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2011/07/16

■節子への挽歌1413:「そばにいてくれるだけでいい」

節子
テレビでうっかり西田敏行の「もしもピアノが弾けたなら」を聴いてしまいました。
この種の歌は、極力テレビでは見ないようにしています。
「この種の歌」というのは、節子との思いがつながりそうな歌という意味です。
音楽の力は大きく、突然に閉じていたはずの扉を開いてしまうのが恐ろしいからです。
この歌は節子も好きでした。
節子がいたら、きっと歌いだすだろうなと思いながら、ついつい一緒に歌ってしまいました。
歌いながら、節子が隣にいるような感じがしました。
この気持ちは、なかなかわかってもらえないと思うのですが、実に奇妙な感覚におそわれるのです。

西田敏行は、つづけてフランク永井さんの持ち歌だった「おまえに」を歌いました。
節子はフランク永井の歌が好きだったなと思いながら、ついまた聴いてしまいました。
私は歌詞をすっかり忘れていましたが、画面にテロップが出てきたので思い出しました。
「そばにいてくれるだけでいい」
これは私が節子によく言った言葉でもありました。
もちろん、この歌とは関係なく、です。
節子も、同じように、よく私に言いました。
私たちは、お互いが隣にいるだけで元気が出てくる関係だったのです。

ところが次々に出てくる歌詞のテロップを見ているうちに、歌えなくなりました。
あまりに私の心境に突き刺さるのです。
節子と一緒に聴いた時の意味合いとまったく違うことに気づいたのです。
「おまえに」の「おまえ」がいない立場では、意味合いが変わってくる。
そのことに気づいたのです。
希望の歌は絶望の歌になるのです。
愛の歌は嘆きの歌になってしまう。
歌えるわけがありません。

同じ歌詞でも聴く者の状況によって、意味は全く違ってくるのです。
やはり「この種の歌」はもう聴くのをやめようと思いました。
あまりに辛く、あまりにも悲しい。

節子は、私の歌う声が好きでした。
音楽番組を見ていて、時に私に歌ってよと言うこともありました。
若い頃は一緒に歌いながらよく歩いたものです。
樫原神宮で急に降りだした雨の中を、傘もささずに2人で歌いながら歩いたこともありました。

そういえば、昔、わが家でカラオケ大会をやったことがあります。
カラオケが広がるもっと前のことです。
カラオケ機器もない時代だったので、歌のない曲だけのレコードでやったのです。
その時の録音テープがどこかにあるはずです。

カラオケが流行りだしてから、節子は家族で行きたがったのですが、私がカラオケ嫌いだったので実現しませんでした。
節子が望んだのに、私がその気にならずに実現しなかったことは、カラオケのほかにもたくさんあります。
それを思い出すといつも後悔するのですが、しかしそれも含めて、節子は私が好きだったはずです。
私も、わがままな節子が好きだったからです。
夫婦はお互いにわがままにならなければいけません。
わがままを共有できれば、きっと最高の夫婦になるでしょう。
しかし、どちらかがいなくなると、残されたほうは奈落の底に落とされるかもしれません。
好きだった歌さえ、歌えなくなるのです。

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