■いま何が問われているのか
核廃絶活動に取り組んでいた核物理学者の豊田利幸さんは、1983年に書いた「新・核戦略批判」のなかで、こんなことを書いています。
核爆発の開発・製造のおぞましさから多少とも一般の人々の目を外らすために、「核エネルギーの平和利用」ということが喧伝されるようになったのと同様に、報道ミサイルや軍事衛星の研究・開発をカモフラージュするために、「宇宙の平和利用」が鳴り物入りで宣伝され、今日に至っている。(同書31頁)豊田さんは、「ラッセル=アインシュタイン宣言」に端を発する「パグウォッシュ会議」に早くから参加し、核兵器の危険性を訴えつづけてこられた方でもあります。
パグウォッシュ会議は、原子力開発に関する本質的な議論をした場だったと思いますが、その呼びかけ人の一人は、アインシュタインです。
この会議も結局は妥協の場だったようにも思えますが、バートランド・ラッセルやアインシュタインの誠実さと勇気には感動します。
「原爆の父」とさえ言われるマンハッタン計画の最高責任者オッペンハイマーにとっては、原爆の開発成功が悲劇の発端になりました。
彼の勇気には、さらに感動します。
アインシュタインやオッペンハイマーでさえ、最初のボタンがけの時には、未来は見通せなかったでしょう。
しかし、かれらは早い時期に、生き方を変えました。
福島原発事故の発生以来、元原発技術者が懺悔しながらも本を出版したり講演をしたりし始めました。
それは非難すべきことではなく、むしろ歓迎すべきことでしょう。
しかし、私には素直に受け容れられない気分があります。
時流に乗って発言することへの不信感が拭えないのです。
今朝の新聞にも、「原発をつくった私が、原発に反対する理由」という広告が本の掲載されていました。
こういう動きが増えてきていますが、どうも違和感があります。
菅首相までが「脱原発」と言い出したようです。
みんな見事に時流に乗ります。
その生き方が、一番の問題なのではないかと思う私には、その意図がどうしても素直には受け容れられません。
いま問われている本質的な問題は「脱原発」ではなく、私たちの生き方なのではないかと思います。
節電すればいい話でもなく、原発をメガソーラに変えればいいという話でもないでしょう。
私がすべきことは「懺悔」と「生き方の見直し」なのですが、生き方をどう変えればいいか、なかなか見えてこないのが悩ましいです。
先日テレビで、元原子力安全委員会のメンバーだった方が、放射線汚染地区で汗をかきながら自ら除染作業をしている姿を放映していました。
久しぶりに感動しました。
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