■節子への挽歌1424:ミンミンゼミ
節子
今年初めてミンミンゼミの鳴き声を聴きました。
ミンミンゼミに限らず、今年はセミが少ないのですが、暑さに弱いミンミンゼミにとっては、今年の暑さは大変なのでしょう。
例年よりも鳴き声を聴きません。
節子はミンミンゼミよりも、ヒグラシのカナカナという鳴き声によく反応していました。
なにか寂しさを感じさせるからだったと思います。
節子にとっては、ミンミンゼミの鳴き声は暑苦しすぎたのかもしれません。
夏は節子に実家で過ごした時期もありますが、ミンミンゼミには子どもたちと一緒の真昼の風景を、カナカナゼミには節子と一緒の夕方の風景を思い出します。
人によって違うのでしょうが、自然はそうした生活の思い出と深くつながっています。
さらにそこに、家族や妻との思い出が重なってくると、セミの鳴き声ひとつが、心を躍動させたり、心身を萎縮させたりしてしまいます。
本当に不思議です。
わが家の周辺にはまだ緑がそれなりにあります。
ですからセミもよくやってきましたが、今年はまだわが家にはセミは来ません。
いつもは庭に見かける、セミの抜け殻にもまだ一つも出会っていません。
噂では、今年はどこもセミが少ないようです。
セミは不思議な生き物です。
あれほど含水量の少ない生物は、そう多くはないでしょう。
子どもの頃からそれがとても不思議でした。
ギリシア神話の映画には、よくアポロの「黄金のセミ」が出てきますが、SF好きだった私には、セミは生き物ではないようにずっと感じていました。
セミの寿命は実にはかないものですが、そのくせ、セミは「復活」や「不死」「変身」の象徴とも言われています。
それにあんなに小さな身体であるにも関わらず、その鳴き声は遠くまで響き渡ります。
私には、尋常の生き物とはとても思えません。
それに死んだセミには、不思議になんの「不浄感」もありません。
セミは生きていても死んでいても、まったく変わらない存在です。
もしかしたら、セミは彼岸からの使いかもしれません。
だとしたら、先ほど聞いたミンミンゼミの声は、私へのエールかもしれません。
さて明日からまた元気に活動できそうです。
この数日、奇妙に落ち込んでいました。
節子がいたら笑われそうです、
| 固定リンク
「妻への挽歌08」カテゴリの記事
- ■第1回リンカーンクラブ研究会報告(2021.09.06)
- ■節子への挽歌1600:「節子がいる私」と「節子のいない私」(2012.01.20)
- ■節子への挽歌1599:苦労こそが人を幸せにする(2012.01.18)
- ■節子への挽歌1598:青空(2012.01.17)
- ■節子への挽歌1597:家族と夫婦(2012.01.16)
コメント