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2011/07/26

■トニーノ・ペルナの警告

イタリアのトニーノ・ペルナの発言を、セルジュ・ラトゥーシュの「経済成長なき社会発展は可能か?」で読みました。
トニーノ・ペルナは、たぶん企業経営者だと思いますが〈調べたのですが確証が得られません〉、実に共感できます。
抗した知性がやはりヨーロッパには存在するのです。
トニーノ・ペルナの一部を紹介します。

「いわゆる資本主義市場の法則に適応し、その中で一時しのぎをし、宣伝広告やマーケティングなどの市場経済の道具を無批判に利用することを求めることは、数量的かつ短期的には何らかの結果を生み出すであろう。しかし最終的には、そのような道を選ぶことは敗北に帰することになるのである」
「フェアトレードが直面している課題とは、南側諸国の生産物を、結果的にこれら諸国の文化的資産を破壊するような現存の商品流通システムに参入させることではない。むしろ消費者の倫理的選択肢を本当の〈ニーズ〉に転換することである」
そこに、新しい経済の予兆を感じます。
前の時評の「いまは岐路なのか」で言及した経済のパラダイムシフトでいいたかったことは、こういうことです。
たとえば、私の周辺でもフェアトレードに取り組む友人は少なくありません。
しかし、私にはどうしても違和感があります。
視座が逆転しているからです。
トルーマンが考案した開発戦略の先に存在するように思えるからです。

しかし、そういってしまうと、実も蓋もありません。
収奪的なトレードに比べれば、フェアトレードがいかに望ましいものであるかはいうまでもありません。
それに異を唱えることなど、出来ようはずもありません。
にもかかわらず、ペルナの言葉にも学ばなければいけません。

これは問題を設定する時限の問題です。
パラダイムを変えるということは問題の次元を変えるということです。
いまこそ、ラトゥーシュやペルナから学ばなければいけません。
そして、実際にどう動けばいいのかを考えなければいけません。
そう思いながらも、なかなか動き方がわからないために、無力感に苛まれています。
悩まずに行動している人たちがうらやましいです。
彼らは間違いなく、大きな成果を生み出し、多くの人たちを元気づけていますから。


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