■社会のリフレーミング
私のテーマは「コモンズの回復」です。
もっとも最近はあまり実践的には動いていませんが、自らの生き方においては今も実践しています。
そのテーマに行き着いたのは平成元年に会社を辞めて、いろんな活動にささやかに関わってからです。
「みんなのものやこと」(コモンズ)がなくなってきていると感じたからです。
そして同時に、そのコモンズの回復には枠組みを超えた取り組みが不可欠だと感じました。
みんな各論の枠組みで動いているばかりか、既存の枠組みを変える意識がないことに大きな違和感をもったからです。
既存の体制の中で、各論的最適解を追求することは、全体の未来を危うくするものだというのが私の考えです。
そんなわけで、いささか社会から脱落しながらの20年を過ごしてきました。
2000年に山形で全国地域づくり先進事例会議を、山形のJCの友人と一緒に企画開催しました。
まさに、行政と企業とNPOの枠組みを超えた、リフレーミングの企画で、2人で始めた実行委員会も最後は100人近くに膨れ上がりました。
2001年には「大きな福祉」を理念にしたコムケア活動を始めました。
NPOを支援する新しいスキームをつくりましたが、残念ながらリフレーミングには辿りつけませんでした。
2002年には福島県で話をさせてもらうことがあり、そこでも企業と行政とNPOの枠組みを超えていく、リフレーミングの必要性を話させてもらいました。
そこにパネリストとして参加してもらった経済産業省の浜辺さんが、私のメッセージに反応してくれました。
しかし、これもリフレーミングの動きを起こすにはいたりませんでした。
いずれも私が途中で気力を失うからかもしれません。
形が見えてくると最初の私のイメージとは違っていくことが多いのです。
あれから10年経ちますが、状況が進化したのかどうかは悩ましい問題です。
先日、あるビジネススクールで「社会性企業」をタイトルに話をさせてもらいました。
そこで、状況はどうも20年前と変わっていないのではないかと気づきました。
たしかに、社会起業家という発想は広がっていますし、その実践も増えてきています。
でもどこかで、1980年代の気分の再来を感じました。
要するにみんなまだ「成長」や「金銭」から抜け出ていないのです。
「社会性企業」の講演では、最後に「マネーからケアへ」と話させてもらいました。
このブログでは何回も書いてきていることです。
しかし、やはりこうした考えは、特殊なのかもしれません。
東北の復興は、社会の構造原理の基軸を変えるチャンスかもしれませんが、どうもそうはなっていません。
相変わらず、金銭を基軸にした各論最適解が追求されています。
そうした動きに疑問を呈するには勇気がいります。
しかし、やはりどこか間違っているのではないかという気がしてなりません。
枠組みの延命に加担するようなことには関わりたくないと思います。
しかし、そうしていると、どんどん社会から脱落していく感じです。
昨日、企業の経営幹部の人たちのフォーラムがありました。
このフォーラムには20年以上関わっていますが、その最初からずっとほぼ同じメッセージを出しています。
最初はほとんど伝わりませんでした。
ところが昨日は、私のメッセージを聞いた某社の社長が、わざわざ私のところにきて共感しましたというのです。
昨日は、「失われた20年」が「30年」にならないように、もう「成長神話」を捨てる時期だというメッセージだったのです。
また私が関わっていた一つのチームの発表で、「リフレーム」という言葉も出てきました。
時代が変わってきたのでしょうか。
残念ながらたぶん違うでしょう。
しかし、変わる素地は高まっているかもしれません。
私にも暮らしやすい社会が来るかもしれません。
私にはたぶん間に合わないでしょうが。
ちなみに、私が使っている「リフレーミング」の意味は、枠組みの中で生きるのではなく、枠組みを使い込む生き方を起点にしています。
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