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2011/07/13

■不幸なすれ違い

私が住んでいる千葉県の西北部は放射線のホットスポットのひとつとして、問題になっているところです。
昨日、柏市で、「子どもと安心して過ごすための放射線基礎講座」という公開講座が開催されました。
300人を予定していたところ、400人以上の人が集まってしまい、会場に入れずにお断りし、代わりに8月にもう一度、今度は1500人の会場を確保し、開くことにしたそうです。
開催したのは、柏市市民大学設立準備会という、行政と市民との協働組織です。
時宜を得たとてもいい企画だと思いますが、その後、開催された柏市市民大学設立準備会の集まりで、行政職員の人が、「市民から行政への批判や要望などが出るかと思っていたが、みんな真剣に聴いてくれた」という主旨の発言をされました。
その発言が、ちょっと気になりました。

行政はどうしても防衛的になります。
住民は実に勝手なことを言い、過剰な要望をしがちだからです。
時に感情的に行政に不満をぶつけ、批判することも少なくありません。
昨日も話したのですが、しかし、そういう行動にでるのも、情報が不足しているからです。
みんな事実を知りたがっているのです。

しかし、行政職員にとっては、「子どもと安心して過ごすための放射線基礎講座」を開催する場合にさえも、住民から不満や要請が出るのではないかという思いがでてくるということは、見過ごすべきことではありません。
そこにあるのは、「行政の住民への不信感」ではないかと思います。
自治体行政の出発点は「住民を信頼すること」だと、私は思っています。

実は、ちょうど同じ昨日、住民への信頼を出発点にしてつくりあげた、茨城県美野里町(現在の小美玉市)の文化センター「みの~れ」の館長やスタッフと新しいプロジェクトの相談をしていました。
特定の住民を信頼することはそう難しいことではありませんが、不特定の「住民」を信頼することは簡単ではありません。
私の知る限り、信頼を出発点にして仕事をしていた自治体職員は、全国的にいっても、美野里町の沼田さんという人しか思い当りません。
彼はもう定年で退職しましたが、私が知り合えた最高の自治体職員でした。

ところで問題は、なぜ行政職員は住民を信頼できないかです。
その原因は、政府と住民にあると、私は思っています。
いささか品のない極端な表現をすれば、愚民思想に基づいて国民を管理しようとするお上の政府とそこに寄生しながら私欲を増やそうとする極めて一部の住民が、そうした状況をつくっているように思います。
不幸なのは、そうした一部の「住民」が、地域のオピニオンリーダーになったり、「住民参加行政」で活躍したりしていることです。
しかも、行政が意識する「住民」は、そういう特殊な住民なのです。
その結果、行政と住民は「協働」しても「共創」しない関係になっていきます。

誤解されるといけないのですが、柏の職員を批判しているのではありません。
そうした「不安」はあったものの、開催してみたら、住民はみんな真摯に耳を傾けてくれたことに気づけば、職員も元気が出ます。
公開された場で、住民と接すれば、行政は必ず「特殊でない住民」に出会えます。
柏はその一歩を踏み出しているのです。
多くの住民は行政を信頼したいのです。

美野里町は、その先を進んでいますが、そこにはそこに、また新しい課題が生まれてきているようです。
またそれに関してはいつか書きます。

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