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2011/07/18

■節子への挽歌1415:年寄りの冷や水

節子
今朝も頑張って、畑に行ってきました。
起きるのが少し遅くなったため、7時近くになってしまったのですが、30分も雑草を刈っていたら、汗が止まらなくなりました。
実は、最近のわが家の農園は、とても「畑」などとは言えず、竹やぶと言ったほうがいいかもしれません。
刈っても刈っても、追いつきません。
そのやぶの中で倒れてしまっていても、だれも気づかないかもしれません。
それに一人の畑仕事は、楽しいものではありません。

戻ってきて、シャワーを浴びて、珈琲を飲んで、シャキッと出かける予定だったのですが、今朝の作業は少しハードすぎたのか、どうも体調がおかしいのです。
実は一昨日くらいから、どこがどうおかしいか説明しにくいのですが、なんとなくおかしいのです。
だからこそ、今日は畑に行って汗を流し、シャキッとしたかったのですが、逆効果になりました。
年寄りの冷や水とは、このことでしょうか。

今日は大きな集まりに加えて、急用もできたのですが、いずれもやめることにしました。
また友人知人に義理を欠いてしまいました。
まあこれまで逆にかなりのことをしてきたつもりなので、許してはくれるでしょう。
無理をしないのが、最近の私の生き方なのです。
節子が元気だった頃に、この生き方をしていたらと思うこともありますが、節子がいる時はなぜかどんな無理も厭わしくは思いませんでした。
節子は、そうした私に少し呆れながらも、それが修の生き方だから仕方がないと諦めていました。
しかし、いまは無理をするモチベーションが働きません。
ということは、節子にとってはとんでもない話でしょうが、私がいろいろと無理をしていたのは「節子のため」だったということになります。
このパラドクスは、いつかもう少し考えてみた問題です。

今日は2つの用件をさぼったことに罪の意識を感じながら、1日をだらだらと過ごしてしまいました。
私にとってはたぶんあまりないことですが、身体が安定しないのです。
軽い熱中症でしょうか。

しかし夕方になって、ようやく安定してきました。
わが家のチビ太が呆けて眠いのに寝るのを忘れているように、私も心身の疲れに気づかないほど呆けてきているのかもしれません。
なにしろ私の意識の時計は4年前に止まってしまっています。
心身の時計と意識の時計の差を認識しないと、さらに多くの人に迷惑をかけそうです。
自重しなければいけません。

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