■節子への挽歌1410:クレー
節子
国立近代美術館にパウル・クレー展に行ってきました。
節子がいなくなってから、もしかしたら初めての美術展かもしれません。
今回は、娘たちが行くというので、私も一緒に行けました。
まだ一人では行く気にはなれません。
節子と付き合いだした頃は、むしろ私のほうが美術展を誘う側でしたし、
私と節子の好みはかなり違っていました。
私は前衛美術の一部にしか興味がありませんでしたが、節子はヨーロッパ絵画が好みでした。
結婚した当時、池袋の西武美術館(だったと思いますが)で開催されていたカンディンスキー展を見にいきました。
キャンパスの中に、実物の洋傘が埋め込まれている絵を見て、節子は笑い出しました。
しかし、後で考えると、それが節子と私の好みが、さほど違っていないということに気づく始まりだったかもしれません。
節子は、その後も時々、カンディンスキーの話を、思い出したようにしたものです。
クレーとカンディンスキーは、かなり同じ世界を生きて人だと思いますが、当時の世界はまだまだきっと人間の心が自由に飛びまわれる時代だったのではないかと思います。
もちろんクレーも、実際にはナチスによる弾圧を受けており、生きにくい時代だったのでしょうが、にもかかわらずというか、それゆえにというか、魂は此岸を超えて、生きていたように感じます。
今回展示されていた作品は、どちらかというと、悪魔や異人の世界、もしくは異界を感じさせるものが多かったように思いますが(有名な「天使の絵」はありませんでした)、一つだけ、純真な目の作品があり、心洗われました。
節子が一緒だったら、いろいろと話しながら見たのでしょうが、娘たちと私とはリズムが違い、すぐにはぐれてしまいました。
クレーの絵画はとてもメッセージ的なので、たぶん話し出したら楽しい話もできるのでしょうが、今回は一人でただ黙々と鑑賞させてもらいました。
後で娘たちと話し合ったら、意外と同じ作品に関心が重なっていました。
全員が気に入ったのは、「動物飼育係の女性」でした。
私が気にいったのは「鳥の島」でした。これはたぶん節子も気にいったでしょう。
ふと節子を思い出したのは「嘆き悲しんで」でした。
ただ私の記憶の中にあったクレーの世界とは、ちょっと違ったような気がしました。
なんだか少しすっきりしないものが残ってしまいました。
私が変わってしまったのかもしれません。
やはり美術展は、節子と一緒が一番です。
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