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2011/07/01

■夏は暑いからこそ価値がある

どんなに暑い夏でも、早朝は気持ちがいいものです。
朝、近くの農園に野菜をとりに行きました。
入院やら梅雨やらで、ずっと手入れにも行かずにいたために、せっかくかなりいいところまで復活していた家庭農園は、また雑草に覆われだしていました。
花畑は苗を植える前にまた雑草の楽園です。
それでもキュウリとトマトを収穫しました。

大震災からかなりがたちます。
大震災がその一因ですが、この4か月、生活のリズムが完全に崩れています。
何かをやる気もなく、しかし「やらない気」もなく、中途半端に流れています。
気になることは少なくないのですが、動こうという気になかなかなれません。
このまま世界が終わるといいのに、などという不謹慎な思いも、時に心にしのびこんできます。
いささか病的になっているのかもしれません。
そのせいか、時評編も書くモチベーションが起きません。
何を言っても、何を書いても、たぶん意味がないという思いもあります。

今朝、ふと思いました。
もうそろそろ戻ってもいいのではないかと。
それで畑に行ってきました。
少し生活を取り戻せそうな気がしてきました。
「節電」などというキャンペーンに取り込まれそうになっていた自分に気づきました。
大切なのは、節電ではなくて、生き方を変えることです。
生き方を変えずして、節電しても、事態を悪化させるだけの話です。
これに関してはまた改めて書こうと思いますが、自分をしっかりと生きようと思います。

今日も暑くなりそうです。
以前は、夏は暑いからこそ価値があると思っていました。
いつの間にか、暑さを嫌うようになっていました。
これは、私の生き方ではなかったはずです。

昨日はフェイスブックでいろんな人からいろんなコメントをもらいました。
いずれも他愛のないメッセージですが、そこからいくつかの気づきがありました。
あやうく時流に取り込まれそうになっている自分に気づきました。
注意しなければいけません。

今日は暑さを楽しみながら、身辺整理です。
あまりに周りが散らかっています。
もちろん「物理的な散らかり」だけではありません。
それに、片付けるのではなく、整理するだけですが。
整理すると先が見えてきます。
たぶん、ですが。

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