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2011/07/11

■九州電力のやらせメール

玄海原発の運転再開をテーマにした公開フォーラムに、九州電力の経営陣(の一部)が再開に好意的な意見を送るように関係者に働きかけたことが問題になっています。
九州電力はそんなことまでするのかとみんな怒っています。
しかし、私には何も驚くことではありません。
組織の行動として、当然過ぎるほど当然です。

もちろんだからと言って、それをよしとしているわけではありませんが、あまりにみんなの「驚き」が大きいので、逆に「白々しさ」を感じます。
自分に置き換えて考えれば、九州電力の行為はことさら騒ぐほどの話ではありません。

今は原発は悪者になっていますから、こういう意見が出てきますが、仮に1年前だったらどうでしょう。
反原発派のみなさんは、仲間に呼びかけて、原発反対の異見をメールしようという動きをしたはずです。
そうしたメールや投稿の呼びかけは、今もいろんな人たちが行っています。

また「やらせメール」と決め付けていますが、なぜ「やらせ」なのかもきちんと考えるべきです。
私は原発には反対ですが、だからと言って原発賛成の人たちの意見を封じ込めるつもりはありません。
人の考えはさまざまであり、絶対に正しいと思うのは個人の考えでしかありません。

私が危惧するのは、みんながきちんと考えることなく、大きな声に流されていく現実です。
原発が危険なことを指摘していた人は少なからずいました。
しかし多くの人はその声に耳を傾けませんでした。
そして自分たちの地域に原発を誘致し、その代償を得ていたのです。
おそらくその当時、原発誘致のために「やらせ発言」をしていた人もいるはずです。

いえ、原発に限りません。
諫早湾ではどうでしょうか。
道路建設ではどうでしょうか。
冤罪事件に加担してはいないでしょうか。
行政の無駄遣いに便乗してはいないでしょうか。
ともかく、「やらせメール」は充満しているのです。

九州電力の行為は、愚かな行為ではあると思いますが。取り立ててめずらしい行為ではありません。
みんながやっていることです。
私が大切だと思うことは、九州電力を責めるのではなく、自分の中にある、そうした「志向」、生き方を質すことです。
「識者たち」のテレビでの白々しい発言に、いささか過剰に反応してしまいました。

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