■節子への挽歌1416:「喜びをもった支え合い」
BS放送ではよく海外の観光地のドキュメントを放映しています。
節子が好きそうな番組が多いです。
節子はドラマやバラエティはあまり見ませんでしたが、ドキュメントは好きでした。
いつもそれを思い出します。
デジタル化されたおかげで、最近のテレビ画像はとてもリアルです。
ユカが節子と同じで、紀行ものが好きなので、時々一緒に見ます。
今日も大陸の列車の旅を見ていました。
見ていて気づいたことがあります。
どんな素晴らしい風景を見ても、行きたいと思う気が起きないのです。
節子がいなくなってから、私の心からは何かを喜びたいという気持ちが消えてしまったのです。
喜びがない人生は、疲れるものです。
最近、また「コンヴィヴィアリティ」という概念が語られだしています。
イリイチの本でこの言葉に出会って以来、それは私の生き方の一つの指針になりました。
コンヴィヴィアリティは、本来は「饗宴」と言うような意味のようですが、イリイチはこれを「喜びをもった支え合い」というような意味に使っています。
「喜びをもった支え合い」は、私の生活信条の一つになりました。
そして、それが私の世界を大きく変えてくれたのです。
その基本にあったのが、節子との「喜びをもった支え合い」でした。
すべてはそこから派生していたような気もします。
最近、どうも自分の生き方に奇妙なずれを感ずるような気がします。
支え合いが、どこかで愉しめないのです。
そして、これまでは感じたことのない、精神的な疲れや不安定さを時に感じます。
もしかしたら、それは私の心の中に、「何かを喜びたいという気持ち」がなくなってしまったからかもしれません。
行動力が低下し、疲れが溜まるのは、そのせいでしょうか。
そういえば、この数か月、首都圏から出ていません。
自宅で過ごす時間がとても増えたような気がします。
にもかかわらず、疲れが溜まりつづけています。
なぜか生きることを喜べない、支え合うことを愉しめない。
これはかなり「赤信号」なのかもしれません。
困ったものです。
どこかで反転させなければいけません。
それにしても、節子はいい伴侶でした。
この頃また無性に節子が恋しいです。
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