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2011/07/26

■節子への挽歌1421:「諸縁を断って静かに生きる」のは無理のようです

涼しい日です。
最近、なんとなく気持ちが重く、何をやりだしても前に進めません。
それで動き出せるようになるまで、何もしないことにしました。
そんなわけで、今日は朝から無為に過ごしています。
無為に過ごすのはけっこう退屈するものです。
夕方になって、ついついパソコンを開いてしまいました。

友人からこんなメールが来ました。

佐藤さんもわたしも(?)疲れているので、
いまは雌伏の時期であります。
諸縁を断って静かに過ごしてまいりましょう。
友人はともかく、私は「雌伏の時期」ではなく「終焉の時期」なのですが、
終焉に向かう生き方は難しいのかもしれません。
それに、「諸縁を断って」生きるのは私には「憧れ」ではあるのですが、まだその生き方に入るほど自らを豊かにできていないのです。

ライターのKさんからもメールが来ていました。

奥様が新聞に投書なさったときの佐藤さんとのやりとりが知りたいのです。
ブログかどこかにあるとOさんがおっしゃるのですが、どこかわかりません。
投書内容も知りたいです。
Oさんいわく、ご夫婦の関係がよくわかるエピソードなので、ということなので、
KさんはOさんが紹介してくれたライターの方ですが、いま「看取り方」を題材に原稿を書いているそうです。
私の話は役に立たないだろうと言ったのですが、以前一度取材に来てくれました。
Oさんは、きっと節子の書いた「いいことだけ日記」のことを言っているのでしょう。
私のホームページは迷路のように複雑な構造なので、私自身どこにその記事があるか,容易にはわからないのです。

パソコンから離れようかとも思っていたのですが、退屈のあまり、パソコンに向かうとこうやって「諸縁」が迫ってきてしまいます。
困ったものです。
その上、ハスの花まで届きました。
諸縁を断つにはほど遠い生き方をしている自分に気づきました。
それにしても、ネットでつながってしまった世界は、まさに「煩悩のあふれる世界」です。
「諸縁を断って静かに生きる」には、まずはパソコンを捨てることです。
さてそれができるでしょうか。

もはや私には、「諸縁を断って静かに生きる」ことは無理なのかもしれません。
パソコンの向こうに、あまりにたくさんの世界が見えすぎます。
疲れても、動き出さなければいけません。

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