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2011/07/02

■自然との付き合いを忘れた生き方

テレビで、山口県の祝島の生活を特集していました。
上関原発で話題になっているところです。
テレビの特集は短い時間だったこともあり、祝島の豊かさを十分には表現できていないように思いますが、それでもキャスターの辛坊さんが、この映像を見たら上関原発の決着は明らかですよね、と発言していました。

島民の一人が、「お金がないと都会では暮らしていけないが、ここではお金がなくとも(ある期間は)暮らしていける」と語っていました。
その言葉が印象的でした。
自然は、素直に受け止めれば、人を活かしてくれるようになっているのだろうと思います。

イソップの寓話に有名な金の卵を産む鶏の話があります。
毎日、1個しか卵を産まないことに不満を持った飼い主は、鶏のお腹の中には金塊があるにちがいないと、鶏のお腹を切り裂いてしまうのです。
もちろん金塊はなく、死んでしまった鶏は金の卵を産むこともなくなったという話です。
私たちの、自然との付き合い方を思わせる話です。

東北復興の話の多くに、私は自然との付き合い方を見直す発想を見つけられません。
いま必要なのは、自然との付き合い方を問い質すことではないかと思っています。
併せて、お金との付き合い方も問い質す必要があるように思います。

今回の大震災が教えてくれたことは、私たちが自然との付き合い方を忘れて、お金に依存しすぎてきたことではないかと思います。
前者への気づきは少しだけ広がっているように思いますが、後者に関してはますます強まっているようにも思います。
私の暮らしを守ってくれるのは、お金ではなく、自然や人です。
お金に支えられる生き方は、私には考えられません。
私はどうも間違った時代に生まれてしまったようです。

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