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2011/07/28

■節子への挽歌1425:生き方を変える

八ヶ岳山麓に転居した中村さんが久しぶりに湯島に来ました。
自然と共にある生き方へと、人生を思い切って変えたのです。
昨日わざわざ17キロも離れているお店まで行って、特別の信玄餅をお土産に買ってきてくれました。
日持ちがしないので、今日中にと言うので、早速、節子に供えるとともにいただきました。
たしかに、これまで食べた信玄餅に比べてずっと美味しい気がしました。

中村さんは、節子も知っていますが、私と同年のビジネスマンでした。
定年退職後も、いろいろとドラマティックな生き方をしていますが、今年の3月から家族で八ヶ岳山麓に転居、今はテレビも新聞もない、まさに自然と共にある暮らしです。
中村さんが人生を変えたには、それなりの理由があります。

思ってもいなかったことが、人の人生を変えるものです。
私と中村さんの生き方は、数年前まではかなり対極にあったような気がします。
中村さんと出会ったのは10年ほど前だと思いますが、当時は中村さんはまだバリバリの現役でしたが、私はすでに社会からかなり脱落していました。
しかしどこかで通ずるものがあったのか、中村さんは湯島のオープンサロンによく来てくれました。
しかし中村さんが、心を開いたのは3年ほど前かもしれません。
お互い、いろいろなことがあったのです。

変わらない人生もいいものでしょうが、変わる人生もまたいいものかもしれません。
中村さんは、以前にも増して、若々しく元気そうでした。
いささか疲れてしまってきた私とは大違いでした。

私はまだ、節子との別れで変わってしまった人生を「いいもの」とは思えずにいますが、発想を変えれば、その「価値」が見つかるかもしれません。
人生の豊かさは、もしかしたら「悲しみの多さ」かもしれなと思うこともあります。
悲しみや辛さを体験するたびに、世界が広がるからです。
私も、そろそろまた生き方を変えたほうがいいかもしれません。
帰り際に、中村さんは私に言いました。
佐藤さんはやはり前のような生き方がいい、と。
節子がいたころの生き方に戻るのも、ひとつの「変わる人生」かもしれません。

さてどうしましょうか。
節子ならどう言うでしょうか。

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妻への挽歌08」カテゴリの記事

コメント

節子さんはあちらの世界では、うちの1年ほど先輩ですね。

共通のご友人とのお話の輪にも入ってらっしゃったかな?

あちらの世界の人達はどんな思いで私達を見ているのでしょうね。
周りの人達から慰めは励ましのつもりで色々な言葉を頂き
ますけれど、私は今も主人はどう思ってるのか、どう考えて
いるのかな・・に気持ちが行きます。

佐藤さんは以前からの活動をその後も続けていらっしゃって、
私は最初こちらにお邪魔した時に、やることがあり、やる場所がある
だけでも羨ましいなと思ったものです。私は主婦でしたし、主人の
病気も長かったので主人があっての自分でしかなく、主人は
典型的なサラリーマンでしたから自分なりの「何か」をしていたわけ
ではないので、ほんとに「からっぽ」でした。主人は自分に
与えられた運命を真摯に生きぬいたと思っていますが、その姿勢を
私なりにもっと理解したいと思いながら、3年が過ぎました。
表面的には落ち着き、少し動き始めてはいますが、芯のところでは
あの瞬間に終わったと感じているもの、変ってしまったものは何の
変りもない。。。というか逆により深く辛いといと感じることも
沢山あります。

ご友人が節子さんがいらっしゃった頃の佐藤さんの生き方がいいと
思われた、そして佐藤さんもそこに戻るのもひとつの変化だと
思われたのには、きっと「何か」があるのかもしれないですね。

投稿: masa | 2011/07/29 10:37

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