに~と思うこと事態、ありのままではないような気がします。私はブログに記録していますが、書いてよかったと思っています。人の記憶は薄れていくものですから。書いていくことが亡き主人への供養であり、自分の為でもありますから。ですから、佐藤様が、挽歌を続けておられるのは、亡き奥様への最大の供養であり、ご自分の心の変遷を見つめられ、また奥様に育て、教えられているのだと思います。お元気な頃から、あちらの世界に逝かれて、また新たな世界を教えてくれているのだと思います。残された者は、それをじーっと見続けていくのだと思っています。書ける時、書けない時も全てあるがままでいいと思います。
少なくとも、こうして読ませて頂いてる私、読者には、大きな力を頂いています。すでに、節子様は大きな力を現されているではありませんか~♪♪
とりとめないことを書きまして申し訳ありません。却下していただいても結構ですから。支離滅裂で恥かしいですから~苦笑
                                     ライム

投稿: ライム | 2011/07/27 08:29

らいむさん
いつもありがとうございます。

ありのままに生きるのも、けっこう疲れますね。
気分がどうも安定しません。

らいむさんもブログをお書きなのですね。
もしお差し支えなかったらタイトルかアドレスを教えてください。
私に読めるかどうかは、必ずしも自信はないのですが。

昨日から少し前向きになれてきました。
もう大丈夫でしょう。
自分の脆さが、時々イヤになります。

元気をいただき、ありがとうございました。
交通事故にはくれぐれもご注意のほどを。

投稿: 佐藤修 | 2011/07/27 11:10

こんばんは~
正式に名乗らず大変失礼な事で、申し訳ありません。
伴侶の死~ということから佐藤様に辿り着きました。全く、同じ気持ちです。私も主人が亡くなってから空しく、時々、このまま傍に逝けたら~なんて思う事もありますが、新たに主人が私を育てているような気もしました。佐藤様の文章を時々読ませて頂いて、感銘しております。夫婦の在り方の大切さをつくづく感じております。私は、主人亡き後、記録しようと思いました。息子に教えてもらってブログという手段を知りました。それがいいのか悪いのか解りませんが、主人を忘れない為にも自分の為にも書き続けていこうと思っています。佐藤様のように、理知的に書けないのですが、つたないながら続けています。とても恥かしいのですが~Yahooブログ・日々の移ろい~ライム です。よろしくお願いいたします。
                            

投稿: ライム | 2011/07/31 23:10

らいむさん
コメントへの投稿、読ませてもらいました。
掲載したいところですが、あまり掲載を望まれないご様子なので、やめました。
また公開してもいいという気分になったら教えてください。

コメントに関して少し書いたのですが、メールを送ったら宛先不明で戻ってきてしまいました。
らいむさんのブログ経由で送ろうかと思いましたが、私はヤフーのメンバーでないのでだめでした。
ライムさんのブログは読ませてもらいました。
理屈っぽい私のブログよりも、ずっとあったかくてやわらかくて、素直ですね。
私もまた読ませてもらいます。
ありがとうございました。

投稿: 佐藤修 | 2011/08/01 11:08

佐藤様、おはようございます。そして読んでいただいてありがとうございます。私の文章は稚拙、幼稚なので恥かしいですが、ありのままの自分でいいと開き直っています。
掲載の話ですが、こちらは佐藤様の世界ですから、私のブログの事を載せるのは厚かましい事だと思っていました。私は、佐藤様から、大事な人が亡くなったという心を読ませていただいて、それで充分だったからです~本当に申し訳ありません。
こうしてお返事のコメントを読む事はとても嬉しいです。いつも共感しております。これからも書き続けていただきたいです。
最新の文章で、感じました。心の変遷と言うか…私は、きっと、大事な節子さんに残された者の悲しみを味わわせたくない。生と死と~色々な想いがありますが、たったひとつ、残された者の辛さ、悲しみを大事な人に味わわせたくないです。人はいつか死にますが、それなら悲しみは味わわせたくない。自分が味わう~そんな気持ちです。
節子さんは、佐藤様の気持ちをしっかり受け止めておられるように思います。何も思わず、手をあわせるだけですね。~また支離滅裂な事を書いてしまいました。申し訳ありません。
                                          

投稿: ライム | 2011/08/02 09:06

らいむさん
前のコメントも含めて公開させてもらいました。
不都合があればご連絡ください。
対応します。

ちなみに、らいむさんの文章よりも、私の文章のほうがずっと支離滅裂だろうと思います。
ただ自分にとっては、決して支離滅裂ではないのですよね。
そもそも人間は、支離滅裂なのですから、気にすることはない、と私は思っています。

ありがとうございました。

投稿: 佐藤修 | 2011/08/02 10:10

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ■節子への挽歌1422:ねえちゃんの田んぼ:

« ■節子への挽歌1421:「諸縁を断って静かに生きる」のは無理のようです | トップページ | ■トニーノ・ペルナの警告 »